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ふつうのともだち

体調を崩してから、早3ヶ月が過ぎようとしている。
会社勤めを続けてきた私にとっては、
長い休暇のような生活が罪悪感に満ちていたけど、
いつ頃からか、随分前からそうしていたかの様に
心地よく過ごせるようになっていた。

同時に、このままのこの生活を続けるわけにはいかない
現実もしっかり受け止めれるようになってきて、
あらゆるリハビリを自分なりに始めている。

こんな私の状況を心配してくれている友人が数人いるが
特に頻繁に生存確認をしてくれる友人の1人にMちゃんがいる。
Mちゃんは前職の職場で出逢い、早8年程の仲になるが
仕事を辞めても、何かと連絡を取り合っている。

Mちゃんは学級委員のような人で
集まりを催すと自然と幹事をしてくれる。
休日に選挙演説を聞きに行ってきたなど言う。
もてなし上手で料理が上手い。
だけど、自分の施しに見返りが無いと少し残念がる可愛いところもある。

私はそんなMちゃんと映画やドラマの感想を言い合ったり
討論するのが好きだ。

月に1回ボランティアでダウン症や自閉症の
方とコミュニケーションを取る会に参加しているMちゃんは
「人と関わりたい」という私のリクエストを
受けてその会に一緒に行くのを誘ってくれた。

今まで、世間一般的に障害者と呼ばれる方と
交流をしたことがなかったが、
気軽な気持ちで参加してほしいと言う主催者の方の
言葉に背中を押されて参加する事になった。

私が主に話をしたのは23歳のダウン症の男性でしたが、
なぜ此処に来たのかに興味を持たれ、
「結婚してるの?」→配偶者と来たの?
「子供はいるの?」→お子さんが障害者で一緒に来る方が多い。
と言う質問に面食らってしまった。

日常生活でされたら1番、「うるさいな!」と感じる質問だったから。

少々、怯んだが、彼も悪気があって言っている訳じゃないと
すぐに感じたので
「友達に誘われてきたよ」と伝えたら
今度は彼が腰を抜かして、半分椅子から落ちたような状態で
「どんな友達?」と聞いてきた。

「元々は仕事場が一緒で、仲良くなって
仕事を辞めても遊んでいる友達だよ。」

それは彼にとっては「ありえない」関係だそうだ。
仕事場で会う人は友達ではないでしょう?

「一緒に働いているうちに、ふつうに友達になったよ」

と言うと、
小さな頃からいた友達じゃないのに「ふつうに友達」になることはすごい事だと。

胸がギュッとなった。
今日此処にきたのは、その言葉だけで意味があったと思った。
当たり前過ぎて気が付いていなかったけど
確かにそうなのかもしれない。

私達はコミュニケーションが上手になり過ぎて
大切なことを見落としていたりするのかもしれない。
同時に、彼にも温かな人間関係が訪れてほしい。
と思った。

帰宅してから「普通」について調べてみた。

ふつう【普通】
1.特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま
2.たいてい、通常、一般に。俗に、とても。
                         デジタル大辞泉 引用

私達は、仕事をやめても特に変わらず連絡を取る。
彼女の家の梅の木の手入れを、毎年の恒例行事にしていて、
あたりまえのように梅をもらってくる。
美味しいパンが有れば手土産に持っていくし、
彼女の要らない服を私はもらう。


この関係がふつうに続いていけば良いと思う。

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