TOKYO ART BOOK FAIRに叩きのめされた話

前回のnoteではTABFを文学フリマやデザフェスと比較して、おもにZINEの売り方の違いの話をしてたけど、今回はもっと僕の内面に近い感想です。

会場である東京現代美術館に入り、気になるZINEをいろいろと手に取って立ち読みをしていたんですが、

なんか、だんだんフラフラしてくるんですよね。

体調が悪いわけじゃないんだけど、なんだか乗り物酔いしたみたいな感じ。

なんでふらふらするのかというと、TABFのZINEから放たれる「イメージの洪水」って奴にやられてしまったんですよ。

なに? 何言ってるかわからん?

前回も書いたけど、文学フリマの場合はやっぱりオタク向けの同人誌が多いわけです。そして、オタクというのは「情報量の多いもの」が大好き。だから、同人誌の内容も自然と情報量の多いものが増えていきます。

ところが、TABFの場合は、アート系のZINEが多く、イラストだったり写真だったり、言葉による説明・情報を極力省いた作品が多かったんです。

情報がない分、そこには情報では説明できない魅力があるんです。

すなわち、作者が作品に込めた「イメージ」ですね。「これこそアートだ」「かっこいい」「おもしろい」「おしゃれ」「クール」「粋」、そういった作者がアートだと強く信じたイメージがそのままZINEに込められている。そしてページをめくるとそれが一気に解放される。まさに、「芸術は爆発だ!」ってやつです。

ところが、僕の方にそのイメージを受け止めるだけの耐性がなかったんですね。『なんだこれは。何を伝えたいんだ? よくわからん」と。

いわば、魔法の耐性が全くないのに魔法攻撃を食らってしまったような状態。「なんだ今の攻撃は? 何が起きた? 何をされた?」みたいな混乱状態になって、結果フラフラになってしまったわけです。

でも、受け止めきれなかったけれど、「なにか得体のしれない攻撃を受けてキャパオーバーになった」ということは認識できたぶん、ぼくも少しアートの素養が上がってきたのかもしれません。ここ一年ほど、よくわからんなと首をかしげながらも岡本太郎の絵を追っかけてきた効果かもしれません。

岡本太郎はパリでピカソの絵を見て大きく価値観を揺さぶられたというけれど、あの時代、初めてキュビズムを見た人たちもこうだったのかもしれません。『なんだこれは? いったい何を見させられているんだ?」と。

岡本太郎は縄文土器に美を見出した時のことを「なんだこれはー!?」という言葉で表しているけど、これもまた、同じようなものなのかもしれません。もちろん、太郎には縄文土器の放つイメージの力を受け止めるだけの素養はあったはずだけど。

さて、会場からの帰り道。すっかりフラフラになった僕はすぐに電車に乗る気になれずしばらく歩くことに。どのみち、駅まではちょっと歩かなきゃいけません。

江東区のなんてことない住宅街なのに、なんだか幻想的に見えたのも、この「アート攻撃」の効果だったのかもしれません。

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