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ウズベキスタンのKorean(高麗人、韓国人)のLee (李)君

皆さん中央アジアの国、ウズベキスタンやカザフスタン、キルギス、タジキスタンなどに、たくさんのKorean(高麗人、韓国人)が50万人も住んでいるのを知っていますか?
 
私は、ウズベキスタンのKorean(高麗人、韓国人)のLee (李)君に大阪で会ったことが、20年ほど前にあります。彼は、タシュケントのウズベキスタン研究所物理学科の人で、日本の大学に博士研究員(ポスドク)として留学して来ていました。名前は、ロシア風にセルゲイとかいう名前でしたが、姓は李でした。しかし、韓国語は全くしゃべれず、ロシア語で育ったと言っていました。私とは英語で話していました。彼に、どうして、ウズベキスタンにKoreanがいるのと聞いたら次の様に話していました。

戦前、Koreanは、韓半島のほか、ソ連の沿海州にも、満州の延辺自治区にも大勢住んでいました。しかしながら、韓半島のKoreanも満州の延辺自治区のKoreanも、日韓併合や満州国建国により日本人と認められたため、ソ連の沿海州にいるKoreanは、第2次世界大戦がはじまったところ、ソ連のスターリンが、李君の家族ら沿海州のKoreanに、1家族1個の旅行鞄に身の廻りのものを詰めて、明日駅に集合せよと命令され、次の日列車に載せられて、全く知らないウズベキスタンの荒野まで連れて行かれて、下ろされたそうです。この強制移住は、日本人となった韓半島や満州のKoreanとつながりのある、ソ連沿海州のKoreanが日本に協力しないようにするためだったとのことです。スターリンは、日本とは日ソ不可侵条約を結んでいましたが、ソ連は米国とイギリスとの3か国の密約により、その内、参戦して、満州や樺太に侵攻することが決まっていたからです。
 
最近のYouTubeで、中央アジアのKoreanは、日本のせいでこんなところに来たと日本をうらんでいるとのうわさを聞きました[1]。しかし、上の歴史的理由から、スターリンをうらむべきで、日本をうらむべきではないでしょう。
 
参考資料
[1] https://www.youtube.com/watch?v=RE1_AvA2d08&t=50s
 
 
*なお冒頭の写真は、戦後シベリア抑留された日本人が建設したウズベキスタンの首都タシュケントにあるナヴォイ劇場です。下記のURLのウィキペディアから引用させて頂きました。1966年4月26日のタシュケント大地震では、78,000棟の建物が倒壊したのにナヴォイ劇場は無傷であり、市民達の避難場所として使われました。日本人が作った建物は手抜きがなく大変丈夫だとして有名になりました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%82%A4%E5%8A%87%E5%A0%B4
最終更新 2024年4月12日 (金) 10:00
 
 
令和6年(2024年)8月11日随筆
令和6年(2024年)8月16日加筆

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