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焦燥感

週1更新を習慣化すべく日々の移りゆく感情を残したいと思う。


4月は、始まりの月。
でも、私にとって今年の4月は何も変わらない4月だった。

1年前の今頃、人と違うことが怖くて、でもどうしてもやってみたいことがあって、レールを外れてみた。

とりあえず、とか、感情で決めるのが怖くて、決断にエビデンスをつける習慣をつけ始めた。

今年の4月普通に大学に通っていたら3年生になっていた。
周りが徐々に就活をはじめ、インターンに行ったりするんだろう。
そうこうしているうちに、就職先が決まり、最後の学生生活だから○○みたいな感じになっていく。

この1年間で自分が変わったことっていうのはそんなに多くはない。
そして、この春から1年かけて得られるものは、大学生をしているときの自分よりかは多いけど、休学して本当に良かったといえるほどのものになるかはわからない。

仮に大学を辞めてしまうのなら、この2年大学を卒業する以上の価値のあるものを持っていたい。でも、それがなんなのかまだそこまではっきりしていない気がする。

この得体の知れない将来への不安感というか、焦燥感は、今だけなのか、今後もずっとつきまとうものなのかはわからない。
でも、気持ち的には、多くの何かを得られる1年にはしたいし、当たり前に学生の身分で、でも休学しているからこそ得られるものをたくさん得たい。
それが、人脈なのか、経験なのか、スキルなのか。



なんで、こんなにミャンマーとかタイとか、そういう国の開発分野というかいわゆる国際協力に興味を持っているのかはわからない。

この前いわれたのは、赤が好き、青が好きみたいにそのフィーリングというかその人にしかわからないものなんじゃないかって言われた。

確かに。

でも、それってもしかしたらすぐに変わってしまうものなのかもしれない。
所詮8年間くらいしか考えてきていないといえば、そうだから。

もし、自分から国際協力や海外っていうものがなくなってしまったら自分に残るものは何なのか考えた。

ほぼほぼ何も残らない。

家の中に置いてある本も、SNSの内容も、スマホのホーム画面も、スマホに挟んであるチケットも、身に着けている服も、絶対何か海外関連のものだから。

先月買った春服でさえも、迷った挙句、Made in Myanmarだったから買ったりとか、毎日使うパソコンにもミャンマーのステッカーが貼ってあって、逆に一旦離れたいと思ったとしても、逃げられない。


それを自分から取ってしまえば何も残らないし、逃げようと思っても逃げられない、それが心の底からおもしろいと思えることってそうそうないんじゃないかと思う。

なぜそんなに頑張れるのかとか、その分野がいいのかと聞かれても、答えは明確にない。ただ好きだし、もう逃げられないからとしか言えない。

とはいえ、開発分野って他の職業とか、他のビジネス分野より難しいところが多いんじゃないかと思っている。
例えば、マネタイズしにくいとか。マネタイズするにも時間がかかるとか。なんの事業でも結局そうですが。

だからこそ、周りがどうこうとか、気にしないとは言ってても気になってしまう。



気持ち悪いくらいに落ち着かない。
学生の身分だからどうこうとか、まだ脛かじっていられるからどうこうとか、そういうシビアな話になってくる。

自分が一番考えているのに、考えてないと思われているみたい。
それで一層焦りが増す気がする。

大学在学中の生涯年収と、大学中退したときの生涯年収は大きく変わってしまうから。
それは自分が一番理解していると思う。自分が一番学歴にこだわっていると思うし。

それなら、とりあえず卒業しておいたほうがいいんじゃないかとよく言われるが、本当にそんなとりあえずで卒業しておくべきなのか。

人生100年時代と言われているといっても、自分が見てきたのは20歳も生きられるか生きられないかみたいな子供たちが多かった。

それに明日の保証って誰にもない。

どっちを優先すべきなのだろうか。

っていうのは永遠の問いになるかもしれない。

でも、自分は何も考えずに馬鹿みたいに生きている人間を演じたいし、努力してやったことでもたまたまできたみたいに演じたい。

だから、ちょっとは強くなりたい。


今年は、またタイでツアーを作る予定がある。
来年にはバングラシュもデビューしてみたいと思っている。
そして、ずっと言ってるけど、ミャンマーにもまた行きたい。。

これまでずっと画策してきていた新しいプランもあるので、それを少しずつ動かしていきたいとも思っている。だから、お金とか、時間に限りはあれど、小さく強く動いていきたいと思う。



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