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ストロングスタイルについて考えてみる

この一年は、アントニオ猪木の一周忌も終わり、それぞれお別れの気持ちの整理をつけてきた1年だと思う。いろんな書籍が出たし、特集も組まれた。映画もあった。それらに接することで、現人神の不在を受け止めることができ、私も昨年秋の心の乱れを思うと、日常を過ごしているように思う。余談だが、猪木映画「アントニオ猪木をさがして」はネットで見る限り、賛否両論があった。高田延彦vs永田裕志の場外戦もあった模様。あれはタイトルの通り、精神的支柱の不在を受けて彷徨う人たちがただ探している映像をひたすら見さされる映画?で、アントニオ猪木追悼という想いで映画館に行った人は、ブラジルの取材の辺り以外は肩透かしだと思う。グッズも全然なかったし、なんとも探し物の多い映画であった。その存在が大きすぎたが為に、祀る人間の崇高な想いで塗りたくられないと納得感は得難い。この一年は軽い追悼とお金儲けの臭いを感じ続けた一年だった(もちろん、中には素晴らしい書籍などもあった)。

落ち着いたこの11月、昨年撮りためた、すぐには見れなかった録画をようやく見始めた。「ありがとう!俺たちの“燃える闘魂” ワールドプロレスリング アントニオ猪木 追悼 SP」。アントニオ猪木の試合を70年代、80年代、90年代に分けて、3時間ずつ3夜連続で放映。試合ごとに入る清野茂樹アナウンサーの語りが、熱く的確で、当時の背景なども踏まえて観戦できるし、意外に時系列で試合を連続で見る機会が無かったので、非常によかった。時代ごとのコンディションや使う技、会場の空気や客層など、とても理解ができた。

見ながら、ストロングスタイルってなんなんだろう、と考えた。ずっとわからなかったが、過去に見た、猪木の書籍、佐山聡のインタビュー、いろんな記事、見ても刺激を受けることの少ない最近の新日本プロレス(汗)、なども思い出しながら自分なりに出た答えが「説得力」だった。この言葉が頭に浮かんだ瞬間、ああそうか、ととても腑に落ちた。技術論、感情論、いろんな観点から語られているが、結局は観る側がいろんな側面で納得できるだけの「説得力」がそこにあるかどうか。怒り、愛情、意地、といった感情もそうだし、技の応酬もそう。それらがリングから怪しい色気とともに芳しい香りを漂わせている。ファンはそこに惹きつけられたんじゃないか。やっとそんな見解を持てるぐらいに辿り着いた。まだまだ道は険しい。

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