20221017

 雨の降る一日。蒸し暑い。週の初め、公園ではイベントの撤去作業で合羽を着た整備員や業者らしき人々が雨の中作業をしていた。こういう人たちと出会うことなく週末をこの公園で過ごした人たちは今頃オフィスでデスクワークをしたり、ひょっとしたら週明けから出張で地方に飛んだりしている。それぞれが意識し合うことなく、しかし互いに依存しながら社会は回る。Bunkamuraオーチャードホールでドゥマゴ文学賞の授賞式があった。今年はロバート・キャンベルが選考委員を務め、木村紅美『あなたに安全な人』(河出書房新社)が選ばれた。この話はコロナ禍で誰もが過剰に互いを避け、それでも一人では生きていけない中で自分の安全圏を構築していくこととはどういうことなのか、そういう問いを浮かび上がらせる作品だった。彼女はコロナ禍前に辺野古基地建設反対運動に参加していて、ひろゆきの一件で炎上したあの問題についても深くリンクする話になっていた。そこでの彼女の言葉が深く胸に残った。「シュプレヒコールみたいな小説は絶対に書かないように心がけている。小説はもっと自由で、どう書いてもいいと思う」。彼女は機動隊員に体ごと持ち上げられるという暴力を受けたにもかかわらず、機動隊員側の視点で物語を書きたいと今作の発想に至ったという。デモ隊の描き方がひどい、とクレームの手紙も受け取ったという。彼女は「あれは忍――警備員だった男性――の視点から見たデモで、私自身がそう考えているわけではない」そういった内容の返信をして事なきを得たそうだ。これはとても大事な話だな、とわたしは思う。ひろゆきはともかく、反対運動を続ける人々には彼らの正義がある。彼らを排除しようとする機動隊員にも家族がいて、彼らの給料を糧に生きている、そこには生活がある。この大きな枠組みには日米地位協定、社会主義と資本主義の境目に奇しくも位置する日本列島の地政の問題もある。その枠組み自体が変化しなければ、問題はおそらく解決しないだろう。そして、それは世界的混乱を招かざるを得ない。ル・グウィンの『オメラスから歩み去る人々』のような話をわたしたちは抱えている。

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