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天国に逝った父へ

2020年8月5日(水)22時29分。父が74歳でこの世を去った。
ここ8年くらいは血液透析をしていたけど、7月末に症状が悪化して緊急入院するまでは普通に元気だったし、次に孫(4歳の双子の娘)に会うのを楽しみにしてくれていた。

コロナ検査が陰性で、やっと家族で面会が出来たけど、もう意識は無くて人工心肺や人工呼吸機をつけた父は痛々しく、何か声をかけるよりも見ていて涙が止まらなかった。
母と兄二人と決めていた通り、これ以上の延命措置はせず、最後は出来るだけ安らかに眠って欲しいと思った。

これまで育ててくれてありがとう。
長い間、本当にお疲れ様。
こんな状況じゃなければ、せめてもう一度、可愛い孫の顔を見せてやりたかった。

父は新潟県の西山町生まれ。
中学を卒業後に上京して親戚の叔父の所に小僧として入り、大工になった。若林家は代々職人家系で父の兄弟も大工だ。
その後、同じく新潟出身の母とお見合い結婚して3人の子どもが産まれた。(私は一番下の3男)

小さい頃はよく建設現場に届け物や墨付けの糸や材木を押さえる手伝いなんかもしていたけど、大工の仕事やその息子は「なんかスマートじゃない」と思って好きじゃなかったな。

「サラリーマンは何もしなくても毎月給料が振り込まれて良い身分だな」
「職人は自分で仕事取って稼がないといけないから大変なんだ」
それが父の口癖だったせいもあったんだと思う。

当時は娯楽が少なかった新潟出身の父が唯一楽しみにしていたのは巨人のプロ野球中継を観ること。

「なんで今のを見逃すんだ(怒)」
「ど真ん中じゃねえか(怒)」
(いやいや、どう考えてもアウトローギリギリのストレートだよ。。。)と何度思ったことかわからない。

そんな影響もあって男3人兄弟は小学校の野球クラブに入り、父はコーチをやっていた。

「ヒットを一本打ったら100円小遣いやるぞ」
「何であんな球が取れねえんだ(怒)」
センターを守っていた私がエラーをして戻ると、コーチの父親に頭をひっぱたかれ、泣きながら次の打席に入ったこともある。
(涙でにじんでボールは見えないから打てるわけがない)

負けた試合で片づけをしていたら、「ちんたらしてんじゃねえ」と頭をひっぱたかれ、周りのチームメイトや親から不憫に思われたこともある。

腕の良い大工の棟梁で、独立して自分で仕事を取って、職人さん達を使うようになっても、職人気質の父は仕事を大きくするのは向いてなくて、月末の支払にみんなを集めて家で宴会をするのが好きだった。

母は本当に大変だったと思うけど、
「ああいう人だから仕方ない」
「それが楽しみで仕事しているんだから」
が口癖だった。

父は大工のくせに自分の家を建てることには全く興味が無くて、うちは平屋一戸建ての家賃は確か月3万5千円くらいの家に住んでいたから、子どもは3人で4畳半の部屋に暮らしていた。(物理的に無理がある)

唯一大学まで行った私に父が勉強をしろと言ったことは一度もない。
むしろ、スナックから飲んで帰ってきた父に言われるのは
「こんな遅くまで勉強なんかしてんじゃねえ。早く寝ろ」
(隣の部屋は兄ちゃん二人が寝てるんだから…)

大学を卒業してコンサルティングファームに入った後は、やはり世界観の違いであまり話がかみ合わなかったけど、30歳近くなったころから違う感覚が芽生え始めていた。

「自分の仕事に対するこだわりは父親譲りの職人気質だな」

冷静に考えてみると大工は、職人さんの仕事は本当にすごい。
だって材木やら瓦やらを組み上げて、人が何十年も暮らせる一軒家をつくれるんだから。
跡を継ぐ子どもはいなかったけど、今でも父が建てた家に住んでいる人たちがいるんだ。

今こうしてnoteを書いていても、まさに昭和を生きる「ザ・ 職人」の父に関するエピソードは尽きない。

結婚式のスピーチでは緊張しすぎて震えながら「これから暑い夏を何とか、何とか家族みんなで乗り切っていきます」と訳の分からないことを口走ったのが、かえって来賓客の胸を打った話も懐かしい。

でも仕事を引退して、可愛い孫(双子の娘)ができてからは本当に嬉しそうに電話をくれたり、遊びに来てくれた。
うちは男3人兄弟だから、もしかしたら一人くらいは女の子が欲しかったのかもしれない。

ここ数年は少し体調が悪い時もあったかもしれないけど、庭いじりをしたり・お花を育てたり、自分で家の掃除をしたり、息子の自分からはゆっくりで、穏やかで、優しい時間を過ごしているように映った。

そんな父の容体が悪化し、救命救急センターに運ばれたのが先週末。コロナ陰性の結果が出るまでは荷物の中の保険証すら出せなかった。透析が出来ないくらい血液が流れなくなっていて、もう回復は見込めない。

「おじいちゃんがもうすぐ天国に逝っちゃうかもしれないから、明日パパは病院に行ってくるね」

双子は自ら「おじいちゃんにお手紙書く」って言ってくれた。

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実家の居間で何気なくテレビを観ながら、父に言われたことがある。
本人は覚えてないだろうけど、これが一番印象に残ってる。

「家族5人養っていくのは簡単じゃない。」

今は自分が父親になって、これからも何度も思い出す言葉。


これまで育ててくれてありがとう。
長い間、本当にお疲れ様。
空の上から孫の成長を見守ってあげてください。

どうか安らかに。

今は何者でもない、あるいは見知らぬ私の挑戦を読んで下さり本当にありがとうございます。 あなたのフォローやスキが本当に励みになります。