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傷つき、癒し

久しぶりに悲しいことがあった。

私は学校で、キッズイングリッシュの先生になるための授業を選択している。冬休みには保育園へ模擬授業をしに行くことになっているので、この間はそれに使う教具を作っていた。

先生からは事前に「教具は全て手作りで」という指示があった。その時点で憂鬱だった。私はとにかく手際が悪い。そして不器用だ。できれば百均などで買って済ませたい。でも指示があったからにはやるしかない。やらないことには終わらない。

そう自分を奮い立たせ、3~4週間であれこれ作った。チューリップの名札とか、天気や色の絵カードとか、ゲームに使うボールとか。他の人よりも時間がはかかったが、なんとか完成させることができた。「これを全て私が作ったんだ!」という達成感でいっぱいだった。家に帰ってからも、作った教具たちを床に並べて眺めていた。

そこへ母が帰ってきた。そして私の教具たちを見て「こんなの小学生だって作れるじゃん」「ちゃんとしたの作らないと子どもに笑われるよ」と言った。

分かっていた。私のは周りの子たちが作ったのより拙いなんて、そんなのとっくに分かっていた。それでも母にそう言われたことが悲しかった。

ある子は海外の子ども向けアニメの中に出てきそうな動物を描いていた。ある子は折り紙でカップケーキを作り、それを名札にしていた。またある子は、とても上手に警察官や消防士の絵を描いていた。

私は絵を描くことが苦手だ。折り紙も複雑なものを作ることはできない。だから自分の力でできる範囲のものを自分なりに頑張って作ったのに、それでも「小学生でも作れる」なのか。みんなと同じ時間、同じように精いっぱい取り組んだんだけどな。私のはちゃんとしてないのかな。

名札に折り紙で作った茎と葉っぱをくっつけてみたら、本当のチューリップみたいになって嬉しくなった。母に見せると「それは『頑張った』じゃない。『誤魔化した』だよ」と言われた。見せなきゃよかったと思った。

専門学校に入って8ヶ月。性格はポジティブになったけど、ふとした時に人と自分を比べて落ち込む癖は直っていなかった。

話は変わるが、最近になって自分が感じた嫌な気持ちを癒す方法を手に入れた。(この方法の名前はまだ決まっていない。決まり次第追記しようと思っている)

この方法を思いついたのは、先ほど書いた出来事があった夜のことだった。布団の中に入ると色々な感情が頭の中を巡って、どうにも眠れなかった。

私はまず、自分を『都合の良い3歳児』にしようと考えた。ここで言う都合の良い3歳児とは、『見た目は3歳児だが語彙力は現在と同じレベル』の状態のことである。

次に私は、自分の中にもう1人の人を作り上げることにした。ここではイマジナリーパーソンと書こうと思う。子どもにはイマジナリーフレンドがいて、遊び相手になったり相談に乗ってくれたりするのだという。それの大人バージョンのようなものだ。

都合の良い3歳児になった私は、イマジナリーパーソンに自分の感情をぶつける。イマジナリーパーソンは決して怒らない。こちらの意見を否定することもしない。ただ優しく私の主張を受け止め、「なぜそれが嫌だったのか」「本当はどうしたかったか(または相手にどうして欲しかったか)」などを尋ねる。私はそれに1つずつ答えていく。

嫌な気持ちが治まってきたら、イマジナリーパーソンに「もうだいじょうぶ」と言ってもらう。これが私とイマジナリーパーソンのやり取りの終わりの合図である。

今までは嫌なことがあったら、ただ布団の中で静かに泣くのみだった。しかしこの癒し方を手に入れたことで、自分を客観的に見つめ、嫌な気持ちの原因を探ることができるようになった。自分のレベルと経験値が一気に5くらい上がったのではないか。(そういうゲームはやったことないけれども)

この記事を読んでくれた方には、ぜひ試してみてほしい。良い意味で心が空っぽになる感覚を味わうことができるだろう。またはブランケットに包まりながらホットミルクでも飲んだらいいのではないか。無理に自分と向き合わなくても良いと思う。

【追記】2023/5/9(火)
もしかして私のこの現象(自分の中に別の人や生き物を作る→話をする・悩みを打ち明ける)は心理学的に既に名前がついているのではないかと思い、1週間前に心理学の先生にたずねてみた。

今日、その答えが返ってきた。『イマジナリーコンパニオン』(こめつぶ調べ:イマジナリーフレンドの学術的な呼び方)と呼ぶのだそうだ。消えてしまうこともあるのだという。

大人でもイマジナリーフレンドがいる場合があるのかと少し驚いた。イマジナリーフレンドは子どもだけのものだと思っていたから。

そんな今日も心理学の授業を受けながら考えていたことがあるのだが、その話はまたいつか。