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好きを仕事にするまで①


わたしは小さな頃から手先を使って何かをすることが好きで、母親には「勉強出来なくてもいいから、手に職をつけなさい」と言われ育った。


洋裁が趣味の母は、洋服やバッグなど身のまわりの物を手作りしたり、はたまた籠を編んでみたり、フォークアートといって木製の板なんかにペインティングしたりと、とにかく趣味が多彩だった。
そのこともあって、普段から布やリボン、レース、糸や木材、ミシンなんかに触れることも多く、母がミシンを踏む台の上でポーズをとってご機嫌な写真が残っていたり、そんなことが日常だった。

人見知りがひどかったわたしを心配して、幼稚園へ通うための予行練習も兼ねて、母はカルチャースクールに通わせた。その時に「手先が器用やね〜」とスクールの先生に褒められたことをなんとなく覚えている。

そして幼稚園に上がってもなお人見知りがひどかったわたしを両親は、地域の和太鼓に通わせた。わたしのように未就学児がそこに通っていたのは稀で、半ば強制的に通わされたといった感じだった。年上のお兄さんお姉さん達が可愛がってくれたのをよく覚えている。人前で演奏を披露することも多かったので人見知りとかそんなこと言ってられるような環境ではなかったような気もする。

小学校に上がり、母親の裁縫道具やミシンを使って体操着入れやペンケース、お財布なんかを作ったりしていた。夏休みの自由研究は細かなドールハウスを作ったりした。

中学、高校に上がると、あれ作って欲しいとか、これ作って欲しいと人から頼まれる事が多くなった。作ることは好きだったので、頼んでくれるのは嬉しかった。

友人の母からわたしの持っていたバッグを褒めてもらった。                    自分で作った話をすると、お金を払うから作って欲しいと言ってくれた。(最終的に、お金はいらないと言ったけれど、だめ!と言って渋々受け取ったという...今考えたら本当にありがたい出来事だった。)

確かこの時が、ものを作って大人からお金をいただく初めての経験だったと思う。


その反面、自分でも出来ることをわざわざどうして私に頼むんだろう…とほんの少しの疑問を感じていた。だけどそれは口に出すほどのレベルでもなく、ほんの少しの違和感のようなものだった。

今この仕事をさせてもらうようになって、「これを出来るって器用だったんだ!」と言うことに気がついた。

なぜなら、みんなができることだけど、ただみんながやらないだけだと思っていたから。その事を特別なことだとは全く思っていなかった。

②に続く…

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