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必死について

なぜ皆そんなにも必死なのか。

必死を一種の美徳として賞賛するような文化があるというのは間違いなく理由の一つではあるのだろうが、それを”強制しようとする“のはいかなる了見なのだろうか。

たしかに必死な人が複数いる集団で、さらにその集団がある一つの目的に向かって走っており、しかしそこには団結が必要で負けられない場合は、必死でない異分子を煙たく思うだろう。
それは間違いない。
運動会や文化祭。合唱コンクール。
なんでも良いが、学生時代はそれが顕著だ。

しかし、社会人となるとそれは少し話が変わってくる気がする。

なぜだろうか。

必死の美学、団結の美学は学生時代に耳にタコができるほど説かれ、各々何かしら美学への観念的アプローチをしてきたはずだ。
しかし、社会に於いて”要求される必死“は文字通りの必死であり、所謂ブラック企業に繋がってしまう。
これはどうしてだろう。

学生時代に培う”必死“が時代の遷移とともに変容してきたかもしれない事は否めないが、そうは言ってもその場合は前時代を生きたものが”現代に合わせるべき“であって、経済や文化、世界が変容していくスピードに自ら置き去りにされていくその姿勢はもはや勤勉でもなんでもなく、ただ愚かであると認識すべきだと私は思う。

必死とは何なのでしょうか。
私はどうしても、必死にはなれないようです。

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