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楽園 | ep.3 飛翔

僕が彼女と知り合ったのは、1年ほど前だった。


友達とふらっと入った蕎麦屋で、バイトをしていたのが彼女だ。


混雑する小さな店の中、僕らの注文をとった彼女を見て友達が、

あの子と連絡先を交換したいから協力してくれないか、と僕に言ってきた。


僕は正直面倒くさかったが、友達が彼女のバイトが終わるまで店の外で待ちたいというので、一緒に待つことにした。


どうせすぐ出てくるだろうと思った。



しかし、彼女のバイトが終わったのは、夜の8時半。


それまで待っていられず、僕は何度も帰ろうとし、何度も別日にしようと提案した。 


しかし友達は今日じゃないとダメだ、となぜか意地を張って帰ろうとしなかった。




僕は呆れながら、蕎麦屋の前の公園で子供たちを眺めたり、自販機のジュースの名前を無意味に唱えてみたりしていた。


その間も友達は店の前で彼女を待っていた。




そして夜も更け、やっと、彼女が出てきた。


彼女は店から出るやいなや、足早に駅の方へと歩き出した。



友達は急いで彼女を追いかけていって、声をかけた。


昼間ここで食事をしたときに見て、一目惚れした。
連絡先を交換してほしい。

と、友達は少し震えた声で彼女に言った。




僕は、
こいつ、本気なんだな、
と一歩後ろで声を聞きながら思った。





彼女は言葉を聞いた後、少し沈黙し、
感情のない声で

「すみません、さようなら」


と放ち、去って行った。




長時間の末、勇気を振り絞った友達は、膝から崩れ落ちた。


僕はそれを見つめながら、


彼女のことを



好きだ、と思った。



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僕はまた屋上にいた。


夜なのか朝なのか分からない時間。


午前4時半、昼夜逆転した僕はなぜか屋上にいる。



この間の失敗から再び時間を止める方法を探していたが、なかなか思いつかなかった。



しかし、夜中ぼーっと観ていた映画。


主人公が敵から逃げるため、ビルからビルへ、
難なくすり抜けていくアクションシーン。


ありきたりな描写に飽き飽きしていたが、その時思いついた。


人間は死にそうな時、
自分の身を守らないといけない時、
どこかにワープしたり、時間を止めたりするんじゃないか、と。



夜中の思惑は、怖い。


僕は映画を止めて、家を出た。



靴を履いている時、ニャアと猫が鳴いた。


ちょっと行ってくるよ、と猫の小さな額を撫でた。


猫はくるっと体の向きを変え、興味のなさそうに部屋の奥に消えていった。






街にはまだ人は出ていない。

昼間と打って変わって、とても静かだ。


僕はこの方法を思いついた過去の自分を、少し責めたくなった。



屋上から飛び降りるなんて、恐ろしい。

普通に考えたら、おかしい。

おかしいって。




手すりから下を見下ろしながら、思った。

しかし、やるしかないことは分かっている。

僕は結局やるんだと分かっている。



それならもうやろう。

時間をかけてもしょうがない。






僕は手すりに右足をかけた。


静かに息を吐きながら、左足をかけた。



目を瞑った。



そして、重心を前にかけた。



落ちた。


なぜかゆっくりと落ちている気がした。


耳元でヒューヒューと風が通り過ぎていく。


いけるかもしれない、と思った。


そう考えている間も、ゆっくりと落ちていく。








ドンガラガラガラガッシャン!


と耳元で大きな音がした。


それと同時に、足と背中に激痛が走った。

僕は背中をさすって、

痛え、と呟きながら目を開けた。




どうやら死なずに着地したようだった。


しかしそこは地面ではなく、
ビルの敷地内に設置されている、物置の屋根だった。



ああ、屋根に落ちたんだ、と思った。


実験は成功したのかな、とぼーっと思った。






しかし、背後からいきなり、

「すみません、大丈夫ですか。」と声をかけられた。


ハッとして振り向くと、どうやら新聞配達員のようだった。



僕は混乱しながら、
「あ、あっすみません、間違って落ちちゃって。」
と俯きながら、早口で答えた。



配達員は怪訝そうな顔をして、「ならいいですけど」と言ってバイクで去っていった。




実験はまたしても失敗したのだ。






よく考えてみると、この屋上は大して高くない。



二階建てではあるが、各階とも天井は低いので、
周りのビルと比べると、目立たない建物だ。




僕は、はあ、とため息をついた。


自分の無計画さに呆れてしまう。


どうして成功すると思ったのだろうか。


第一、これで大きな怪我でもしていたら、どうしてたんだ。
本末転倒じゃないか。




僕は落ちた衝撃で、しばらく繰り返しそのようなことを考えていた。



物置の屋根にぺたんと座り込んで考えていると、
眠気が襲ってきた。

これも、衝撃のせいだろうか。




僕はオレンジ色の朝日に照らされながら、
屋根から降りた。



眠い目をこすり、

僕は足と背中の痛みを感じながら

もう一度、はあ、とため息をついた。

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