隣人愛について4

「生活世界」Lebenswelt


「生活世界」という概念がある。現象学者のフッサールが提唱したものだ。

「科学によって理念的に構成される以前に、われわれが身体的実践を行いつつ直観的なしかたで日常的に存在している世界のこと」。

物事を抽象化する科学は、我々から超越したもののように客観的な装いで提示される。しかし科学の真実性は、本当は我々一人一人の生きている生活へのフィードバック(実感)によって担保されているものだ、とフッサールは考えた。

フッサールはこの概念を通じて、近代科学が客観的、普遍的なものを追求する過程で見失った原点を思い起こさせた。実感できないことはとりあえず「」(括弧)にいれて保留しておこうという態度(エポケーと言われる)は、生活世界への着目があってこそ意味を持つ。

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隣人愛は、この「生活世界」で行われる営みである。生活世界で行われていることはエポケー(判断停止)する必要はない。だから、隣人愛の実践に躊躇は無縁だ。

普遍性を追求した科学が、フッサールの言うように普遍性から離れてしまった一方で、科学以前の思想であるキリスト教の「隣人愛」という概念が、普遍性を内包していたことは皮肉なことかもしれない。

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