〔シンセサイザー論〕シンセサイザーが破壊したオーディオマニアの原音忠実再生主義 ボードリヤールのシミュラクル概念をキーに
80年代を象徴する楽器シンセサイザー
80年代の有名曲には大抵シンセザイザーが導入されている。
シンセこそ80年代を代表する音色と言っても間違いじゃないと思う。
スティーヴィー・ワンダーのパートタイム・ラヴァー、ヒューマン・リーグDon't You Want Me。邦楽ならYMOに始まり、果てはTMネットワークの小室哲也なんかも。
モーグやプロフェット5など、当時は続々と新しいシンセサイザーが発売されていた。プロミュージシャンは、こぞって新しいシンセを購入して自分のサウンドに組み込んでいった。当時1台100万くらいしたらしい。
それまでの原音忠実再生至高主義
ところで、オーディオマニアには、原音忠実再生という一つの理想がある。
クラシックやジャズの演奏で、あたかもミュージシャンがそこにいるかのような、あるいはコンサートホールに自分が鎮座しているかのような、音楽環境を再現することを目指した思考だ。
マイルスのトランペットの音色が、うちのスピーカーじゃいまいち再現できてない、という不満。ベルリンフィルハーモーニーオーケストラの臨場感が家のサウンドシステムでは伝わってこない、なんていう不満足感。
ここには、電子的な再生は原音に劣る、劣化する、という暗黙の前提がある。
シンセサイザーが破壊した原音忠実再生主義
ここにシンセサイザーの革命性がある。シンセサイザーは電気的に音を作り出している。
楽曲制作者自身が、ステレオアンプを通じて、スピーカーやヘッドフォンを通じて、音を聴いている。
シンセサイザーの原音、電子回路の「ジー・・・」といったノイズを聴いても原音にはならない。つまりシンセサイザーには追求すべき「原音」は既になくなってしまったのだ。
あえて「原音」と言いうるなら、楽曲制作者が使ったスタジオと同じ機材(同機種同時期製造のシンセサイザーとそっくりなスピーカーやヘッドフォン、ケーブルを揃えて、かつスタジオの間取りや吸音材もそっくりにセットしてようやく「原音」になる。
それにしたって、ミュージシャンはいつも同じスタジオでいつも同じセットで曲を作っているわけじゃないから、厳密な意味での原音忠実再生にはならないだろう。
むしろ、豪華なオーディオルームを持つリッチなリスナーなら、制作者本人より良い音で音楽を聴いている可能性さえ生まれた。
要するにシンセサイザーの登場で、それまでのオーディオマニアが追求してきた原音忠実再生主義は、理論上時代遅れのものになってしまった。
ボードリヤールの指摘したシミュラクル
これは、ポストモダン思想家ジャン・ボードリヤールの言った「シミュラクル」に相当する。
シミュラクル(現代美術用語辞典)
実体を欠き、外観のみを有する「模像」。J・ボードリヤールによって有名になった。彼によると、消費資本主義社会において、流通する諸記号はオリジナルとそのコピーというプラトン主義的な対概念から解き放たれ、シミュラクルとして加速しつつ循環するようになる。
シミュラクルが失墜させるのはオリジナルそのものというよりは、むしろオリジナルなものとのつながりが保証されていた理想的なコピーの真正性である。貨幣をめぐる現代の諸問題に典型的に現われているように、さまざまなコピーどうしの識別基準が失われる可能性が問われているのであり、このことは「芸術」という語のもつ「信用」の問い直しを促しているのである。(石岡良治)
ポップ・アートが本物とコピーの区別と戯れて、資本主義をアイロニカルに描き出したのと同じことを、音楽の分野においてシンセサイザーは忠実に遂行した。
そうして、シンセサイザーは、近代音楽(モダン)と現代音楽(ポストモダン)の分水嶺に立つ楽器として、ギターと並んでポップ・ミュージックの象徴となるに至るのだった。
ちなみに写真は、スティーヴィー・ワンダーがパートタイム・ラヴァー制作時に使ったシンセ。
頂けるなら音楽ストリーミングサービスの費用に充てたいと思います。