聞きたくない話、聞く必要もない話を聞くのは暇な時だけでいいのではないだろうか?
聞きたくない話というよりは聞く必要のない話。
それ聞いてなんになるのだろう?って思う話をする人がいる。
あまり出会わないけど、今通っている学校にいる。
過去の仕事のここがどうだった、ここがあーだった。
いや、知らん!興味ないわー。が本音だ。
友達の話は聞く、でもいやあなたのは聞かんよーって感じ。
何回も何回も同じ話しなくていいのですけどってなる。
なんか方言が混じってる気がする…。
休憩時間も苦痛な時もある。
楽しい話はしていない。
興味ない話もあるし、わからない話もあったり、年上の方ばかりだから、まあ為になる話もある。
話し方が気持ち悪いなーって人いて…なんなのだろう?
これを生理的に無理と言うのだと思うけど…。
ここまで生きてて、なんか時々いる。
見た目とかではなくて、話し方ですね。
でもこれは仕方ない。
でもそういうのって意外と共有できてしまう。
みんな思うのだ。
みんななのかは知らないけど、わたしの周りの人はそうだった。
なぜこんなタイトルで書いているのかというと、金曜日の帰り、本当はひとり女性の方が最後だったからゆっくり話もしたかったかもしれないけど、男の人たちの過去の仕事の辛かった話が始まって、休憩時間なら聞くかもしれないけど、家に帰らないといけないし、バス通だからバスの時間もあり、早めに切り上げた。
本当申し訳ないけど、無理。
もう辞めてるじゃん?
いつまで言うの?
わたしも昔の仕事の話はするし、ここにも書くけど、話すときは聞かれた時のみだし、あまり詳しくは話さないし、『色々ありまして』という形にして、そんな嫌だったことなどは言わない。
ブラックだったところのは受ける人がいないように共有はしたいけど。
ここに書くのは気持ちを吐き出しているから、ここには好きなことを書く、読む人が選ぶことができるから、良いかなー?って今日のこの記事も書いている。
読みたくないものはわたしも読まないし、読んで共感すれば良いなーって思うけど、そうじゃない時もある。
人間だからみんな考え方も感じ方も違うし、良いよね。
という感じですが、まだまだこの生活は続くようですが、その人たちの話は避けつつ、乗り切りたいなーと思います。
おわり。
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