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ミイラを見てきた

上野にミイラを見に行ってきました。ミイラ(死体)をお金を払って見に行く、何かゾッとするイメージがあって足が向かなかったのだが、貴重なものという事で見てきました。

実際に行ってみると、展示は豪華絢爛で、多彩な芸術品を見たような後味。

人が死者を悼み、「あの世」へ送る行為が、時と場所を隔てても現代の我々と全く変わらないのである。いやむしろ古代の方がより丁寧に悼んでいたのではないか?

死者の再生を祈り、肉体を残すためにミイラとして保存する。ミイラにするための技術。棺に描かれる緻密な絵画や副葬品。死者のためにここまでのエネルギーと時間を費やすのは、正に人間だけがする事であり、何か人としての本質があるような気がする。

再生の思想や呪術的な意味を込めた副葬品は、縄文時代の埋葬にも見られる。ずっと質素だけど。

死への恐れと、再生への願い。縄文初期ではずっと素朴な感覚で死んだら自然に戻り、また生まれてくるという大きな循環の中で生を捉えていたようだ。後に宗教は死後の世界や再生の物語を紡ぐ。

我々は死んだら、目に見えた物質的には消滅するのだが、死者と語り合ったり、死後の世界を信じて丁重に葬る事は、死者だけでなく残った生きている人間を癒し、慰める行為なんだなぁと感じました。

最近は肉親が死んでも、通夜や葬儀を慌ただしくやるだけで、ゆっくり悼む時間もないような気がしました。

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