「何となく」を大切にする
少し前に”考えるOL”さんの著書「ずっと世界の中心は自分だよ」を読み終えました。そのなかで印象に残ったお話しを紹介したいと思います。
彼女は大学生の頃、意識高い系だったそうで、同じような考えた方を持つ「お互いを高め合える仲間」とばかり一緒にいたとのこと。しかし、社会人になり夢は叶わなかったことで、当時の仲間と連絡を取ることもなくなり、会社の同期とも共有できる目的もなく、必要以上に関わることもしなかったそうです。
しかし、一人の友人は定期的に連絡をくれて、テレビやゲームを楽しんだり、「おいしいね」と言って一緒に食事を楽しんでくれました。しかし、彼女はなぜその友人が自分と一緒にいてくれるのか理解できず、その友人に理由を尋ねました。すると、その友人の答えは・・・
「ん-、なんとなく。えっ楽しくない?」
・・・だったそうです。
本書のなかで”考えるOL”さんは「意味を持つ関係は、意味を失ったら壊れてしまうが、意味のない関係は、一緒にいる理由がないからこそ、離れる理由もない」と話していて、「気がつけば、なんとなく一緒にいてくれる友人との付き合いが一番長くなっていた」と話していました。
このエピソードを読んだ後、心理カウンセラーPoche(ポッシュ)さんのX(旧Twitter)に、こんな投稿がありました。
(その投稿の概要になりますが・・・)
「なんとなく」という感覚は、あなたの過去の経験をもとに生まれている。
「ちゃんとした理由」がないとダメではなく、「なんとなく」も立派な理由になります。
「なんとなく」はあなたを守る大切な感覚です。
私は「言語化できないこと」に対しては否定的な考えを持っていました。もちろん「なんとなく」という感覚はあるのですが、その「なんとなく」を因数分解するように明確に言語化できないときには、「この感覚は間違っている可能性がある」「だって、明確に理由を説明できないのだから」と考えていました。
いや、それは言い訳かも知れません、本当の理由は「自分に自信がないから、自分の感覚を信頼できない」からだと思います。
しかし”考えるOLさん”のエピソードやPocheさんのXでの投稿を拝見すると、「なんとなく」は否定すべきものではなく、その感覚を信用し大切にすべきなんだと感じました。
確かに過去を振り返ると、「何となく」思ったことは、概ね間違っていなかったかも知れません。特にネガティブ感情に紐づく「何となく」は概ね正しかったように思います。その違和感に気づいていたにも関わらず、そのままにしておいた結果、最終的に悲しみや苦しみで心身を疲弊させ、大切な時間やお金を無駄にしていたかも知れません。
もっと自分の「なんとなく」を信用していい。
もっと自分の感覚に自信を持っていい。
これからは「なんとなく」をもっと大切にしていきたいと思いました。
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