不道徳より

”実際、他人の失敗というものは、人生の大きな慰め、愉快なお祭りでもあります。なぜ私は、人々にとってのその折角のお祭りを、わずか百分の1秒間で終わらせるような意地悪をしたのでしょう…”

(三島由紀夫、不道徳教育講座より)

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正直、他人に対する振る舞いが今でも定まらないです。

ほとんどの事を赤裸々に話す友人に対してすら、久しく会うとつい身構えて、自分の体裁を何とか保とうとして、よく分からない事を口走る事があります。

何でも話せばいいはずなのに、何故こう、会話にブレーキをかけてしまうんでしょうか。


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私がいつも通る道に、柿の木があります。
その枝の先に、明らかに熟れ上がったひら柿が成っていて、毎日通る度に、「落ちたら恐らく潰れて食えんだろうな」とか思いながら眺めていました。


しかしまぁ、その柿も(なぜか)よく耐えるもんで、結局10日たっても全く落ちる気配がありませんでした。


柿ならもう10日待てば自然と落ちるかもしれないんですけど、各々が持つポリシーとか価値観って、熟れきってしまうと中々自分から引き離す事が難しいんですよね。


自分が築いたものは、何とかしてそっとしておきたい。


もし、誰かがそれを優しく受け止めてくれるなら、シェアできる相手なら、譲ってあげてもいいかもしれない。


でもやっぱり、自身の築いた秩序ある世界の中で見い出せることなんてそうありません。


たまにはアスファルトに熟れた実を自らぶち撒けたり、平たい渋柿を作っちゃったりして、イレギュラーを、お互いの栄養にするような、そんな瞬間もたくさんあって良いのかなと思います。


自らを守る事だけでは、何とも楽しみが無い。ちゃんと自分の起こした失敗を話のタネにしたり、時には一緒にやらかして昇華したい。


そんな事を思ったり思わなかったりします。

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結局その柿は自転車の荷台を踏み台にして(危ないよ)取ってたべたのですが、翌日普通に腹を壊しました。裏切り者。


不道徳教育講座

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