AI@SFエッセイ / 人工知能は多様性を再現できるか
問:人工知能は多様性を再現できるか
今回のSFエッセイは、人工知能は多様性 / ダイバーシティを再現できるか、をテーマに少し不思議な未来について考えたいと思う。
多様性。この言葉は非常に取り扱いがセンシティブであるが、ここでは、生物的な意味での多様性から、知能としての多様性を取り扱う。文脈によっては、ジェンダー問題や、政治的な多様性についても取りうるかもしれないが、そういったことは意図していないので、ゆるく多様性について一緒に読んで考えていただきたい。
人工知能と多様性
まず人工知能と多様性を話をするには、人工知能のバイアス問題について簡単に触れておきたいと思う。
人工知能のバイアス問題
現在第三世代と呼ばれる人工知能は多くのデータから、確率統計を用いて学習することで、猫の概念(専門用語では特徴量と呼ばれる)などを学んでいく。平たく言えば、”よくみるものから学ぶ”、つまり、人間と一緒で与えられた環境 / データで育ちが変わるということだ。
ここで問題なのは、人間の教育でも問題になるように、その子がその時よくみるものは、親(作成者、教育者)や、社会の環境(国ごとの文化、法律、常識など)によって変わってくる。それは、作成者、社会にバイアスがあれば、人工知能が意図せず差別をするということである。
この辺りは、チャッピーという映画でよくあらわされているので、興味がある方にお勧めする。
人工知能にバイアスがでることは問題か
ただここで一つ立ち止まって考えたいことは、人工知能にバイアスが出ることが問題かということである。
そもそも、人工知能が学習するということは、特定のデータに対してうまく処理できるパターンバイアスを見つけ出すこととも言い換えられる。つまりバイアスを否定することは、人工知能 / 学習を否定することになる。
ここで問題になっているのは、バイアスを持つことではなく、特定の状況・環境のヒトが不利になるようなバイアスが発生しうるということである。
言い換えれば、特定の状況・環境のヒトが不利にならない、もしくは、すべての人が有利になりうるように、データ側を再生成することができれば、何が原因でバイアスが発生しているのか、突き止められるのではないだろうか。
つまり、ありうるすべての知能を再現できる可能性を考えれば、一つの人工知能を複数に分割し、異なったデータで学習すれば、知能としての多様性を生むことができるのではないか。また、多様性の中に存在する共通性が私たちが重要視するべきものなのではないだろうか。
人工知能による知能爆発という期待
"知能爆発"という言葉を聞いたことがある方もいらっしゃるかもしれない。どんな人よりも賢い超知能が発生したときに、超知能が新しい知能を計算し自分自身の知能を爆発的に増やしていくことができる状態のことを指して使われることがある。
単一知能によって知能爆発が起きた場合のことについては、以下の本にまとまっているので、ご参考にいただきたい。
が、実はここで取り上げたい知能の多様性は、超知能が知能を増やす形ではなく、カンブリア爆発のように、知能の種類組み合わせが無数に発生していくことである。
一説には、カンブリア爆発は、眼の獲得によって捕食によるエネルギー獲得性が増したことがきっかけであるとされる。エネルギーが増えることで多様な変化が同時多発的に発生しやすい状態となるとともに、捕食 / 被捕食の関係のなかでより優位に立つために、それまで緩やかに蓄積していた遺伝子の変異をより活用する形に変わっていったことで起きたとされている。特に面白い点は、現存するほぼすべての動物門がいっせいに出そろったという点でもあるということだ。
つまり、カンブリア爆発のように知能爆発が起きたときには、取りうる知能の形がすべて発生するのではないかということである。
身体性知能という目に見える多様性
取りうる知能の形を考えるときに、私たちはつい、頭の中にある神経細胞で構成されるものだけを意識してしまうことが多いが、実は、知能には、身体の形が大事であるということも知られている。
※アフォーダンスについても触れたいが、多様性とは異なるので、別のnoteにて触れる。
それは、例えば足の形などに現れており、私たちが無意識に歩ける大きな要因として、足の形そのものが、もともと何も考えなくても自動周期でうごかすことで歩けるように身体的な知能として構成されているからといったことが挙げられる。
足つながりで行けば、タコの足は、その柔軟性から、足の軌道を観測すると非線形の最適化問題を解くことができることが知られている。
つまり、言語的、身体的な計算機の構造を含めて、自己複製と生存を行えるようになったときにはじめて人工知能は多様性を再現できるのかもしれない。
ヒトは知能をはかれるか
最後に知能は一つの指標を持って測定できるかということを考えたい。なぜなら、多様性は指標という言葉と非常に相性が悪いのではないかということと、ヒトはそもそも知能を測定できるのかということに疑問を持つからである。
ヒトはよく今の現存する知能の中で一番優れたものであるとされる。現に、他の生命より、見かけ上繁栄しているように見える。
確かに、言語的な知能は、ヒトが優れているのかもしれない、しかし、言語的な知能は、あくまで、身体的な知能を介して世界を観測した結果の変換/増幅機でしかないのではないか。もしそうなのであれば、知能の多様性を考えるのであれば、
もし紫外線が見れる生物がヒトと同等の言語的知能を獲得したら
もし空を飛べる生物がヒトと同等の言語的知能を獲得したら
もし深海まで自由に到達できる生物がヒトと同等の言語的知能を獲得したら
もし宇宙まで単独で到達できる生物がヒトと同等の言語的知能を獲得したら
ヒトは、知能的に優れているといえるのだろうか。
人工知能による多様性の再現は、今ヒトが行っている現象の言語化を、ヒト以上の身体性知能を持つ状態で実行できるようにすることで、今日、明日にでも進めることができるのかもしれない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?