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頑固親父と頑固娘の終わらない戦い

試験が終わり帰省をしてから1週間。父と話した。

数年ぶり、いや初めてかもしれない。互いの意見をぶつけたのは。

それはそれは平行線だった。そもそも初めてにいうくらいに話せていなかったのは、平行線になることが予測できていたからだ。もちろん日常会話程度であればいつでもするし、離れて暮らしている間、誕生日や父の日にLINEをする。受験の時も応援メッセージをLINEでくれた。決して仲が悪いとか反抗期というわけではない。仲睦まじい親子だと思う。

でも、意見は合わない。この世で最も意見が合わない人だと思う。それは私がまだ大して人と関わってきていないから実質ナンバーワンなだけな気もするし、もしかしたら一生ナンバーワンかもしれないが、とにかく驚きの会話の空振り三振である。高確率でデッドボールを食らっている。

そういうわけで、いつしかデッドボールは予め避けるのが吉という思考が自分の中での正義となり、私は父の中で自己主張をしない人になっていた(今日話して発覚した)。

家族でよく行く地元の居酒屋。どんな流れか忘れたけれど、今後のためにも(自分の進路やこれからの生き方)少しずつ自分の気持ちを伝えていかなければならないと思い、ひとまず会話中に気に障った話題から父にボールを投げることにした(野球詳しくないのに何故か例えがそれになってしまう。WBC開幕したから?)。

「私ちゃん、趣味あるの?」
「あるよ、たくさん」
「麻雀?」
「うん、他にもいっぱい。本読む、ゲームする、漫画する、ミュージカル観る、とか(あと文章書いたり、ごにょごにょ)」
「それが、趣味?」
「うん(なんかだめなんか?)」
「それ全部インドアじゃん。やっぱり外で体を動かしたりして、心と体のバランスをとらないと云々」
「筋トレ(ドスの効いた声)」
「あー、筋トレね。うんうん。やっぱりインドアばかりだと暗くなっちゃう感じがするからね」

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「って言ってたけどさ、なんで人の好きなこと否定するわけ? 私は小さい頃からずっとゲームが好きだったわけ。だからそれを否定するってことは私の人生や私自身を否定することになると思います。」
「別にそうは言ってないよ。やっぱり心と体のバランスがちゃんとしてこそ毎日に活気がでるわけだから云々」
「だからそうじゃなくて、私がショックだったって言ってるの。すごく傷ついたの。」
「なんで傷ついたの?」
「なんで最初にその言葉がでるわけ? 否定したからじゃん。」
「否定してないよ」

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このあとも同じような己の意見がぶつかり合いだった。父はどうかは知らないけれど、こうして書きながら振り返ると、私は自分の気持ちを伝えたいというのが先行して冷静ではなかったと思う。ひとしきり話し終わって帰路の途中、夜風に当たりながら反省した。

私はあらゆる意見や感性を受け止めたいと思っていた。自分自身の感覚が一般的(この場合、多くの人に当てはまることを指す)かどうかも定かではない以上、自分を受け入れてほしい・認めてほしいと思うなら、他人に対してもそういう気持ちを忘れないでいようと。

でも、実際父と面と向かったとき、私はそんな自分のポシリーとか真逆と態度だった。と今になって思う。
「それは違うと思う」「なんでこういうこと言うの?」「私はお父さんだから話しているんだよ!」
人の意見に否定的である自分はしばらく見ていなかった(少なくとも表に出したことはなかった)ので自分で自分に少し驚いた。特に最後の台詞はSNSで見かける「娘のことを思って心配だから言ってるんだよ」的な親の有難い言葉に似ていて反吐が出る。(ちなみに「娘のことを思って〜」は父に言われたので、進研ゼミで見たやつだ!と口から出かけた。)

「いろんな人がいるからそういう意見が違う人を排除したりしたら社会で生きていけないよ。そういう考えは甘い。趣味のことも(否定的に言ってしまったことについて)、親が厳しく言ってあげないとどんどん楽な道に行ってしまうから言うんだよ。趣味って楽しいものだからね。云々。」

そう言われて、そういうことを説いているんじゃないと思ったが、適切な言葉が見つからなかったので思いとどまった。と同時に、これ以上話し続けると、相手の意見を受け入れる過程を無視してしまうとも思った。

コミュニケーション能力が問われる昨今、赤点レベルの会話のラリーが譲れない意見の場合に生じるとわかったのは収穫だったけれど、それにしても「天気いいですね」「今日の夕ご飯はカレーです」みたいな会話が続いて逆に話が尽きなかったのには笑ってしまう。

そして「たしかにぃ。なるほどぉ。」と理解したつもりでも、意見を曲げない頑固者の私。「わかった、わかった」と言う父も然り。お互いにわかってない。
終いには「自分の考えが何でも正しいと思っているんじゃないのかな」と言われて思わずマスオさんになってしまった。「えぇ!?」
「それってあなたのことですよね?」もう少しでひろゆきさんになるところだった。



そんな平行線のまま、終結した親子談議。まるで何も伝わった感はなかったけれど、noteを書いている今は溜飲も下がり、母と昔話をして改めて父と私は親子でありそれぞれ個人なんだと考えるきっかけとなったから、おそらくこれは良い談議だったんだと思う。

わたしの知らない父の人生が垣間見れた。パパも生きてきていろんなことがあってポリシーとか信念とかあったんだけどね、社会に出ると我慢したり譲らなきゃいけないこともあるんだよ。なんてすごく嫌いな社会云々の話をされて、自分が歯車に乗せられたとき、譲歩を正しく使えるようになるのか心配になったが、私以上の頑固者がそうせざるを得ない状況が人生の中であったと思うと、少し悲しくなり、生きてきた長さや重みを感じた。

社会に出れば、あり得ないことやどうしようもないことがある。父は基本的にはポジティブでどんな言葉を投げかけてもショックを受けないんじゃないか(あるいはすぐに忘れて引きずらない)と思い込んでいたが、そういう納得いかないことをどうにか飲み込んできたんだろう。
それゆえに、子供に自身の経験を切々と語るのはなんら不思議なことではない。

会話の最中、話さないからわからなかったよ。と話す父。
たしかにぃ。

確かに、あれがしたい、これが好き、やりたくないと言ったパーソナルの部分、芯の部分は何も話してこなかった。理由は冒頭で書いたことがあったからだけれど、そのハードルを越える必要はもっと前にあったのか。なるほど。

元々自己主張が得意ではない性分で、これからも今日みたいにデッドヒートを繰り広げながら、次第にキャッチボールが可能になっていく……という未来が訪れるかは勝率の見込めない話だけれど、ちょっとずつ進展していければと思う。

とりあえず、明日、第二回戦を挑みに行こう。


ありがとうございます!