先日ちゃちゃっと夢を叶えた。
この記事を開いてくださった、慈悲が満ち溢れて今にもこぼれそうな貴方の夢は何だろうか?
現在も、夢の為に努力を重ねる人もいれば、
幼いとき特有の想像力を、目一杯働かせた人もいるだろう。
こぼれた慈悲はこちらで拭いておくので、なんとなく浮かべてみてほしい。
私は子どもの頃、こんな空想に明け暮れていた。
" 終わりが見えない程長いカニカマを食べる "
" 小さな島かと思うくらい、大きなどら焼きに上陸し地面をかじる "
" ヤクルトと同じ容器に入ってるタイプのりんごジュースを、コップになみなみにして飲む "
...etc.
つまり
好きな食べ物を壮観な姿にして貪ることが、私の夢だった。
幼少期、同じような空想をした人は他にもいるかもしれない。
ただ、当時これらの空想レベルといったら、ユニコーンやドラゴンの存在に匹敵するものだった。
親の許し、経済力、罪悪感、親の監視、親の…
実現するにも、高く分厚い壁が多すぎたのだ。
現実にできるものでないと認識していた。
だが、今は22歳。独り身。
誰にも止められないのである。
Don’t stop me now〜と、フレディマーキュリーが背後で歌っているのである。
そんな私が真っ先に叶えた夢はこれだ。
" ハーゲンダッツ(バニラ)の大きいタイプを1人で食べる "
鼻で笑われるかもしれない。
だが、どれほどの人間がこの罪深い行為に手を染めることができたか。
パイントというサイズ。
他のバニラアイスとは一線を画すあの味を、一度で存分に楽しめる。
スプーンがいつカップの底を当て擦るのか、そんな焦燥感に駆られることはない。
あの高貴なハーゲンダッツ様の白いお顔に、あらゆる調味料をぶっかけて、味変することもできるのである。
(ちなみにごま油オススメ)
ハーゲンダッツによる胸焼けは、たまらなく贅沢な苦しみだった。
そしてその勢いに乗って、後日友人と
「巨大ネギトロ軍艦」をつくった。
日本人の魂・寿司を巨大化したい、その願望を叶えることができたのである。
こんなことに付き合ってくれる友人、どれほどかけがえないだろうか。おばあちゃんになっても遊ぼうね。
そしてその出来は最高だった。
米は五合以上使ったのではないだろうか。
木製まな板いっぱいに乗り切る大きさ。
かつての私に見せてあげたい気持ちでいっぱいだった。「未来は明るいぞ」と。
そしてネギトロと白米、これの美味しさが全身を巡り、末梢までに響き渡った。
ただ、
ただ1つ、
切ないことがある。
感動が少ない。
いや、感動はしているのである。
大きいタイプのハーゲンダッツにも巨大ネギトロ軍艦にも。
ただかつての自分だったら、もっと天にも昇る気分だったのではないだろうか。
思ったよりも心の躍り方が省エネだったのだ。
人生経験というものが、確実に感動を減少させているのである。
そして、これよりも壮観なものをつくり楽しむ人達がごまんといるのである。
YouTuber、彼らの想像力と行動力は平凡な私にとっては眩しすぎた。
パイントサイズはおろか、業務用のハーゲンダッツを食べているのだ。
それでも私は生まれたままの空想を、大事にしたい。
自分から発生しなければ味わえない楽しさもあるのだろう。
(可能な範囲で)実現するために、ストイックな精神を持ち続けたいと強く思っている。
次は何したいかな〜と、
今日も小さな頭で懸命に考えているのである。
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