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2006年末のころ、吉林から石家庄、鄭州、杭州へ (写真 少しだけ発掘 スミマセン)

2006年の情報、拙ブログの記録の中から抜き出しまして並べました。高速鉄道ができてるようですので、この記録のような移動、今では使えません(と思う)。おまけに旅程の最後の地、杭州は宿に入ったところで記録が尻切れ、申し訳ありません。杭州の写真は少しは撮ったはずなので、今後、発掘できたら追加しておきたいです。

では、今では使えぬ(と思われる)鉄路での、吉林駅~北京駅~北京西駅~石家庄駅~鄭州駅~鄭州空港~杭州空港、途切れ途切れの旅程記録です。



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2006年12月 吉林から北京経由で石家庄へ



2006年末のころ、
北京経由で石家庄まで
移動しました。

   ※北京西駅

吉林から夜行で、
朝6:20に北京駅に到着。
会社の北京駐在の人に
北京西駅まで送ってもらって、
8:50発の
特急列車「邯鄲」行きT525に
乗って、
11:33に石家庄駅に着きました。



駅を降りてみるととても大きな都市、

そして、暖かい!




マイナス10℃くらいの
世界からたどり着いたので、
ダウンジャケットを脱いで、
ブレザーの下のセーターを
脱いで、仕事をしました。

乗ってきた特急は2階建て車両があり、

乗った車両、硬座(硬い席=普通席)は

社内にディスプレーがあり、

鉄道特製の広告交じりの放送を

していました。

駅名も、電光掲示板に表示されるのかと

思ったら、このディスプレーに

到着30分前から都市紹介映像が流れ、

到着したら、ディスプレーに
でかでかと駅名が表示されました。
外国人も乗り過ごす心配なし、で、
よかったです。





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石家庄、12月 上着は必要


2006年末のころ、石家庄は、

吉林から来ると暖かく
感じましたが、
夜はやはり寒いので、
上着は必要でした。


夕食は、石家庄の市街地にある、
湖南料理のお店
にて。



2階に上がる階段がガラスで下に、
水が張られていたり、
各部屋の内装が凝っていたり、
なかなか、しゃれた建物です。



料理は、
私が辛いものを好きだと
いうことを知ってくれていて、
辛いものをいろいろ注文して
くれていました。

こういう場合の一番の問題であるお酒、
やはり、
ビールなどは飲ませてもらえず、
最初から最後まで白酒。
衡水市というところの
お酒「十八海坊」でした。

「白酒を飲むと
 胃が痛くなるのです」と言って、

乾杯のペースを
ちょびちょびに
抑えてもらったものの、
やはり次々と乾杯して
いかねばなりませんでした。

200ccくらいの
グラスに8分目ついで
もらって、
2杯分くらい
飲まされたと思います。
(合計、300cc強くらい?)

この日はこの量に抑えることに成功し、
食事のあとすぐ宿に帰れましたので、
粗相をすることもなく、
無事に寝ることができ、
体調もすっきり、でした。



石家庄、泊まった宿は、


固い名前の

農業科学研究院 教育センター」。

宿泊部分は、「北方ダーシャ」と

いう市内のホテルが

運営しているようで、

市内から30分くらい車で走った、

郊外にあり、

広い敷地は農業試験場に

なっているようでした。

敷地の横には結構美しい景色の

水量豊かな河(ジャンフー?)が

流れており、

夏には特に景色がよい、とのこと。

仕事の関係で団体で

宿泊したためか、

1泊150元で、

施設がきれいな割に

安かったです。

ただし、

風呂場に湯船はなく、

シャワーのみでした。

(風呂好きの方はご不満かも、

 ということと、

 シャワー使用後、

 トイレの床が

 びしょびしょになります)


従業員の皆さんはにこやかで

サービスがよいので、

居心地がよかったです。


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翌日、石家庄の朝、

外が明るくなってきましたが、

霧がひどく、窓の外は視界ゼロに

近い感じで全く見えませんでした。

テレビのニュースでも

北京、河北は濃霧とのこと。

高速道路の多くが通行止めと

なっているようでした。

飛行機や列車については

ニュースでは全く何も言ってません。

果たして今日石家庄から杭州に向かって出発できるか、心配になった次第です。


そして。。。


鉄路で 石家庄から鄭州


この日の目的地は杭州でしたが、
霧のため飛行機をあきらめ、
鄭州経由で杭州をめざすことに変更したのです。

霧の中、飛ぶ確率の低かった、
石家庄空港出発の飛行機は、
出発予定時刻1時間前の

問合せしたところ、
飛行機は時間を遅らせて
運行の予定、
とのことでした。

移動を急がずに待てる旅なら、
飛行機が飛ぶかどうか
待ってもよかった、と思いますが、
後の出張予定が
つまっていることもあり、
安全な方を選ぶことに。

鄭州への列車に乗車し、
鄭州の1駅前で座席の
権利が失効したため、
1駅分40分を
無坐(立ち乗り)です。

硬座車両と食堂車両の間のデッキで
満員状態での立ち乗りです。

(立ち乗りは、以前に、
 長春→吉林間、2時間弱を
 経験済み)

日本の満員電車よりは
はるかにましなものの、
その間を車内販売のワゴンが
むりやり通っていく根性は、
さすが!

なかには、
車内弁当販売ワゴン
(スープ入り四角容器フタなしが
 上部に配置されており、
 危なっかしいです
 見事に上部の容器を
 スライドさせながら、
 スープを守ってワゴンを
 押していってます)
もあり、日本なら、普通は、
通るのをやめてしまう、
という場面です。

さすがに、立ち乗りには
さまざまな客層の方がおられる
ようでした。


日本人嫌いの若いお兄さんも
いたようです。

若いおにいさん、
列車到着が近くなったころ、
私の横にいた、
通訳担当の社員に、
「このひとは日本人か」と
何度か確認した上で、
「日本人、×××」と
ののしりことばを吐いた
そうです。
そして
遠くへにげさっていきました。

通訳の人はこわがって、
「次から列車はやめて、
 飛行機にしましょう」と
いってましたが、
何に乗っても、
同じことなのでは、
と思いましたし、

こういう場面に遭遇する場面も
あるのを覚悟しての移動なのだと
理解しました。


それまでにいろいろ話を
見聞きしていて、
公共の場所では
常に身構えてきており、
私は、そう何とも
思いませんでしたが、

通訳の方はこわかったようで、
気の毒でした。


日本人には見えないように、
と気をつけてはいたのですが、

仕事の移動中は、
どうしても日本語で
話さなければならない場面が
あるので、ばれちゃうのは
しかたないことでした。



ところで、
この日 鄭州の宿は、

同じ会社の鄭州駐在の方が
予約してくれた、
「河南民航大酒店」
 鄭州市金水路3号
でした。

当時の金額、
デポジット500元、
1泊298元(何かの割引を適用?)
でした。

室内は広く快適。

バスルームは湯船なしの
ガラス仕切りシャワー。

大きな通りに面したホテルで
ホテル内のレストラン施設なども
充実していました。
列車が予定より1時間遅れの
20:00ごろ到着したため、

地元の方と20:20ごろ合流し、
夕食に、「フイ(火+会)面」というめんを
いただいてから、
ホテルにチェックインしました。

フイ面というのは、
きしめんをひろげた感じで、
ほうとうのような外観です。

そのスープも
いろいろ薬効のあるような材料を
長く煮込んでつくる、
ということでした。

遅くまで待ってくれた地元駐在の方は
大変だったと思います。感謝。

当時の鄭州の人口は1億人、

中国で一番人口多い地方だとか。

日本1国分に迫る人口。

杭州には、
鄭州空港 翌朝出発の飛行機で
めざすこととなりました。


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杭州の宿



中略いたしますが、
翌日、飛行機で
杭州に到着。。。

杭州での宿は、
「南京軍区 杭州療養院」
でした。

病院、トレーニングセンターなどの
ある軍の施設で、
民間利用にも供しているようでした。
西湖のほとりで、
小鳥が啼き、庭園もきれいな、
絶好の立地。

(恐るべし、かいほう軍!)

宿泊施設はホテルと同等の運営で
快適でした。
泊まった部屋は割引あり、480元。

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ということで、発掘できた情報は
ここまで、です。

尻切れでスミマセン!


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