20221129

 雨が降る一日。気温は高めで冷たい雨ではなかったが風があって、傘の下から降りこむいやらしさがあった。人影は少ない。暗い街で傘をさす影が街灯の下に映る風景はなんとなく幻想的である。実際に濡れるとそういうロマンティックな気持ちは消し飛ぶが、窓の外に見るそのような光景は嫌いではない。最近は小説の構造について考えている。詩や戯曲、物語という形式であれば文学の歴史はずいぶんと古い。日本でも源氏物語は九世紀に書かれている。セルバンデスの『ドン・キホーテ』が近代小説の雛形となったという見解が一般的ではないだろうか。そこから、ロマン主義、自然主義、反自然主義、ポストモダンという大きな潮流の中で、もはや小説はなんでもありな文芸作品となった。メタ構造やカットアップ、入れ子など様々な手法が先人によって開発された。ところが、構造に気を使いすぎると、物語の強度が失われて読者に理解されなくなってしまう。このあたりのバランスが大事になる。わたしの中で刺激的な作品だったのが、マリオ・バルガス=リョサの『つつましき英雄』という長篇小説だった。二人の主要人物の視点で別々の物語が進行し、やがて一つに収束していく群像劇であると同時に、同じパラグラフ内での視点移動も用いられるという高度な技術を用いているにもかかわらず、読者への負担は最小限に計算された書き方をしている。ノーベル賞作家をつかまえて言うのもなんだが、はじめてその構造と文体で感動を覚えた。群像劇的金字塔でいえばフィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』、空間内の視点移動で言えばフォークナーが先人として挙げられるが、そうした現代小説の歴史の上でこういった作品が生まれると思うと感慨深い。

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