私の完成しない東京

眠らない街、東京。そう言われるけれど、私は東京は完成しない街だと思う。

私は地方都市の出だ。だから、東京の何を知ってるんだと言われれば何も知らない。
そんな私にとっての東京は、長らく祖母の家のあるところだった。春休み、ゴールデンウィーク、夏休み、冬休み。長期休みになると新幹線で眠ること二時間半、それから東京駅の一番端っこにある中央線で祖母の家へ。だから私の知る東京は、あまりにも長すぎるあの東京駅中央線のエスカレーターと、祖母の家くらい。

おそらく小学生低学年の頃、祖母の家の最寄り駅が工事をしていた。私はもう古い駅舎は覚えていないけれど、古い駅舎があったことは覚えている。祖母の最寄駅はいつも灰色に覆われていて、絶えず工事の音がしていた。

東京にいるとき、大抵の買い物は吉祥寺の駅周辺で済ませていた。サンロード商店街、東急、マルイ。
記憶の中の吉祥寺駅は、いつも工事をしていた。というか、祖母と遊びに出かけた記憶のどこかには、工事中の建物や駅舎があった。吉祥寺コピスなんかも、その頃に作られていたように思う。

駅の改良工事が終わる頃、祖母の病気が悪化して、吉祥寺に祖母と出かける機会はほぼなくなっていた。
けれど、その代わりに私に新たに現前してきた東京があった。渋谷だ。

一端に「マルキュー」の存在を知った私が渋谷に興味を持ったこと、世田谷に住む叔母が祖母の代わりに買い物に着いてきてくれたこと、吉祥寺から京王井の頭線で一本なので交通の弁が良かったこと。色々な要因があって、私の東京は吉祥寺から渋谷に移った。

渋谷は混んでいた。
正直、それ以外にあまり感想がない。

けれど、渋谷もやっぱり工事していた。
京王井の頭線はどうせ端っこにあるので、何をどう工事していたのかあまり覚えていないけれど、なんかどこかしら工事していて、色々なところが片側通行だったり行き止まりだったりしていた。

ところで蛇足だが、日本の車線が左側通行なのは武士が帯刀していたことが関係しているらしい。右側通行だとお互いの刀が当たってしまうので、まあ確かに。
閑話休題。

叔母がよく連れて行ってくれた東急がなくなっても、渋谷はまだ工事をしている。スクランブルスクエアができて、東急が潰れて、ミヤシタパークが出来て、それでもまだ渋谷には通行止めと行き止まりがたくさんある。

高校生になった頃、東京五輪の開催が決まり、東京駅が工事を始めた。本当はもっと前からやっていたそうだが、私は乗り換えでしか東京駅を普段利用しなかったから東京駅の隅から隅までを見ていたわけではなく、私にとっての東京駅の工事はオリンピックの決定と時を同じくしてやってきた。
とうとう、東京に着いた途端に、祖母よりも叔母よりも先に工事が出迎えてくれるようになった。

私は新大阪から新幹線で二時間半かけて工事している東京駅へやってきて、祖母の家に滞在して、それから四ツ谷で試験を受けた。大学受験である。

そうして私は東京で大学生になった。私の東京は吉祥寺と渋谷から新宿と四ツ谷に移り、今まで点で存在していた各街が空間で把握できるようになった。住むとは、そういう複合的な把握ができるようになることだと、あるエッセイで書かれていたが、本当にその通りだと思う。

新宿はやはり工事をしていた。
新宿駅の工事は、私調べでは今まで出会ってきた東京の工事の中で一番大きい。絶えず工事をしているので、未だに新宿駅の構造がいまいちわからない。いつだったか、新宿駅で降りたら改札口の場所が変わって東西自由通路なるものができていて驚いた。それで工事は終わったのかと思ったけれど終わっていないようで、まだ工事が続いている。

私はずっと、東京を知らないような気がする。絶えず地図が書き変わっていく中、20○○年に完成します!と書かれている東京しか知らない。もちろん、私の経験している東京は限定的で、古き良き住宅街なんかはずっと閑静なのかもしれない。それでも私の知っている東京はいつまでも未完成だ。外に出かけるということは、工事中と書かれた看板に出会い、そこに立っているおじさんたちに会釈することを含んでいる。東京はずっと再開発で、ずっと途上。

おそらくまだ私の年齢を示すのに両手で十分だった頃、地元のとある駅付近に大きめの老人ホームが出来たことがあった。その地域に住む高齢者がギリギリ払えるくらいの値段の施設で、その結果、多くの高齢者が家や土地を売却してホームに入ったらしい。あの頃のその周辺は、更地と、売却済みの旗と、同じような新築分譲住宅が乱立していた。誰が住んでいるかも知らないけれど好きだった赤レンガの家は、六つに分割されて、同じような白っぽい家々になった。
あのとき感じた寂しさを、私は東京に抱く。思い出や人の生活は、工事によって壊され、再構築され、また壊される。改良工事、耐震工事、再開発。いつまでも東京には私の思い出が染み込まない。帰り難くてギリギリまで立ち話をしていた新宿駅東改札前は今はただの通路になった。紀伊國屋書店新宿本店で満足するまで本を漁った後、疲れて休憩した地下街のお店はもうない。大学近くの堀から眺める景色は、コロナ禍に完成した高層ビルによって形を変えた。生まれて初めてアルバイトをした小田急百貨店新宿本店も、再開発のために閉店するらしい。私は東京の思い出を、喪失と共に思い出す。

東京で見知った場所に行くとき、懐古よりも前に違和感がくる。あれ、この道通れなかったっけ?あれ、ここお店こんな感じだったっけ?あれ、改札どこ?
だから実は、私は東京に来たことはないのかもしれない。いつも、東京は知らない人の顔をしている。

東京はいつか完成するのだろうか。そのとき私は、初めて東京と出会うのかもしれない。

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