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世界の(未)公開映画

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東欧映画、ロシア映画以外の未公開映画についてまとめています。最近は公開された作品も掲載しています。全ての記事をどこかに帰属させてあげたいという親心です。見逃してください。
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2019年4月の記事一覧

セリーヌ・シアマ『トムボーイ』 偽りの自分から一歩踏み出すとき

カンヌ国際映画祭予習企画第一弾。今回、セリーヌ・シアマは監督四作目にして初のコンペ入りを果たしたのだが、世界的にシアマの名前を知らしめた作品が監督二作目の本作品だった。日本ではデビュー作『水の中のつぼみ』や脚本を担当した『ぼくの名前はズッキーニ』の方が有名であり、本作品はフランス映画祭及びル・ステュディオで上映されたにも関わらずソフト化には至っていない。 父親に車の運転を教えてもらっている主人公ロールのカットから始まる。10歳のロールには妹ジャンヌがいて、両親とパリ郊外のマ

ヘレナ・ヴィットマン『Drift』静と動、明と暗、心地よいリズム

ヘレナ・ヴィットマンはドイツ生まれの映画監督で、短編映画やドキュメンタリーを何本か撮った後、本作品で長編映画デビューとなった。アンゲラ・シャーネレクの門下生であるらしく、彼女の映画の特徴である固定カメラ長回しを継承している。一瞬シャーネレク本人の映画かと疑ってしまうくらいそっくりな画面造りに感心してしまった。 北海沿いのホテルを訪れた二人の女性(ヨゼフィーナとテレサ)を巡る話ではあるのだが、基本的には名前すら与えられていない(↑は役者の名前)彼女たちが主人公というよりも、神

マティアス・グラスナー『The Free Will』全てが圧倒的な映画

圧倒的大傑作。あまりにも初めて観たタイプの作品過ぎて、なんとも文字化不可能な感情を誘起してくるマティアス・グラスナー監督六作目。互いに異性に対して多大なる障害を抱えた二人の男女が辿る数奇で悪魔的なメロドラマ。うーん、メロドラマ…?いや、ジャンルには分けられないというのが正直なところ。人間の持ちうるすべての感情を湧き上がらせる稀有な映画であることは保証しておこう。 海辺のレストラン。鉛色の雲が垂れ込めるある日。主人公のテオはフィリップ・シーモア・ホフマンみたいな、見るからにヤ

アリーチェ・ロルヴァケル『天空のからだ』生きていることこそ美しい

カンヌ国際映画祭の監督週間で上映されて激賞された、アリーチェ・ロルヴァケルの長編デビュー作品。イタリア中部のレッジョ・カラブリアを舞台に、形骸化したキリスト教を少女の目線で捉え、それを子供が大人の世界に反抗する過程として昇華する。 主人公13歳の少女マルタは10年ぶりにスイスから母親の故郷であるレッジョ・カラブリアに帰ってくる。恐らくは離婚が原因であり、ハードに仕事をしなくてはいけなくなった母親と"母親業"を担うことになった18歳の姉に囲まれて、マルタの日常は息苦しい。学校

ボー・バーナム『エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ』利便性は人間性を破壊する、これに対する模範解答は…?

またもA24から登場した青春映画の大傑作。私の世代は子供の頃にスマホがない最後の世代だ。これは不運続きの私の人生で最も幸福なことの一つだと言えるだろう、と私の家に来てもスマホを片手にゲームやらLINEやらをやっている甥っ子(小6)を見てつくづく思う。非線形天邪鬼な人間からすれば流行に乗らないと人間関係が破綻してしまうような流動的な友人関係など耐えられないし、グループラインに即既読を付けるとか"いいね"と思ってもないことに"いいね"を押すなんて死んでもやりたくない。とは言えこれ

パヴェウ・パヴリコフスキ『Last Resort』最後の手段は最後の"楽園"

パヴリコフスキの経歴は非常に興味深い。医者の父親とバレエダンサー(後にワルシャワ大学の英文学教授)の母親のもと、ワルシャワに産まれた彼は、14歳のときに母親とともにロンドンに渡る。休暇かと思われたこの渡航は、実は永久追放だったらしい。ドイツに移動した後、1977年にイギリスに定住する。彼はオックスフォード大学で文学と哲学を専攻し卒業した。 彼の経歴はイギリスで始まったのだ。80年代後半から90年代にかけてドキュメンタリー作家として頭角を現し、1998年『The String