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源氏物語の中の学者博士像は今と変わらない!?

(はじめに)


 
 1000年も前に、源氏物語の中で学者博士を揶揄した部分があります。
 

1.    藤原京や奈良の都の時代から既にあった大学制度


 
 余り一般には知られていませんが、日本の大学制度は古く藤原京の時代から既にあり、大宝元年(701年)の大宝律令制定とともに奈良時代にはよく整備されていました。そして、その道の学識豊かな人を博士と認定し、大学の教授や助教としました。現代の助教という身分は1300も前からあるんですね。また、当時の大学の定員が400人などと養老律令などにも定められていました。平安時代になると教えられる科目も増え、文章や法律の専門家だけではなく、天文学や数学、医学、語学などの専門家も大学で育成されていました。
 

2.    源氏物語の中に出て来る学者博士の姿


 
 平安時代中期(西暦1000年ごろ)に書かれた源氏物語には、これらの専門を教える学者博士は見栄えのしない服を着ていても全く気にせず、学問のみに没頭する変な人達だというように書き表されています。昔から、博士って変な人が多かったのかと思ってしまいます。
 

3.    現代でも、同様な印象を抱いている人が多い


 
 最近、私の大学に大企業の専務取締役から転職して来られた老教授が、全く同様な印象を大学の先生について語られていたので、私は源氏物語のこの部分を興味深く思い出しました。
 この老教授はその企業の停年の63歳までずっと企業におられ、私どもの大学が65歳が停年なので、2年間だけ教授として赴任されました。ある時、この老教授と酒席を共にする機会がありました。この教授が大学に移られてからほぼ一年経った頃だったと思います。彼は大学の先生の印象を次のように語られました。
「大学の先生は安物の背広を着ており、腰に汚い手ぬぐいをぶら下げている輩もいる。大学の先生は、全くさえない格好をしてパリッとしていない。」
と自分の背広の両襟を両手でつかんで胸をそらして言われました。その時私は非常に複雑な気持ちになりました。確かに、大学の先生は自分の研究に没頭するあまり、服装に無頓着な人が多いのは事実です。大企業に比べたら安月給だし、研究が好きだから、高い背広を買うより高い専門書を買う方に給料を回してしまいます。ただ、この老教授は、二年間とはいえ少なくとも我々と同じ大学人であり、研究者仲間です。そんな身内から思いもかけないような言葉を聞いて、私は非常に複雑な気持ちがしました。同時に源氏物語で、紫式部も千年前に全く同じことを言っていたことを思い出していました。
 

(おわりに)


 
きらびやかな服を着ていない外見のさえない学者は、千年前も現代も揶揄の対象になるのだなあと思いました。学者の評価の基準は一体何なんでしょうね。皆さんは、学問をひたすら追求し、服装に無頓着な学者博士を、どう思われますか?
 
 
 
平成23年(2011年)1月15-16日 随筆
令和5年(2023年)10月31日   加筆
 

 
*なお、冒頭の「源氏物語図屏風・浮船」は、下記のURLのWikipediaから引用させて頂きました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%AE%E8%88%9F_(%E6%BA%90%E6%B0%8F%E7%89%A9%E8%AA%9E)
最終更新 2022年11月10日 (木) 16:11
 

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