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人生第2章

去る6月6日、祖母が96歳にて永眠しました。

3年前にがんが見つかり胃を三分の一摘出、今年の5月に肺への転移が確認され入院したものの、家に帰りたいと。お医者さんと本人の意向を尊重し、退院して自宅での療養へ。
日に日に見るからに体力が衰え、最期は静かに眠ったようでした。

朝、出勤の自宅中訪問看護師さんに来てもらっていた中「亡くなったかもしれん」という呟きが聞こえて来て慌てて祖母の部屋へ駆けつけ仕事は欠勤の段取り。お医者さんに確認いただき家族全員いる中での臨終となりました。

それから数日は葬儀屋さんとの打ち合わせを中心に、家族で弔問の対応や準備など。当たり前と言えばそうですが慣れないことや隅々までの段取りの連続でした。葬儀から帰宅して暫くは大の字になって動けずにいた。(夜も床で寝そうに😓)
周りの配慮のお陰でゆっくりお別れできたので、あとは時間と共に寂しさと向き合って行きます。

祖母から学んだことがあります。

自己主張は時に周りを救う

祖母はかなり気丈な性分で、好き嫌いや主張がはっきりしておりました。
既に亡くなった祖父とは完成にかかあ天下で、定年まで看護師としてバリバリに働き家も建て、それを定年後もずっと誇りにしていた。

好きな色や花が好きだったことも、家族や近しい人の共通認識でした。ここ数日は、最期を悟っていたのかお気に入りのワンピースも出してもらっていた。これは知らなかったのですが機会があった折に戒名も得ており、遺影の写真も選定していた。

ので、葬儀の諸々を決める際にすごく助かりました。決め事には悩むことなく家族満場一致で「これが良いよね」「あれ好きだったからこれにしよう」みたいな感じで即決でした。参列者からも「お花好きな方やったもんねぇ」と褒めていただいたり、遺影も「生前に本人が選んでいたんです」と返せたり。不安や後ろめたさが無く送り出せたなと。

自分は主張=わがままみたいに強く思うことが多かったけど、自己主張は言うならば自分の思うように生きること。思うように生きれたのなら、と心も幾分か救われている気がします。
勿論、思うところはありますがその分周りの世話も焼くし、口だけではない人だったので。

ちなみに祖母は数年前までは常時タバコも吸っておりましたし、夕飯は必ずお刺身(肉は一切食べない)。いわゆる介護食は一切口にしなかった。
母も「生きてるうちにお供え、お供え」と言い聞かせていたのですが、それも今となっては良かったねと。

自宅で最期を迎えたのも「こんなに早く勝負つくとは思わなかったけど、何回かだけでもお世話できて良かった」と言っておりました。
お骨も96歳とは思えないほど多く、骨もしっかりしていて思わず声が漏れました。
火葬場の付き添いの方から「何かスポーツされていたのですか?」と聞かれたほどで。
確かに足腰は強く、早朝の散歩が習慣だったり、公民館に体操に赴いたりしていたなと。あと、やっぱり食べたいものを食べるのが1番だねと。

祖母の生き様を胸に、自分の人生にも革命が起きそうな気もせんでもない。いや、起こそう!

何も伴っておりませんが今、「人生第2章」の足音を感じずにはいられません。

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