人魚を釣ってしまった
数年前の出来事だ。
その日は天候が良く、風もあまり強くない、釣りには絶好の日だった。意気揚々とポイントへ向かったは良いものの、一向に釣れないのだ。
いつもは30分〜1時間もすれば釣れるが、この日はさっぱりだった。
2時間経ち、3時間経ち、もうダメかなと思ったその時。
今までにない強い勢いで竿が引っ張られた。
慌ててラインを巻くが、重くてなかなか引き上げられない。
こりゃいつもより大きな魚がかかったのかもしれないと思いながら、
力いっぱい巻いた。やっと引き上げたそれは、魚ではなく人魚だった。
🧜🏻♀️
身長は55cmほど。髪はブロンドで長い。白い肌と豊かな胸。
尾びれは太陽の光に反射して、キラキラと虹色に輝いていた。
いや、虹色よりも美しかった。なんと形容すれば良いだろう。
女の子が好きな物を世界中から集めた色、とでも言えば良いだろうか。
青く透き通った瞳と長いまつ毛。スっと通った鼻筋。
頬は薔薇色で、唇は魅惑的な色と形だった。
とんでもないものを釣ってしまったと思った。
どうしようか。警察に届けた方が良いかな。とも考えたが、
人魚の目を見ていると家に連れて帰りたいという気持ちの方が勝った。ひとまずボックスに入れて持ち帰り、浴槽に水を貼ってそこに入れた。
🧜🏻♀️
それから私は毎日人魚の餌を取りに海へ行った。
驚くことに、人魚が釣れた次の日から魚が次々と釣れるようになった。
かぐや姫の話では大判小判だったが、人魚の時は魚なのか。面白い。
何種類かの魚を与えてみたが、好んで食べたのはアジとイワシだった。
食べない分の魚は私のおかずになった。
🧜🏻♀️
にしてもこの人魚という生き物は、見れば見るほど離れたくなくなる。それは人魚が美しいからか、それとも古くからの伝説のせいなのか。
だんだんと浴室にいる時間が多くなった。
最初のうちは餌をやったらすぐに部屋に戻っていた。
ところがしばらくすると餌をあげても部屋に戻りたくなくなり、
そのまま人魚を眺めているようになった。
餌をやり、部屋に戻り、ご飯を食べて、眠った。餌をやり、人魚を眺め、渋々部屋に戻り、ご飯を食べて、眠った。餌をやり、人魚を眺め、浴室に出来合いのものを持ち込んで食べ、部屋に戻り、眠った。餌をやり、人魚を眺め、浴室に出来合いのものと布団を持ち込み、人魚と共にご飯を食べ、人魚と共に眠った。
🧜🏻♀️
このままではいけないと常々思っていた。
仕事もサボりがちになり、度々会社からの電話が鳴り響いていた。
しかし、どうにも離れられないのだ。
会社に行かねば、行かねばと思い立ち上がって浴室を去ろうとすると、
やはり人魚のことが気になってしまう。
そのまま浴槽の傍に戻り、結局会社には行けなくなってしまう。
もうそろそろこの人魚を海に帰さねばならないだろうか。
そんなことを思いながら人魚を見つめた。
人魚は相変わらず美しく、水の中をふわふわと漂っていた。
🧜🏻♀️
もうダメだ。このままでは自分は、
会社にも行かずにただ毎日人魚を眺めるだけの人になってしまう。
そう感じた私は、友人に相談した。友人はすぐに相談に乗ってくれた。そして、明日行くからそれまでに人魚を何かに入れておいてと言った。私は人魚を閉じ込めることに抵抗感を覚えながらも、どうにかこうにかボックスに入れた。数日ぶりに部屋でご飯を食べ、布団で眠った。
🧜🏻♀️
次の日、私は人魚の入ったボックスを車のトランクに乗せ、友人と海へ向かった。久しぶりに外に出たせいか、日差しがやけに眩しく感じる。
海へ着くと人はおらず、波の音だけが響いていた。
ボックスから人魚を滑らせ、海へ帰す。友人は帰るよと言ったが、
私はまだそこから離れることができないでいた。
人魚が海面から顔を出し、じっとこちらを見ているのだ。
ずっと動かない私を見て、不思議に思った友人もこちらに戻ってきた。
と、人魚が目を見開き、口をぱくぱくさせた。喋ったのかもしれない。その後のことはよく覚えていない。気がつくと私は、友人に抱きついてぶるぶる震えていた。友人は、ただ黙って私の背中をさすってくれた。
🧜🏻♀️
そんな出来事があってから数年。
私は今、友人とルームシェアをして過ごしている。
あの時人魚が喋ったのかは分からない。ただ、友人の存在がなければ
今私はこうして再び社会人としてやっていけなかっただろう。
と、友人のいれてくれたコーヒーを飲みながら思うのである。