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ベルリン国際映画祭コンペ選出作品たち

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カンヌ映画祭のコンペ制覇にあわせて、ベルリン映画祭のコンペもゆるゆると書いていきます。2020年から始まったエンカウンターズ部門の記事も入れます。
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2023年7月の記事一覧

ポール・B・プレシアド『Orlando, My Political Biography』身体は政治的虚構だ

2023年ベルリン映画祭エンカウンターズ部門選出作品。2022年に日本でも著作『カウンターセックス宣言』や『あなたがたに話す私はモンスター』が翻訳された哲学者ポール・B・プレシアドによる初長編。今回の主題はヴァージニア・ウルフ『オーランドー』である。ヴィクトリア時代に生まれた英国人貴族オーランドーは、物語の途中のトルコで眠りにつき、起きると数世紀経っていて、自身も女性に変身していた、という物語だ。冒頭はプレシアドの独白から始まる。自伝を書かないのかと訊かれたことがあるが、ヴァ

エスティバリス・ウレソラ・ソラグレン『ミツバチと私』スペイン、ルチアとその家族について

2023年ベルリン映画祭コンペ部門選出作品。Estíbaliz Urresola長編一作目。セリーヌ・シアマ『トムボーイ』やエマヌエーレ・クリアレーゼ『無限の広がり』、セバスチャン・リフシッツ『リトル・ガール』に連なる、ジェンダーアイデンティティに疑問を持つ少女ルシアの物語。ルシアは夏休みの間、家族で母方の実家に行くことになった。新居を探すという父親は行かないことになり、彼のことが嫌いなルシアは喜ぶが、彼と遊ぼうと思っていた兄エネコは機嫌が悪い。田舎の村で、ルシアは少女と思わ

アイヴァン・セン『Limbo』オーストラリア、未解決事件によって時間の止まった人々

2023年ベルリン映画祭コンペ部門選出作品。アイヴァン・セン長編七作目。ヤク中の刑事トラヴィスがオーストラリアの田舎町にやってくる。20年前に未解決になったアボリジニの少女シャーロット・ヘイズの失踪殺人事件を再捜査するためだ。20年前の捜査は白人警官によって行われたことで、人種差別的な決めつけによって無駄な捜査に時間を費やしてしまった上に、小さな町の人々の口を余計に閉ざさせてしまった。トラヴィスの訪問に誰もが渋い顔をする…と思いきや、全員が結構早い段階で心を開いて何でもフレン

Syllas Tzoumerkas&Christos Passalis『The City and the City』テッサロニキとユダヤ人の暗い歴史

2022年ベルリン映画祭エンカウンターズ部門選出作品。シラス・ツメルカス(Syllas Tzoumerkas)の長編四作目、俳優のクリストス・パサリス(Christos Passalis)は初監督作で、二人は今回が初タッグ。本作品はテッサロニキにおけるユダヤ人の歴史を追った作品である。1931年以前のテッサロニキでは、ユダヤ人が最大人口のコミュニティだったが、ポントスや小アジアからのキリスト教難民が流入し、多数派を形成し始めた。1942年には、"リバティ広場"に集められた大量

ニコレッテ・クレビッツ『A E I O U – A Quick Alphabet of Love』ドイツ、母音のレッスンと恋のレッスン

ニコレッテ・クレビッツ長編四作目。60歳になるアナは全盛期の過ぎた女優で、今ではプライドの方が収入より高い。家賃も滞納しているが、下階に住む大家は寛大で仲も良い(大家は迫力のあるウド・キアであまりにも役不足)。ある日、彼女はひったくりの青年に恋をしてしまった。そして、渋々引き受けたスピーキングコーチの相手が、その青年アドリアンだった云々。題名の"AEIOU"は母音の羅列であり、アドリアンへのレッスンでも登場するのだが、"全て(Alles)はAから始まる"という言葉、そしてアナ