見出し画像

【映画】『彼らは生きていた』

 数千時間もの第一次大戦の記録フィルムから、百時間分を修復。カラー変換のうえ、音声も加えて編集した99分のドキュメンタリー。百年前の映像が今に甦っている。
 『ロード・オブ・ザ・リング』のピーター・ジャクソンが、持てる資金と技術に加え、膨大な手間暇を惜しまずつぎ込んだ点が何より尊い。
 驚いたのは、映像の中の兵士が話していることだ。まさか。同時録音など当時はできぬはずと、首をひねりつつ劇場用パンフを確認する。
 すると、読唇術のプロを雇い、映像内の兵士が話しているであろう言葉を解読。そのうえで、その連帯の出身地域の役者に、地元のなまりでアフレコさせたとある。そこまで手間をかけているのだ。

彼らは生きていた

 映像には、当時の志願兵へのインタビュー音声も重ねられる。戦争が始まり、若者たちは国のためにとこぞって志願する。 それも出願資格である19歳からという年齢を偽ってまで。中には15歳で志願した者もいたという。そして募集にあたってそれは黙認された。しかし「国のために戦おう」という思いは、いったいどこから生まれるのか。
 というのも、映画の開巻しばらくは、開戦に沸き立ち、戦場へとはやる若者たちの高揚感で好戦一色なのだ。それが後半から戦場の最前線に移ると、トーンはがらりと戦場の悲惨に変わる。
 殺戮の真っただ中でカメラを回せるはずはないからか、戦闘そのものの記録動画はない。だから、それまで生き生きと動いていた兵士たちは、すべて当時の動かぬ”報道イラスト”、またはごろりと横たわる死体の”動かぬ写真”となる。このとき彼らはまるで「物」と化したかのようだ。
 静止画像を写すカメラは、ズームしたり引いたり、左右に動いたりと忙しい。耳をつんざく銃砲火薬類の追加音声が、戦場の臨場感を効果的に盛り上げる。
 好戦気分から、彼らを待ち受けていた地獄の戦場へ。しかしそこに「こんなはずじゃなかった」という若者たちの感情描写は見当たらない。戦意に沸いた当初の高揚感など、忘れられたかのようだ。

 ここに戦争ドキュメンタリーの困難があるように思う。最新技術で復元された記録映像そのものが持つ力で、好戦と厭戦の間という綱渡りを、この映画は巧みに渡りきったとは思う。しかしそれは綱渡りではいけないのではないか。最終的にせり出してくるべきは、「こうしたことを繰り返さぬために」、という主題であるべきではないか。 
 そのためにこそ、「国のために戦おう」という心理の源を、人類はもっと考えなければならないのだと思う。確かに戦場に行かぬ若者が、「臆病者」と非難されることなど、郷里での居心地の悪さが語られもする。しかしそれも事後のこと。それは決して集団心理のせいばかりでもないはずなのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?