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12年前のことを反省:日本語専攻の方々に就職に向けてのお話🏫

12年前のことですが、日本語を勉強しているみなさんに就職に向けてのお話を、と中国の大学の先生から依頼されました。

日本語専攻の学生さんたちへのお話(12年前)

日本語を習得して、中国に進出している日系企業で仕事をしてみたいという方も多いので、という背景だったと思います。

その大学と同じ市内にknasadaの職場があったことから、大学に行って話してきてよ、との会社の命が下りました。

   ※写真は、当時の職場2か所の
    うちの1か所
    (主にここで仕事してました)


幸い、その大学の同じ学科の卒業生が、職場におられまして、その方々と相談して、こんなこと話したらいいのでは、という内容をレジュメにまとめて、お話の場にのぞみました。

12年前の記憶が薄れてしまっているのですが、中サイズの階段教室に学生さん数十人が集まって聴いてくださったと思います。

日本語で話して、学生代表の方、職場にいる卒業生の方々、などが中国語に逐次通訳してくれたのだったと記憶。。。

まずは内容を振り返って反省

記憶あいまいで、写真も残っていないのですが、当時のレジュメを発掘できました。恥をしのんでレジュメを反省がてら曝していきます。

まずは反省から。。。

<当時の聴衆に役立つ内容だったか?>

当時、日系企業と中国現地企業の仕事のやりかたや職場の過ごし方にはかなりの差異がありました。でも、あまりに日系企業側の視点だったと反省。日系企業をめざす方によくも悪くも参考情報になったことを願う(手遅れやん!)ばかり。。。

 (例え話は、職場の中国の方に
  協力いただき、
  中国の職場あるある、を
  織り込んでました)

<日系企業のやり方?>
「日本の会社のやりかたを中国の供与先に導入してほしい」と、現地の会社様から当時要望されており、日系企業ウケするやりかた、にしか頭がまわってなかったですね。
  現地の良いやりかた、
  日系企業の至っていない点、
なども配慮して話すとよかった、と反省した次第です

中国進出日系企業のやりかたの中には、今となっては古くさい規律やあるべきイメージなど多く含まれていたような気もします。

当時話した内容、今日には通用しないんだろうな、とあらためて気づかされた次第です。

12年前のレジュメ(恥をしのんで)

===当時のレジュメを要約引用===


  ①どの会社も欲しがる人材になりたい?
    取組み姿勢 性格
    専門能力 専門知識

    会社に入ると感じる不安:
      自分は役に立っている? 
      自分は必要とされている?

    「上司からよく叱られる、
     どうやれば喜ばれるか?」
      →キライだから
       叱っている
       のではない

    取組み姿勢:前向きに取り組む、
     関連の周辺分野にも興味がある
      例:「これ、できる?」、
         専門分野でなく


         仕事がたまたま暇な時
         どうする?
          →いつも忙しいので
           暇な時は
           ちょっと
           遊んでてもいい?
           でも、
           知識吸収も
           ちょっとやる

    性格:人によっていろいろ、
       チームの仕事に
       好作用するのは?
        →コミュニケーションや
         協調

       例:こんな状況
       「仕事の打合せ中、
        携帯に
        友達から重要な返事が
        着信」

    専門能力、専門知識:
       最初からあった方がいい、
       →重要なのは毎日進歩して

       専門能力や知識が
        十分ある、と
        自信を持つだけでなく、
       自分がどのレベルか
        わかっている
       さらにその上に
        どんなレベルが
        あるかわかっている
      今年はここまでできるように
        ・・・めざすレベル

  ②仕事をする上での注意点
    自分にとってお客様は誰か?

    学校生活での常識と、
    会社での常識は、違う


=== === ===

こんな感じだったにも関わらず、学生さんたちはちゃんと聴いていただいていて、お話の後の質疑もしていただき、感謝しました。

そのあと、派遣で来られている日本人の先生のお部屋(住居)にお邪魔して、関係者での懇談を楽しくさせていただき、当方にとっても良い学びの場となりました。

恥はかいてみるもの、恥かき歴史でした。