"死にたい"の裏側について

死にたい、消えてしまいたい。
漠然とよくわからない感情に支配され、意味もなくツイッターでネガティヴツイートを連投しました。死にたいとストレートで言うと、あいつ承認欲求の塊じゃんと思われそうなのでオブラートに包んで投稿しました。その時点でお察しです。
でもそれでもモヤモヤしたので、誰もフォローしていない鍵垢のインスタグラムで掻きむしった腕と共に80回くらい死にたいって書いて投稿しました。さっき開いたらインスタグラムから、サポートセンター?の通知が来ました。
気安く呟けるもんじゃないです。

いつまでたってもまとわりついて、またツイッターで死にたいって呟きそうになったので、その言葉の裏側の深層心理に迫ってみることにしました。

死にたいは本当に死にたい気持ちの表れなのか?

私の場合は、多分違います。
死にたいってある種の能動的な感情だと思います。死を望んでいるわけです。本当に死を望んでいる人は、(本当にと言う言い方も嫌ですけど)死にたいと呟くなら遺書を書き、身辺整理をし、苦しくない死に方もしくは目的に沿った死に方を調べ、行動に移しているでしょう。
だって死にたいんだもん。

それをせず、あくまで欲求を伝えているだけに留まるのは、
言葉に出して発散をしたいか、助けを求めている場合です。

私の場合死にたい訳ではなくて、何にもしたくないそんな気持ちの表れです。
食べることもお風呂はいることも歯を磨くことも着替えることも、人と会うことも、もちろん働くことも何にもしたくない。
誰かに世話してもらいたい(傲慢)そういう気持ちの表れです。
自分から何かする気力が湧かず、誰かに連れ出してほしい。そういう気持ちです。

別に、この倦怠感を解決したい訳でもないんですよね。むしろ自ら浸りに行っている。酔ってるんですよ、弱ってる自分に。人に心配されたいんです。気を引きたいんですよ。
もうちょい正常だったらそんな行動する自分が嫌だなっておもうんですけど、ひたすら何もしたくないし正常な感情が失われているので、特に何も思いません。
でも一般的にはそういう人はのけ者にされるし、のけ者にされてメリットはないので言葉には出しません。そうすると悪循環が始まります。
それはわかってるんだけど解決する気がないのでそのままです。

つまり、私の場合は、死にたいは、何もしたくないけれど誰かに頼りたい、そういう気持ちの表れです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?