初めて「アートの役割」を考えた話

だいぶ前に書こうと思って書いていなかったことを思い出したので。

2020年はちょこっとばかし美術館に行くことにはまりました。

といっても、正直アートや美術(一緒か)の良さは分からないものが多いのですが、なんというか、洗練された空間や建物で、贅沢な時間を過ごすことのできる感覚にお金を払う価値を見出したような、そんな気分を味わうことができます。

あとは、スタイリッシュな現代建築が好きなので、美術館建築を求めて足を運んだり、行きたいところリストにいくつかの美術館を溜めたり。

建築や空間やアートやデザインに興味を持ちだしたのは、たぶん今のゼミに入ってから。ただ、「これだ。」って心から思えたのは軽井沢に旅行に行ったとき。特に千住博美術館にめちゃくちゃ感動して、お土産ショップでは撮影禁止だった館内の写真が映っているポストカードを全種類お買い上げしました(笑)

軽井沢での話はこれくらいにして。

ここでは12月の末に足を運んだ森美術館の「STARS展」で出会った一つの作品について、思ったことを残しておくことにします。

私にとって強烈なインパクトが残って、しばらく胸がざわざわした作品。

それは、村上隆の「原発を見にいくよ」という動画作品です。

約8分間の動画で、東京に住む若い男女がデート感覚で福島の原発を見に行くという内容のものでした。

のほほんとした雰囲気で、途中に頭から離れないようなポップなメロディーのうたが何度か繰り返して流れていて。

8分間の作品を見終わったあとの正直な感想は、「なんだこれ。」

はじめは、この作品で何を伝えたいのかさっぱりでした。ただ、こころの中にモヤモヤというか、ざわざわというか、とても口悪い言い方でいうと胸糞の悪い(口悪すぎる)、そんな感覚になりました。

そのまま他の作品を見て回って、家に帰ってからすぐに「村上隆 原発を見にいくよ」で検索しました。

一般の人がこれを見た感想や考察を書いたブログをいくつか見つけて読んでみました。

ここではじめて、「なるほど」と腑に落ちました。

ネット上の考察によると、いまだに課題が山積みの福島原発の問題に対して日本人は作品中の男女のようにのほほんとしすぎているのではないかと警鐘をならしている、とのことでした。

たしかに、と思いました。深い。

ただ、なぜ作品の男女がネコの被り物をかぶっているのか、などなど、心に引っかかったポイントはまだまだ多く残っています。

この一連の出来事から、私ははじめて「アートの役割」について考えました。

福島原発の問題に警鐘を鳴らすなら、メディアで語る、本を出す、論文を書く、SNSで発信する、などたくさんの方法がこの現代社会にはあると思います。

だけど、そうじゃなくて、アートによってある意味遠回しに、婉曲的に人々に伝えることにも大きな意味がありそうだなと感覚的に思ったこのとき。

ダイレクトに「福島原発を風化させない!」と声高々に叫ぶよりも、一見何を伝えたいのかが分からないようなアートがなんとなく心に引っかかってモヤモヤして、ぐるぐると考えることが、その人の心にずっしりと残るものがある気がしました。

自分の中で考えるだけじゃなくて、「これ、どういう意味だろう?」と他者と一緒にああでもないこうでもない、これかもしれないあれかもしれない、と議論を交わすことにも大きな意味があると思います。

いろんな感情やいろんな意見や分かること分からないこと、たくさんのものが自分に雨のように降りかかって心が湿っぽくなった、そんな感覚を味わいました。

婉曲的に人々に何かのきっかけを与えることで、それ以上の意味や価値を多種多様な形で人々や社会の中で生まれる。

これが、アートの役割のひとつなのかもしれない。

そんなことを考えた12月末のお話でした◎


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