時の流れに身を任せたら人生は動きますか

趣味の麻雀をアプリでぼんやりと打っていると案の定ラス。運ゲーと揶揄されるこのゲームも戦略で運を引き寄せることも、不運を回避することもできる。だから結局は戦略なんだって何度言えばわかるのだ。でも毎回勝負どころの段位戦では配牌頼む!と画面越しに祈ってしまうんだよなあ。
そしてやっぱりどんなラスでも落ち込むことは落ち込む。ベッドに潜ってしなきゃいけないこと、したいことから目を逸らして少しばかりの現実逃避……。ラスったことで気持ちもベッドに一層沈み込む。少しの時間があっという間に溶けていった。

(今日はこのまま終いだな)

一日の活動を終わらせるにはまだ早いが、何かをするにはエネルギーが足りない。夕方を過ぎるとあらゆる情報が煩わしくなってしまうのはなぜだろう。そううだうだと思いながら、スマホを持つ手が勝手にTwitterやインスタを開いている。ほんっとゼロカロリーだなSNS。

この前デジタルデトックスをしようと思って、決意した数秒後に「デジタルデトックス」でTwitterの検索欄に入力してて自分に笑ってしまった。目的なく覗くだけで、何もしていないのに、何かをした気になれてしまう。良いことも悪いことも吸収するだけ吸収して、そしてそれは私の中のどこにいってしまうんだろう。


珍しく友人がストーリーをあげていた。めったに浮上しない高校からの友人。ストーリーを知らせるアイコンには緑の枠がかかっていた。
考えるよりも先にストーリーを開く。繊細に盛り付けされた料理が大きく写っている。レストランの食事風景? いいねー、美味しそう。お皿の手前にはメッセージカードがあるから、誕生日か何かのお祝い事かな。ふーん、ご結婚の記念にねー。結婚……。……結婚!?

かつて公園で遊び、一緒の教室で授業を受け、部活を共に謳歌した友人たちが結婚していく姿は26歳にもなれば幾度と見てきた光景なのに、こうやって目にするたびに目ん玉一回飛び出ちゃう。そしてはたと気づく。もう結婚しても不思議ではないんだと。社会人になってから出会ったと話す彼女の苗字は私の知らない苗字になっていた。

驚きと嬉しさとそうではない感情が一気に押し寄せ、目が覚めた。書くしかないでしょこんなの。そうでもしなきゃ、今日はこのまま終われない。

誰かと出会うことでしか、人生は動かない。たぶんきっとそう。そして自分の願う生き方に向かっていくための時間を使わなければいつまでも隣の芝を見てしまう。結婚というより、動いた人生には心の隙間を埋めるものがあるのだと、縁起のいい今日、しみじみ思う。

あ、日付が変わった。コロナ禍になってから会えていない大好きな友、結婚おめでとう。どうやって出会ったのか、結婚の決め手はなんだったのか、不躾ながら教えてください。そしてめいいっぱいお祝いさせてください。久しぶりに会いたいです。


ありがとうございます!