またすぐ会える、なんて言わないから

1週間前
大切な人を亡くした
迷ったけど、この気持ちをここに書き残そう

金曜の朝5時だった。

ケータイが鳴り止まない。

こんな時間に誰から。寝ぼけながら見た画面には、弟の名前が映っていた。

「朝から申し訳ないねんけどさ、ジージがさ、、」

声が震えていた。

祖父の訃報だった。



尊敬する祖父だった。

小さい頃は、よく旅に連れていってもらった。

奈良の法隆寺、滋賀の彦根城、山口の秋芳洞。

中でも、冬の京都で見た雪の金閣寺は、忘れられない。

今でも鮮明に覚えているくらい、美しかった。


お酒が大好きな一方で、ゴルフと散歩も趣味だった。

2駅くらいなら、平気で歩く。

酔っ払うと、ベートーヴェンの交響曲第9番をドイツ語で歌いながら帰路につく。

自分で指揮をしながら帰っていくその姿は、近所の名物だったとか。


新しいものには常に好奇心を持ち合わせ、母が付けていたApple Watchには興味津々だった。

恥ずかしがらず、聞きたいことを素直に聞けるところも、祖父の人間味を表す一面だった。


コロナが始まった頃は、専門書を何冊も買って、熱心に感染症の歴史について勉強していた。

ちょっとした専門家よりも詳しくなっていたと思う。

たくさんの蔵書が並べられた書斎は、まるで小さな図書館だった。


そうやって知識をアップデートし続けているから、思考が柔軟で、いつもみんなの相談に乗ってくれていた。

分け隔てなく、誰にでも温かみをもって接する祖父は、一家にとって大きな存在だった。



そんな祖父は、昨年から病気と闘っていた。

家族のために生き延びようと、手術を繰り返した。

元気だった祖父が急に痩せていくのが、寂しかった。


それでも、好きなお酒のボトルを隠し持って「これ、退院したら飲むんや」とニヤッとしていたらしい。


外出の時、リハビリの時、僕があげた「SOPHIA」と書かれた大学のTシャツをよく着ていた。


物をプレゼントされることをあまり好まない祖父が、珍しくお願いしてきたから、色違いで3枚あげた。


入院中はそれを着回していて「なんですかそのTシャツ?」と看護師さんに尋ねられると、嬉しそうに答えていたらしい。



半年以上の入院を経て、やっと退院。


そんな矢先のことだった。


自宅の冷蔵庫で、イカの塩辛が切れていたのに気付いて、炎天下の中、歩いてスーパーを2軒回った。

その夜、容体が急変して、亡くなった。



ちょうど、僕はその日に大阪出張が入っていて、翌日は会いにいくつもりだった。


あまりに急で、言葉が出なかった。

帰省したときは、必ず顔を見せに行っていた。


だから、もっと会っておけばよかった、という後悔はない。


だけど。


もう少し、長いウンチクを聞いてあげればよかったかな。


もう少し、晩酌に付き合ってあげればよかったかな。


何より、もう少し、一緒にいたかった。

そんな小さな後悔が、頭を巡り巡る。



葬儀の時、祖父の旧友が何人も来ていた。


80を超えて、これだけの友人や後輩に慕われていることに驚いた。


「山本さん、ほんまにありがとう!!」


花を添えながら、おじいさん達が棺に深々と頭を下げていた。

与えた分、たくさんの人に愛されていた。



祖父はよく言っていた。


「お前にとっての幸せはなんなんや」。


多くを語らないけれど、その姿や振る舞いから、人生で大切なことをたくさん教えてもらった。


学び続けるのが人生だということ。



家族を愛し、大切にすること。


間違っていたら素直に謝ること。


自分にとっての幸せを追い続けること。



またすぐ会える、なんて言わないから。

大変だったよね。ひとまず、ゆっくり休んでよ。

次に会う時までに、たくさんの経験を積んで、少し大きくなった姿を見せたい。

その時は、乾杯して、いつものようにゆっくり聞いてよ。



生を受けた瞬間から、誰もが死に向かって歩いている。

だから、少しでも後悔することがないように、最後の最後まで楽しみたい。

強く、真っ直ぐなあなたのように。

これからも生き続けたいんだ。


本当にありがとう。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?