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自己紹介編


こんにちは。
19歳で大学休学中、かのんです。


12個目の投稿にして、自己紹介。


今回は、私のことを知らない人に向けて、私のことが分かるnoteを書きたいなと思います。



まず、

簡単に自己紹介


2004年3月26日生まれ

兵庫県出身

東北大学2年←休学中

好きなこと
 海外一人旅 東南アジア(特にミャンマー) 
 港で釣りして、さばいて、食べること

最近、Flying Asiaというコミュニティーを5月に立ち上げました。
良かったらフォローお願いします🙏


これについてはまた別で。


自分の中で大切にしている考えは、

過去のことではなく、今やこれからを途上国の貧困下に置かれている人たちと考えていくこと。
支援ではなくて、共に立ち上がること。
共に生きていける社会を開拓していくことです。

「今を共に生きる」です。


最近は、朝6時にzoom繋げてタスクをやろうということで、朝活やっています。毎日はできていませんが、一応もう少しで1ヶ月です。


さて。

他の投稿と被ってしまうところもあるかもしれませんが、振り返っていきたいと思います。

今までの私


私の、保育園、幼稚園、小学生時代は特に何もないですが、
学年的に5個上の兄がいたため、
2歳のときに、兄と一緒にかけ算九九を覚えて、結構言えていたらしいです。

少しだけ、記憶はありますが、恥ずかしがり屋すぎて、
言ってみてよって色んな人に言われても、言いたがらない子でした。



保育園のときの唯一の記憶は、何でかは全く覚えていませんが、先生に怒られて、大号泣して家に帰ろうとしていたことです。

保育園の頃から多少不良味があったのかもしれません。

小学校の時は、いじめの容疑を1日に2件かけられて、まじで不登校になろうとしたことだけは覚えています。

多分そういうときから、社会への不信感っていうか、なんかそういう感じの何かが募っていったんでしょうね。

とはいえ、小学生まではそれなりに学生生活を送ってました。

家族は、勉強するタイプでもなんでもないのに、
毎日自主勉強とかちゃんとやって、小学生で中学受験もしないくせに、1日2,3時間は勉強していたように思います。

そのおかげで、小学生のときは、トップの方だったんじゃないかと思います。学力なんて大して誇れるものでもありませんが。

習い事は

小1から中3までピアノ、
小1から大2の年の今月まで(休止月もありながら)書道、
小4から高3まで陸上、

を続けてはいました。

ピアノは大して弾けませんが、

書道はちょうど今月、正師範まで資格を取りきり、資格的には、書道教室がひらけるようです笑
毛筆、硬筆、かな、連綿、なんかいろいろありました。

陸上は、大して速くもありませんが、県まで行けたので個人的には満足しています。


中学生のときは、
勉強と部活をそれなりにやっていましたが、
NGOの活動でミャンマーに行ったことがきっかけで私の人生は大きく変わったと思います。

貧困とか、格差とか、知らないものが目の前に広がりすぎていて、
正直12歳の私には全てを吸収できたわけではなかったかもしれないけど、
でも、知らない世界が、身近になって、海外に出るなんて考えたこともなかったのに、将来は国際協力の道に進みたいと真剣に考えるようになりました。

中学生時代はまじでいっぱい本を読みました。


多分この本は、3回くらいは読んでいます。

ぼくは、○歳、△△。みたいな系統の本、いっぱい読みました。
中3のときの修学旅行の壁新聞のテーマは、戦争と国際社会的な感じ。
班長でもなかったくせに、このテーマにするために、納得してもらって、
一番大きい記事も書かせてもらいました。




そして、この本も2,3回は読んでいたので、
この団体の人から直接お話しを聞いてみたいと思い、「国境なきこどもたち」の事務所を自由行動の1行程に選びました。

今思えば、会いたい人に会いに行くスタンスは、中学生の頃にはもう身についていたんだなと思います。

多分、周りの同級生や先生には、こいつはちょっと意識高い系のやばいやつっていう風に見られていたんじゃないかなと思います。

ただ、ちゃんと授業を受けてそれなりに成績もいいから、何も言えない。みたいな。

中学生時代は、まじでずっと学年2位。
1位は変わっても、ずっと2位みたいな。

最後の3年の期末テストなんて、受験の次の日からテストが始まったので、前日の詰め込みしかしてなくても、2位でした。
頑張っても2位、頑張らなくても2位。そんな中学生活でした。

部活も、中1のときがそれなりに良かったくらいで、
大して練習もしてないのに疲労骨折や炎症や
なんか色々怪我が3年間続き、
2年、3年のときは長距離女子メンバー1人で
楽しいと思えるのは年に1回あるかないかみたいな感じでした。

学級委員とかそういうのは、そこまで興味なくてやってなくて、そろそろやれよみたいな圧を先生からかけられたりとか、クラスのちょっと不良児たちの隣につけられ、何かあれば視線送られて、注意しろよみたいな圧かけられたりとか、良いように言えば信頼されていた、悪いように言えば利用されていた、みたいな感じだったのかなと。

授業で誰も手を挙げなかったら挙げろと視線送られたりとか、しかもそれに応えて答えて当たってしまうので、ずっと優等生を演じざるを得なかった。
そんな中学校生活でした。

当時は大学も目指していなかったのに、高校は勉強ができる環境を選びたいと思い、地元では少し偏差値の高い高校に進学して、
朝が苦手だったけど、毎朝6時10分の始発に乗って毎朝かよっていました。

自称進学校の高校だったので、自分は下の方なんだろうなと思って入学したものの、入ってみれば思っていたほどでは全然なくて、クラスのトップ層には東大や京大を目指している人がいたので、そこには追いつけないものの、それなりの位置にいました。

今の状況で行けば、旧帝あたりには行けると言われ、そのとき初めて大学進学に目を向けたという感じでした。

部活は、全く入る気もなかった陸上部の強い勧誘にあい、
結局入部して、2年の夏で辞めるつもりだったのに、ちゃんと最後まで続けました。

朝も7時半くらいに学校に着いたら、毎朝のように朝練して、予鈴ぎりぎりで教室入って、授業受けて、部活やって、塾とか行って、1時間かけて帰ってみたいな鬼のような生活を毎日続けていました。

そんなこんなで部活をちゃんとやりすぎて、理数科だったのに、授業外の研究や研修には10回くらいあったうちの1回しか参加できず、本当に受験勉強するためだけに入学したみたいになっていました。

そんな部活は、3回くらいは県大会に行く機会をもらって、
神戸の競技場で走ることができたのはすごく思い出に残っています。

コロナがあったり、個人的には起立性調節障害で血圧、上が70とか80とか結構な低血圧だったり毎朝起きるのがしんどかったり、疲労骨折やいろんな怪我が続き、不調な中でも、最後の4×400mとか、800mとかを県で走ることができたのは周りの支えがあったからなんだろうなと思ったりもします。

ただ、最後の種目の4×400では、アンカーを任されて、少しでも上の順位になりたかったし、ベストを出したいと思って走って、自己ベストも出せた。でも、ゴール後に大胆に転倒してしまって、みんなの記憶に残ってしまったし、はじめて医務室に連れて行かれて処置をされたり、冗談抜きで首なんかなったんじゃないかってレベルのむちうちが1ヶ月くらいは続いたのも今はすごく笑い話だなって思います。

ラストレースでやらかしました。



そんなこんなで部活を引退して、勉強にシフトしたわけですが、
みんながめちゃくちゃ勉強しているから自分もやらないとと思って1日12時間とかやってたわけですが、結果論それくらいやってる人は多分ほんとうに数人でした。

第一志望には進めなかったけど、色んな先生から絶対に落ちると言われながら第二志望に出願して受かり、受かると思ってたよなんて言われながら高校を卒業したわけです。

コロナもあって、海外にはあまり行けなかったし、まだ卒業する頃もどうなるかなんて分からなくて、海外に行けない閉塞感みたいなものをずっと感じていた高校時代だったのかなとも思います。

ただ高1でもミャンマーに行けて、自分の中ではまたそれが大きな財産になりました。


そんなこんなで大学に入学して、大学ってこんなもんなんだっていう失望感っていうか、そういうものを感じて、理想の大学観みたいなものが崩壊して、タイのインターンに参加することを決めたわけです。

海外に行く機会にもなるし、社会を少しでも見てみたいということで、起業家さんたちから色んなお話しを聞くことになるのですが、思ったことは、もっと自由に生きようっていうことです。

やりたいこと、どんどんやればいいし、それを応援してくれる人だって、探せばいる。目の前の人の価値観に合わせる必要ない。

そんなこんなで、次の長期休みにはタイ、インド、ベトナム旅に出て、
特にインドに一人で行く女なんてまじの変わったやつだと認定されたことでしょう。


1人タイ


ずっと着てみたいと思っていた民族衣装を着られて満足したわけです。
これが、法的に成人を迎えた18歳のときの自分なんだなって残したいなと思って。
成人式に出るつもりはないので、タイより。

静かそうな見た目らしいのですが、やることが突拍子もないらしい。
よく言われます。

大学に行って学歴に依存した人生にはなりたくないし、サークルや部活、バイト、遊びしかやっていない大学生にはなりたくもないので、休学して自分がやりたいことを形や結果として残してみよう。と思ったわけです。

正直、自分が一番学歴に依存しているのかもしれませんが、
でもそんなことはどうでもよくて、自分のビジョンが達成できれば、学歴があろうがなかろうがはっきり言ってどっちでもいい。

家族や周りの人には、多分理解されないけど、
やりたいことをやって、しかもそれで生きていける大人になりたいと思っています。


普通に企業に就職すれば、経済的な安定性は得られるかもしれない。
でも、その内容に少しでもやりたくないことが含まれていたら、その大半がやりたくないことだったら、それは切り捨てたい。
社会そんなに甘くないことは分かっているけど、だからといって妥協したりとか、できないって諦めるのは違うんじゃないかなと本気で思っています。

パワー系に聞こえるけど、
死ぬこと以外はかすり傷だと。

だって、何言っても殺されない社会に生きているし、貧しいとはいえ食べるものくらいはあるし、それなりに安全でもある。

そういう環境が保障されていない人が世界中にはいることを知っているからこそ、自分ができる一番の国際協力は自分の人生を生きたいように生きることだと思っちゃうんです。
だからこそ、自分のやりたいことをたくさん実現していきたいと思っています。


考えていることがまだまだ甘くて、社会に通用しないと言われるんだろうけど、それでもそんな概念をぶっ壊せるような大人になりたいです。



1年後の未来

そんなこんなで今まできているわけですが、
今年1年でやっていきたいことは、

①コミュニティ「Flying Asia」のメンバー100人

アジアのリアルを伝えていくためのコミュニティメンバー
25人(現在)→100人

②タイでのスタディーツアーの実現

アジアのリアルに立ち会える人を増やすため、絶賛企画中。
ここでしか行くことのできない場所や、ここでしか出会えない人たちがたくさんいます。

③「Paint The World(仮)」の立ち上げ

国際平和を形にするプロジェクトをどんどん増やしていきます。
コミュニティーの運営もここでやっていきます。
現在はプレオープン状態で、②のスタディーツアー企画を進めています。


④イベント開催

スタディーツアーに向けて、たくさんの人に団体やツアーの存在を知ってもらうためにこちらも絶賛企画中です。
東京と、大阪or京都あたりで企画する予定です。
興味のある方はぜひ!


っていう感じです。

色んな国にも行きながら、たくさんの人に出会って、圧倒的な何かを自分の強みにできるようになりたいです。

毎日、着実に進んでいきます。

最後までありがとうございました!


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