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Fukushima50を見て

Fukushima50とは

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2011年3月11日に発生した、東日本大震災により福島第一原子力発電所が津波により被災し原発の冷却が間に合わずに暴走し爆発した事故を主題にした映画である。原発事故が発生すると被爆地では生活が出来なくなる。ベントという作業を行えば、原発内にある格納容器の圧力が低下し爆発を防ぐことができる。日本政府と東京電力との格闘が描かれている。

日本政府の初動の遅さ

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地震発生直後は情報が少なく、日本では「地震対策本部」がすぐに開設される。そこで情報を収集し復興へとつなげていく。しかしマニュアルに書いてある津波の対策では10m以下を前提として作成されている。それを余裕で越えているために被害は想像より遥かに酷かった。被害状況が上がってこないので、現場と対策本部での情報の差が大きくどうすればいいのか現場からの指令を待つことが多かった。

現場での対応

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地震発生直後に原発を緊急停止させるために制御棒を挿入し出力を低下させ停止することができた。しかし発電設備も停止し電源が消失してしまった。電源が無くなると、格納容器内の燃料を冷却することができなくなる。しかし地下にあるディーゼル発電機が始動し冷却を開始することができた。地震により設備に不具合が発生していないか点検に向かった職員しかし、恐れていたことが現実になる。

津波に襲われる

福島第一原子力発電所に到達した津波の高さは13mにも達していた。今までに体験したことのない高さであった。その影響は大きかった。地下にあるディーゼル発電機は浸水により機能停止し冷却そのものが出来なくなり、管理室の圧力計や水圧などの情報が手に入れられなくなった。冷却でくなくなるということは、燃料が発熱し格納容器を溶かしてしまうことに繋がる。停電した時点でベントを開始し冷却水を注入することができれば爆発を防ぐことができた。

設備が到着するも進まない物事

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自衛隊の協力により消防車(ポンプ車・電源車・電源バッテリー)が到着したが、ベントによる悪影響や冷却水をどのようにして処理するのか、安全性が認められていないからできないと日本政府の主張があり進めることが難航した。政府から派遣された内閣総理大臣菅直人が到着しベントや冷却が開始された。しかしそれは遅すぎた。

ベント(大気放出)開始

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ベント開始1時間後に1号機が水素爆発を起こし、2号機側でもベントの準備が行われていたが、1号機のがれきなどが飛散し、数名がケガを負い、ポンプ車やホースなどが破損し3号機も間に合わずに爆発してしまいました。

感想

日本では最悪の原発事故であった、地震だけであれば水素爆発まではならなかった。津波があったので電源が無くなり大変なことになった。これは教訓となり想定以上のことを考える必要があると考えを改めるきっかけになった。しかし教訓は生かされてはいない、原発の再稼働が進んでいる。活断層があるにもかかわらず再稼働されているところもある。日本政府の初動の対策は遅れがちだが、現場との連携をしどうすれば良い方向に進むかを考えられている。しかし安全性が確認されないから、誰が責任を取るのなど責任が問われる問題が発生すると行き詰ることが多い。未来はわからないからマニュアルを作成し慌てないようにする。しかしマニュアルにとらわれすぎるとマニュアルにないことが発生すると対策が出来なくなる。予算がたくさん必要となるがその時を乗り越えることができれば後々良かったとなるに違いない、不十分な準備をするのであれば完璧を求めた方がいいのでは?             (ネタバレしにくいように書いたので気になれば見てください)

最後に

俺たちは自然の力を舐めていたんだ。10m以上の津波が来ないとずっと思いこんでいた。確かな根拠もなく生きてきてから40年以上も自然を支配しているつもりになっていた。慢心だ・・・。(吉田昌郎)

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