【映画感想】ターミネーター: 新起動

今はもうすっかりやらなくなったんですけど、一時期パチンコにハマってましてね。一番金突っ込んでたのが「ミルキーバー(権利物)」とかだったから、もう20年くらい前になるのかな。

当時はアルバイトしてたので、5千円壱万円という金は大金でした。それでも大当たりしないまま持ち玉が無くなるとまず財布を確認して、これスッたら今日メシ我慢すればいいやってもう千円突っ込んで、気が付けば財布がカラになったんで銀行のATM行って、これスッたら電話とか止まってもいいやってお金下ろしてパチンコ屋戻ってまた同じ台に座ってそれ全部突っ込んで、仕方がないから以前作った消費者金融のカード使って限度額まで借りてそれ突っ込んで結局当たらず……という一日を過ごす程度にはハマったことがあります。

その後もスロット含め、ちょこちょこと打つことはあったんですが、以前のように生活が破たんするようなやり方はしなくなっていて、「ああ今月外呑みは出来ないや」ってくらいで止める感じで。

んで、数か月前、冷やかし程度にパチンコ屋行ったんですよ。その時点で最後に打ってから7、8年は経ってたのかな。座って二千円ほど打ったけど、何の面白さも感じられなくて、もういいやって店出たんですよ。すっかり中毒から抜けていたんですね。

何でだろうなぁって考えたんですけど、ひとつには現在一括で5万10万稼ぐ方法が、パチンコじゃなくても自分にはある、ということ。当時はどこをどうひっくり返しても、自分がお金を稼ぐ手段の単位は「時給」しかなかった。それが今では単発の制作仕事請けて、あとは自分の手さえ早ければパチンコよりも確実にその額のお金を手に入れる事が出来る。加えて、その仕事をしている間というのは、パチンコでのひたすらデジタル液晶を見つめてハンドルを握っている時間とは違い、自分にとって有意義かつ生産的なものであるからだと。

あの頃有り金全部スッて借金まで抱えた自分の肩を叩いてこう言いたい。

「時間の無駄だ、金が欲しけりゃ真面目に働け」


ターミネーターシリーズは、3作目以降はぼくがパチンコの確変を期待して金を突っ込み続けた心境を思い出させる「今度こそ当たる、今度こそ当てる」映画であります。

低予算でありながらその設定・演出の上手さと、アーノルド・シュワルツェネッガー演じるターミネーターのしぶとさで成功した一作目。最新鋭のCGIによる今まで観た事もない映像でハリウッドSF映画の新たな地平を切り開いた二作目(テーマソングには当時飛ぶ鳥落とす勢いの人気だったガンズ・アンド・ローゼズが楽曲を提供)。

ここで止めときゃよかったのに。

映像的には何の目新しさも無く、新型ターミネーターもT-1000を超えるインパクトは無かった三作目。「未来は変えられなかった」というシリアスな「オチ」をつけてしまった事で、流れ的には「1」で話されていた核戦争後の世界を改めてなぞりながらも特にその先の話が観たいとは思わなかった四作目。

何度観ても涙してしまうクライマックスと、タイムパドラックスものとしては綺麗に着地出来たエンディングにより二作目で一旦閉じられた世界は、まだ行ける、まだ売れるという誰かの思惑から幾度もこじ開けられ、はたして今回の「新機動/ジェニシス」においては、これだけ認知度があり「間違いがない」はずのリブートが、前代未聞の大赤字という結果になってしまったのです。

その理由を端的に言うと、シュワルツェネッガーが主役だから。

えっちょっとまって、シュワちゃん抜きのターミネーターなんて考えられないよ、という人も多いでしょう。確かにぼくも、四作目のサム・ワーシントン演じるT-RIP型のターミネーターには物足りなさを感じました(悪くはなかった)。でも今回観た人なら分かる通り、シュワちゃんは現実世界では人間であり、どんどん歳を取っていくのですよ。それを設定として「外皮も人間と同じように老化する」などと謳っても、やはり無理がある。

リブートするなら改めて屈強な肉体を持つ若手俳優とかをT-800として起用しないと、もう作る意味ないと思うんですよ。

あとストーリー的に、話を膨らませるのがそもそも難しいという事。

人間とターミネーターとの攻防という本作の基本筋は、なかなかに複雑というかいいかげんです。

・スカイネットがターミネーターを過去に送り込んだのは、抵抗軍リーダーであるジョン・コナーの母親であるサラ・コナーを殺すため
・それを阻止するために送り込まれたカイルはそのサラとヤッちゃって、産まれたのがジョン

まずここで話がグルグルしてます。

・ジョンがスカイネットが苦戦を強いられるようなやり方を知っていたのは、自分の母であるサラ教えてくれたから
・サラにスカイネットの攻略法を教えたのはカイルで、それはジョンから教わった

輪をかけて話がグルグルします。

つまり、第一作目が面白かったのは、このように物語をメビウスの輪のような設定にして、それを観客に徐々に感づかせるような演出で明かしつつ、けれども目の前のターミネーターに殺されたらこのループは終わる、という緊張感をもたせることが出来たからだと思います。

二作目は、既にジョンは産まれて高校生まで育ったが、やっぱ殺されたら終わり、という設定です。しかも一作目ではあれほどの恐怖だったT-800が、今回は味方だということが判明する驚きの展開です。そこへ来てT-1000という、「どうやったら倒せるか分からない」新型ターミネーターも登場します。サラ役であるリンダ・ハミルトンの乳首出しセックスシーンが観れたハードな前作と違い、少年とターミネーターとのユーモラスな交流など加わりマイルドになった続編でしたが、審判の日を避ける事は本当に出来たのだろうか、という疑問を観客に委ねたまま終わることで、パラドックスに対する突っ込みを回避出来ていた気がするのです。

「新起動/ジェニシス」は、とりあえず「審判の日そのものが絡んでくると話がつまんなくなるよね」という程度には勉強していた作品でした。ターミネーターというタイトルである以上、過去を変えるためにターミネーターが来る、という事からはじまんなきゃダメ、という事は「審判の日は起きました、未来では息子さん闘ってます」という線は外せない、と。それはいいんですよ。

でもね、この作品、一作目二作目を観てない人が観たらどう感じるのかな、というほどに、どんでん返しに次ぐどんでん返し、それも観客に「えっ!?」って言わせたいだけのどんでん返しが続くんですよ。もうこのあたりに製作者の苦悩を感じましたよね。

2015年は、往年の大ヒット作の続編が連発された年でした。007、スターウォーズ、マッドマックス、ロッキー(クリード チャンプを継ぐ男)など。どれも素晴らしい作品でしたが、特に感じたのは「前作までを観ていない観客にも、ある程度分かるように物語をつくる」という配慮がなされていることでした。

対してターミネーターは、その登場場面からして第一作目を観ていないと一つも驚けません。裸で現れたT-800を、年老いた外皮のT-800が撃つ。歴史が上書きされている! という驚きは、それまでの作品を観た人にしか楽しめないのです、リブートのくせに。

1と2がミックスされた世界、それ自体は悪くはありませんでした。しかしそれを前フリとして立ちはだかる今回の敵が、しょぼくれたおっさんターミネーターってのは勘弁してほしかった。

「今度の敵は抵抗軍のリーダーでありサラの息子!!」 そこだけ聞いたらええってなりますよ。でもそれだったらどんな能力があるかは別にせよ、一瞬見ただけで

「ああっこいつは難敵だ!!」

って思わせるルックスか、一目見て太刀打ちできないってわかる能力を見せなきゃダメじゃないですか。そもそもジョン・コナーと言えばエドワード・ファーロングですよ。学生服着て国民的美少女と一緒に大黒摩季のBGMでホットヌードル食ってた美男子ですよ。何でこんな、ジョン・C・ライリーの出来そこないみたいなヤツにやらせるんですか。

映像的にもずっと「何かアメリカのテレビドラマ見てるみたい」という、映画にしては重厚さに欠ける感じで、何の工夫もありませんでした。確かにもう驚くような映像なんて撮れない時代なのかもしれないけど、だったらそれこそ、観客を引き込めるようなストーリー作りに注力すべきではないでしょうか。

そしてシュワちゃんはターミネーター役から身を引いてほしい。ハン・ソロもロッキー・バルボアも、次世代の若い連中にバトンを渡すポジションになっていたじゃないですか。「ラストスタンド」では現場から身を引いた現・保安官をいい感じに演技出来ていたんだから……。

そう思っていたところに朗報が飛び込んできました。喜ばしい事に、当初三部作として想定されたこの作品の続編制作が中止というアナウンスが、映画会社から正式にありました。やったぜ!!

とりあえず本作の結末は「めでたしめでたし」で終わっていたし、「しかし実は……」みたいな重ねオチもべつにもういいよねという出来だったので、このリブートはこれでお終いでいいんじゃないかな、と思いました。

おしまい

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