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きっと言葉が。

本当なら、IELTSの授業の課題を必死に終わらせていないといけない時間で。本当なら、大学の出願のために、必死で事務に英語の電話をかけていなくてはいけない時間で。本当なら、今日の晩御飯のために雪に染まったバンクーバーのビル街を歩いていないといけない時間で。

でも、どうしても何かのために役に立つ、目の前に必要なことをやろうと思うことができなくて、生産的に目的的に物事をこなしている自分が体にはまらなくなって、手から生きることがこぼれ落ちていく。

数時間後かそれぐらいに、私にとっては大切な、言葉をきちんと選びたい電話があって、でもそれに対して頭の中でうまく言葉がまとまらなくて、ただただ言葉が喉に詰まって、一度溢れ出してしまったら全てを壊してしまいそうで、詰まる言葉を補うように音を立てずに涙だけが目から溢れ出る。

まるで、言葉を抑えるように。私の言葉を戒めるように。
おまえはしゃべってはならない、と。

「先輩がかなこのnoteを全部みたって言ってた」その言葉に、胸が落ち着かない。そう思ってしまうことが嫌だった。なんであれ、自分の言葉を私は私の断片として、集めて、吐き散らかして、時に整えて生きてきたはずなのに、自分の言葉に対する信頼を、完全に失っていた。

書けなくなって、約一年。
私が世界を感じられなくなって、
私が考えることができなくなって、約一年。
私がきちんと生きられるようになって、約一年。

きっと言葉が。きっと言葉が。

雨が地面をつたう音と
ドライヤーの焦げた臭いが。

背中に触れる誰かの指に
飲み込めない薬の味と
送れないLINEの返事が。

意味のない笑顔の裏と
意味がある言葉の隙間が。

棘のある視線の先に
飲み込めない薬の味と
掴めない誰かの瞬きが。

聞きたくない言葉と、
言いたくない言葉の狭間で
空気が床にごろんと落ちる音が。

きっと言葉が。
きっと心が。
きっと誰かが。きっと自分が。

そう思って生きてきたはずなのに。言葉すら。
自分がまっすぐに、口を開ける言葉を。


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