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戦争と平和_満州その1:「『大地の子』を観ましたか?」に対する書き込みとその反響

(はじめに)


 
今から30年ほど前の1991年に、山崎 豊子さんの大作「大地の子 」が発売され、大反響をもたらしました(参考文献1)。そしてその5年後の1996年に、日中共同制作ドラマ『大地の子』がNHKテレビで放映されました。私は、このドラマを見て、他人事とは思えず、毎晩涙ながらに見ました。その後2003年には、インターネット上に、スレ(スレッド):「『大地の子』を観ましたか?」が立ち上がり、私はそこに私の思いを書き込み、スレ民と、思いのたけを語り合いました。もう、中国残留孤児のことを身近に知る人が稀になってきましたが(参考文献2)、今年2022年ウクライナにロシアが侵攻し多くのウクライナ国民が難民となっています。そこで、私はぜひ、戦争やその後の政変でどんなことが起こるのか、もう一度満州残留孤児のことを現代史としてとらえ直してもらいたくて、ここにその時の文章を再録します。ご一読頂ければ幸いです。なお、冒頭のイラストはポケモンGOの人気キャラクターのピカチュウですが、世界的な人気ゲームアプリ「ポケモンGO」は満州残留日本人孤児3世が作ったものです。皆さんご存知でしたか?
 
 

[77] 私の兄弟も「大地の子」のようになっていたかも


 
  投稿者:Kazu  投稿日:2003/08/10(Sun)
 
初めて「大地の子」を見て、毎晩感涙しています。残留日本人孤児陸一心と中国人養父陸徳志の血を越えた愛情に心を打たれました。高校生の娘(15歳)に「お父さん(51歳)毎晩泣いているね」とからかわれました。私の父は、今年四月に数え年で88歳で死にましたが、戦前満州で12年間住んでいました。新京(現長春)それからハルビン最後は牡丹江に住んでいました。中国人の方と会社を共同経営していました。中国語がぺらぺらで中国と中国人大好き人間でした。ソ連参戦の三日後(8月12日)に牡丹江の家を捨て、母と一緒に私の二人の兄を連れ、無蓋貨車で満州の大地を南下して帰国しました。満州と朝鮮国境の安東駅に8月15日午後2時頃着いた時、ホームで敗戦を知り誰彼無く抱きあって泣きました。もし8月15日迄に安東に着いていなかったら、私の二人の兄も「大地の子」のようになっていたと思うと、胸が詰まり他人事とは思えず、涙なくしては番組を見られませんでした。
 

[86] 書海さんのモデルの人に会ったことがあります


 
  投稿者:Kazu  投稿日:2003/08/13(Wed)
 
 一心が、労改にいた時、大地を黒板にして、一心に日本語を教えた日本帰りの華僑、書海さんのモデルの人に会ったことがあります。書海さんとは出身地などが微妙に違いますが、彼も波乱万丈の人生を歩みました。
 彼は戦前台湾でいたので漢民族ですが、日本国人として陸軍砲術学校に入りました。その後大阪の大学で大学院に進み工学博士号をとりました。中国建国の時、祖国復興に燃えて同じ台湾出身の妻と一緒に確か昭和28年に中国本土へ渡り、北京のどこかの研究所に勤めていました。文化大革命の時、知識人であることや日本語が出来ることのためスパイ容疑で投獄され職場も解雇されてしまい、残された家族は小さなぼろアパートの一室に引っ越しさせられました。急に惨めな生活に転落させられたそうです。父のスパイ容疑のため、息子は高校生でしたが大学進学を認められず、将来を悲観して本当に何日も泣いたと言います。投獄された彼は2年後、余りのつらさに脱獄して、どこかで自殺しようとさまよい歩いていましたが、ふと道端にいた男の子を見て息子のことを思い出し、自殺を思いとどまって、自ら監獄に帰ったそうです。文革の10年で1400万人が刑死または自殺したと聞きました。1985年に久し振りに彼に会ったとき、山崎豊子さんが彼のことを本にするのだと言って取材されたと言っていました。彼はその後名誉回復され、のちに研究所長も務めました。現在はもう引退したと聞きました。彼の息子は日本に留学し、現在日中間貿易の貿易会社を日本で設立し経営しています。
 書海さんを見て、中国の激動の時代を私の友人の数奇な運命とともに思い出した次第です。
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書海 > ハンドルネームに書海さんの名前をつかわせてもらっていますが、大変貴重なお話を書きこんでくださって感謝します。モデルがいらっしゃると「大地の子と私」に書いてありましたが、お知り合いの方だったのですね。 (2003/08/13(Wed) )
 

[102] 後世に語り継ぐべきこと


  投稿者:Kazu  投稿日:2003/08/21(Thu)
 
ソ連が昭和20年8月9日に参戦した後、私の家族が何日に満州国牡丹江市を脱出したのか、調べたくてインターネットで検索しました。先日死んだ老父は脱出日は8月10日と云い、健在の老母は8月12日と云います。そこでインターネットでヒットした47件からうち次の5件が大変参考になりました。実例を見ると牡丹江を脱出する日づけが1日1日と遅れるほど、極めて悲惨な体験談となっており、悲涙なくして読了できませんでした。(参考文献3~7)
最後のURLの中浦やえ子さんの文章は、特に涙で字が読めなくなる程の悲惨な例が書かれており、後世に語り継ぐべきことだと思いました。我が家族もおそらく1、2日違いでこうなっていたに違いないと思うと他人事ではありませんでした。是非、「大地の子」に御関心のある皆さんにも読んで頂きたいと思います。
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[108] 無題


  
   投稿者:S 投稿日:2003/09/05(Fri)
 
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[102]のKazuさんがおっしゃるように事実をありのまま後世に語り継ぐことが大切だと胸に刻む今日このごろです。
 
 

参考文献


 
1  ・山崎 豊子「大地の子 」文藝春秋1991年(平成3年)
  ・日中共同制作ドラマ『大地の子』NHK (1996年)
  ・スレ:「大地の子」を観ましたか?(2003年8月―9月)
  http://www.alachugoku.com/mbspro/pt.cgi?room=daichi 
2  世界的人気ゲームアプリの「ポケモンGO」は、満州の日本人残留孤児3世の中国名石磊さん、日本名野村達雄さんが、作ったものです。野村さんは1986年旧満州黒竜江省生まれで、9歳のときに親戚を頼って日本に帰国し長野市に住みました。そして、信州大学工学部情報工学科(4年生の時日本国籍取得)、東京工業大学大学院を卒業されて、グーグルに入社されてゲーム関係のIT技術者になられた方です。野村さんは日本に帰ってこられた日本残留孤児の中で最も成功された方の一人です。
3  http://www2.accsnet.ne.jp/~yuko88/t_contents.htm
4  http://www.genshu.gr.jp/DPJ/paper/1996/9602pr.htm
5  http://www.niigata-nippo.co.jp/kokusai/daichi/daichi0810.html
6  http://www.niigata-nippo.co.jp/kokusai/daichi/daichi0811.html
7  http://www.belltown.co.jp/town/culture/hakushiki/manshu/manshu_2.html
(大変残念なことに、 上記の参考文献のいずれのURLも、2022年7月15日現在接続不能です。ネット社会は大変便利ですが、紙媒体と違って、このように、20年後には消えてしまい、永続性がないのが、大きな欠陥ですね。)
 
2003年8月-9月 随筆
2022年7月15日、加筆修正

*なお、冒頭の、ピカチュウのイラストは、無料イラスト
https://pixabay.com/ja/illustrations/search/%E3%83%94%E3%82%AB%E3%83%81%E3%83%A5%E3%82%A6/
から引用させていただきました。

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