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持つべきものは。

ながいながい連休のうちの4日間は、東京の実家で過ごした。こんなに長く帰れたのは、長野へ越して以来初めての幸運。母と過ごし、旧友と会い、自分の立ち位置を確認できたような気がする。
特に友人の新居を訪問できたのが大きかった。

彼女とは高校時代の同級生。お互い天然で、歯に絹着せぬ性格と、好みが似ているせいか、卒業してからもたまに連絡を取り合って近況報告をする仲だった。けれど、わたしが先に結婚・出産をして、東京を離れてからは、だんだんと疎遠になり、彼女の結婚式以降はまったく会う機会がなかった。彼女はFacebookなどもやっていなかったから、子どもが産まれたことさえ、年賀状で知ったぐらいだった。

8年ぶりの再会

いつしか8年の歳月が流れた去年の秋、家族旅行で蓼科高原に行くからとメッセージが届いた。
私のいるところからそこまでは高速を使っても2時間以上の距離があったけれど、連絡をくれたのがうれしくて、娘を連れて会いに行った。
高校の頃とほとんど変わらない童顔の彼女が、1歳半の子どもを抱いたり、注意したりしている姿が、微笑ましいと同時に、妙な感覚だった。
卒業した年齢と、今の年齢が倍以上にもなっていることを知ったとき、「20年ってひくよね」と笑い合った。

マル高出産を遂げた彼女は、既に育休を終え、子どもを保育園に預けて、銀座まで通勤しているという。
お互いに子連れだったし、8年分の積もる話を1時間でできる訳もなく、「もっとゆっくり話したいね」「今度帰省する際には連絡するね」と言って別れた。

そして、その約束は意外と早く実現した。

高級住宅地で暮らすという選択肢

彼女の家は、東京郊外の高級住宅地にあった。建築士の旦那さんが設計して大工のお父さんが建てたという一軒家は、陶芸が縁で出会った2人の審美眼で統一された素敵な家だった。トイレの照明がシャンデリアで、どんなセレブな暮らしかと驚いたけれど、室内には生活感もちゃんとあった。

そんな非の打ち所がないような空間で暮らしながらも、ぶつぶつと旦那さんの愚痴をこぼしたり、犬を叱ったり、決して現状に満足していない感じの彼女を見て、なんだかほっとした。
その上、彼女は育休から復帰して一年もたたないのに、転職するという。しかも今の会社より待遇がよく、通勤時間も短縮されるというのにも驚いた。年齢やタイミングを考えると、奇跡みたいな話だ。
10代の頃から、少女のような顔と裏腹におばさん的な図太さのある女子だった彼女。幸せに浸かるのでなく、向上心をもって道を切り開いているその生き方に、圧倒されながらも力をもらった。
そして、自分がもし東京で暮らし、仕事を続けていたら、どんな家に住み、どんな生活をしていたんだろうと、少し心をざわつかせながら帰路についた。

こんな風に気まぐれに連絡をとるぐらいの仲を、親友といっていいのかはわからないけれど、彼女は人生でずっと付き合いたい友人であることは確か。
次に会うときには、お互いにどんな変化があるか、楽しみだ。

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#1979年生まれ

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