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Twitterで遊んでて思うこと

こんにちは、Kohei(@ko_shanghai)です。
中国との出会いを連載で書きたいなぁと思いつつ、気分転換でTwitterを昨今のTwitterを見てて思うことをたらたらと書いて見たいと思います。(2回しかまだ投稿してないのに気分転換って・・・って指摘はしないでね)

〜注意点〜
・特定のどなたかを攻撃したいわけではありません
・一部、心理学用語も使ってますが、専門家ではないので必ずしも正しくはないかも知れません
・私がTwitterを始めたきっかけから考えるに、普段TL領域はかなり狭いので、他の世界では同様の事象は起きていないのかもしれません

大きい主語のレッテル貼り→闘争の発生

TLを眺めていると「〇〇人は〇〇だ」、「〇〇国では〇〇されたことないけど日本では〇〇されたことがある(逆パターンの場合もあり)」というようなツイートが時々散見され、それに対する同意/賛同、反対意見が飛び交っている時があります。
大多数が恐らく、ご本人の経験/伝聞に基づいた内容であるように思えます。

この種の人の正義感であったり、長年の経験から蓄積された概念を外側から刺激するような書き込みに対して衝動的に反論したくなる気持ちが沸いてきます。(するかしないかは置いといて)

なぜ同じようなやりとりが日々繰り返されるのでしょうか?

関連する内容を取り扱った記事を参考にしてみると、この種の書き込みに対して「鉄拳(鉄ツイ?)制裁」をすることで、脳の快楽中枢が刺激されるようです。つまり、「レッテル貼りツイート」をする方々は人間のこういった特徴を利用することで、「レッテル貼りツイート→大多数からの制裁→PV数、エンゲージメントアゲアゲ」という方程式狙っているのでしょうか?

個人的には「レッテル貼り」が正である証明をするのは、最大140文字のツイートでは無理があると思います。なぜなら、「レッテル」の証明するだけのデータ量、仮説、仮説の実証を書ききれないから。

ちなみに、大多数のレッテル貼りのような経験則や先入観で答えを導き出すやり方は「ヒューリスティックス」と言うらしいです。へぇ・・・。

やっぱり、こういう類のツイートを攻撃して得られる快楽って無意味ですよね?
結局、証明としてはあまりにも稚拙なものを倒したところで何の意味があるのだろう・・・って思っちゃいます。

真偽の不明な海外ニュース、サプリメント、水、美容化粧品/器具、ビジネス、キラキラビジネス論、様々な製品や考えがSNS上にはデブリのように散らばってますが、取捨選択するのは自分です。
結局、下記の言葉が真理な気がします。

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なんか意味不明なこと書いたけど、満足したからこれでいーのだ!

Kohei

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