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ぼくの母さん


ーー母さんはいつも此処で待ってなさいって言って、1人でご馳走をとってきてくれる。
昨日はバッタしか捕まえてこれなかったけど、今日は雀を捕まえてくるって意気込んで行った。

今日はすごく寒くて動きたくない日だけど、動かなかったら本当に死んじゃうんじゃないかってぐらい身体が冷たくなるから、寒かったらあそこの大木まで走って上に登って、またこのアパートの下に戻っておいでって母さんに言われた。
だからぼくは母さんが戻ってくるまでの間、何回も大木まで行って戻ってきた。怖かったから上には登らなかったけど、もう10回ぐらいは繰り返してる。すんごくお腹空いた。母さん早く戻ってこないかな。

母さんは冷たすぎてぼくの手が硬くなると、はぁはぁって息を吹きかけて暖めてくれる。そして、おいでって優しく笑って僕を抱きしめてくれるんだ。
それに雀をとってきた日の母さんは、全部お食べって言って自分は食べないんだよ。ぼくが食べてる姿を見てる方が嬉しいんだって言って、にしゃって本当に本当に嬉しそうに笑う。たくさんたくさんお食べって笑う。



ーーあなたは産まれた時から兄弟より一回りも二回りも小さくて、母さんはしっかり育つかとても心配だったの。あなたが、兄さん姉さんって呼んでた他の兄弟は、実はあなたと同じ日に産まれたのよ。あなたは三つ子なの。身体の大きさが極端に違ったから、あなたは勘違いしたのねきっと。

他の兄弟達が立派に巣立っていくなかで、あなただけは母さん母さんって、ずっと側にいてくれたわね。ありがとう。

正直に言うとあなたは巣立てないかもしれないって思った。木にも登れないし、獲物も捕まえられない。このまま1人にはできないって思ったの。

だから、母さんは残りの人生をかけてあなたを守ろうと思った。
寒い日にはあなたを抱きしめて、雨の日にはあなたが濡れないように盾になって、暑い日には涼しい寝床を探して。

だけど、だけどね。あなたは男の子だから。
この世界には『縄張り』というものがあって、あなた自身が強くならないと、生きていけないの。
ごめんね、本当にごめんね。

あなたが1人でも生きていけるように、いや1人でも家族や友達を作って自分の居場所を作れるように、母さんが全部あなたに教えてあげるね。
木の登り方も、獲物の捕まえ方も、友達の作り方も。
母さんは何にも持ってないの。だけど、何にも持ってないけど、あなたにあげれるものは全部あげるね。全部あなたに捧げる。母さんは何もいらないの。あなたが、ただ幸せに生きていってくれたら良いから。

ーー少し温かくなってお昼寝がしやすくなった季節に近所の白と黒のまだら模様のおじさんが「みゃおー」て大声で彼女を探しだした。昼も夜も探してるもんだから、僕は面白くっておじさんの声を真似して遊んでいたんだ。そしたら、おじさんが怒って文句を言いにきた。
母さんがぼくの前に立っておじさんを威嚇する。
おじさんは「女には手ぇ出せねぇから今回だけだぞ」と言って、小声でぶつぶつ言いながら去っていった。

その頃から母さんの地獄のレッスンが始まった。
一つ目が木登り、二つ目が獲物を捕まえること、そして三つ目が捕まえた獲物を真向かいの軒下に住んでる三毛猫親子にお裾分けすること。

暑い太陽がさして、寝床を土からコンクリートに移した頃には、ぼくはこの二つ目までのレッスンをクリアできた。獲物の捕まえ方がわかると捕まえるのがとっても楽しかった。
だけど、三つ目がどうしてもクリアできなかった。苦労して捕まえたのに、どうして『お裾分け』なんてしなきゃいけないのか。
ある日、ぼくは泥だらけになりながら『モグラ』という大物を捕まえた。母さんに食べさせてあげたくって、重い『モグラ』を引きづりながらぼくは急いで帰った。
それなのに、母さんは平気な顔で「三毛さんにお裾分けしなさい」と言った。
駄々を捏ねたけど、母さんは怒った口調で「いきなさい」と言って目尻をあげた。

仕方なく、ぼくは三毛さん家に向かったけど悔しくって道中『モグラ』を半分食べて、残りの半分を三毛さん達にあげた。
三毛さん達は「ありがとう、ありがとう」と何回もぼくの手を握って頭を舐めてくれた。
それから何回か寝たら、三毛さんのお母さんが『お裾分け』といってコオロギを沢山持ってきてくれた。
母さんは「ね?お裾分けして良かったでしょ」って、へへって得意気に笑った。


少し涼しくなったある日、母さんは僕に言った。
「もうあなたは大きくてしっかり者だから隣町まで1人でお出かけしてごらん。そしてお友達をたくさん作っておいで」
それから母さんは2回ぼくの手を握っては離し、優しく微笑んだ。
隣町に向かう途中、小さくなっていく母さんに聞こえるように「こわいよ」って大きな声で言うと「大丈夫大丈夫。がんばれ」って母さんも大きな声で返してくれた。

これがぼくが母さんを見た最後になった。


ーー隣町では、三毛さん家の末っ子が先に来ていてぼくに仲間を紹介してくれた。
ぼくは『モグラの兄さん』てあだ名をつけられてその町でちょっとしたヒーローになった。
母さんが出した3つのレッスンの意味がようやくわかった気がした。

母さん。あれからずいぶん時間が経ったけど、未だにぼくは母さんに似た黒茶の綺麗なサビ色の猫を見た時、じわっと胸が暖かくて涙がこぼれそうなくらい優しい気持ちになるよ。
大好き。大好きだよ、母さん。
元気で幸せでいてね、ぼくの母さん。

当方、個人で保護猫ボランティアをしております。頂いたサポート費用は保護猫の飼育や医療費に充てさせて頂きます。