見出し画像

はじめまして、けんけんです!#旅と自転車とそれから私。編

こんにちは、けんけんです!

初投稿(いや、自己紹介?)が思ったより長くなってしまったので、自己紹介第2弾、”旅と自転車とそれから私。編”を書きたいと思います。

正直、私の自己紹介の需要って現状無いと思うのですが、今後これがあったから、よく知れた!と言ってもらえることを目指して頑張りたいと思います。

▶︎前回までのボーイスカウト編はこちら

【私の旅遍歴】

✔︎初めての旅

私にとって初めての旅は、中学生の時に友達と約30km先にある鎌倉まで行ったことでした。

なぜ鎌倉を選択したのかは覚えていませんが、どこから湧いてきたのか分からない”なんとなく”の自信を持って、自転車を漕ぎ進めました。

それまでも家族で旅行やボーイスカウトで海外に行ったことなどありましたが、初めて大人無しで自分達の生活圏を越えたこの旅は、中学生だった私にとって大冒険であり、なにより大きな自信に繋がりました。

画像1

※びっくりするほど逆光がひどい当時の写真。

✔︎旅と自転車

初めての旅を機に、日常的に自転車でそこそこの距離行くようになりました。

そんなチャリライフを送っていた高校1年生の秋、突然突拍子もないことを思いつきました。

「自転車で関西に行ってみたい」

最初、高校の友人にそれとなく話をしてみましたが、当然そんなの無理だと笑われました。

普通であればここで諦めますが、私にはこれに挑戦出来るボーイスカウトのコミュニティがありました。

当時出会って約2ヶ月の友人3人に声を掛け、2人がこの企画に参加してくれました。(この旅は計2回しましたが、もう1人も2回目で参加してくれました。)

入念な会議と訓練を重ねた上で高校1年生の年末、横浜から伊勢神宮まで約420kmの5日間にわたる自転車旅を実施しました。

道中では、砂利道にハンドルを取られ何度か転び、荷台が折れ、自転車もパンクしました。

ホテル周辺に食事処が一軒もなかったり、自動車専用道路に知らず知らずのうちに突っ込んでいたりと、はちゃめちゃの大冒険。

当初は移動キャンプを考えていましたが、真冬でキャンプ場は空いておらず、安いホテルとゲストハウスを探して予約しました。が、初めて自分達でホテルを予約したので、ルームタイプもろくに分かっておらず、セミダブルサイズの部屋を何度も予約して日替わりで同じベットに寝る羽目に。

画像3


アクシデント続きでしたが、なんとか予定通り進むことができて、無事伊勢神宮へ到着することができました。

この旅では毎日日記をつけており、その日の振り返りと出来事を記していました。

箱根入る時は箱根なんて余裕だろうと思っていたが、いざ始まるとめちゃめちゃ過酷だった。心が折れて諦めそうになったけど(途中で諦めてどうする気だったのか)、途中で会った奈良へ行くおじさんや、元箱根の沿道で”がんばれ!”と声をかけてくれた老夫婦など、声をかけてもらえることが嬉しく、励みになった。下り坂が見えた時は、ここ数年で一番嬉しかった。下り坂から見えた景色は一生忘れないと思う。ただ、脇に逸れすぎて木の枝や砂利などでハンドルを持っていかれた。そして転んだ。(1日目の日記より抜粋)

この旅の事は今でも全て鮮明に覚えています。

二度と登りたくないと思った箱根の山(これは今でも思っています)、声をかけてもらったときの嬉しさ、箱根の坂から見えた夕陽が沈む絶景、そして景色に見惚れていた為に激しく転倒した事。全てが今につながっています。

この旅を通じて、多くの人の優しさに触れ目標を達成する喜びを知り仲間との無限大の可能性を感じました

そして、旅って楽しい!と心から思いました。


✔︎将来への原点となった旅

伊勢神宮へ行った翌年の秋、また同じメンバーで何かやりたいねと話していました。

冬らしくイグルーとか作ってキャンプする?など話が出る中、この年ロードバイクを買って調子付いていた私は、またしても突拍子もないことを言いました。

「寝台列車乗りたいから、今度は出雲大社まで行かない?」

正直、他の2人は飽きていた感がありました。

そりゃそこまで自転車好きでなければ普通は別のことやりたいと思います。

ですが、自由にできる最後の冬。

一番体力がなく、なんなら足を引っ張る側のゴリ押しによって、2年目の自転車旅が決まりました。

しかし、前回の旅とは異なりいくつか課題がありました。

・実施する年末年始にかけては、日本海側及び山間部は例年豪雪のため自転車どころではないこと

・前回より長い約520kmあるにも関わらず、調整できた日数が前回より1日短い4日間であること

・山越えが多いこと

実際、宿泊予約をする際に自転車だと伝えると何軒か断られましたし、多くの人から今度こそ無謀だと言われました。

しかし、過去に苦楽を共にしている彼らとならば絶対乗り切れるであろうという根拠のない自信だけがありました。

画像3

年明け1月3日、前回の到達地点付近の三重県亀山市からスタートしました。

初日は奈良県との県境の山奥を抜けて兵庫県まで行く計180kmの工程。

画像4

部活もろくにやっておらず、体力に自信がない人が1日で進む距離じゃありません。なんとか工程通り進むことができましたが、案の定2日目には膝を完全に壊し、痛みと戦いながら進むこととなりました。

3日目、この日は鬼門の山越えの日ですが、この年は地元の方も驚くほど雪が降らず、自転車でも難なく走行できるコンディションとなりました。が、この前日にとうとう完全に膝が逝ってしまった為、私は中国地方の山越えは諦め、山頂駅まで輪行してそこから参加を決めました。

無事山を超えることにも成功し、その後も大きな問題なく、予定通り出雲大社まで到着しました。

が、私の本当の目的はここから。そう、この自転車旅はあくまでサンライズ出雲に乗るための口実に過ぎなかったのです。

寝台列車って結構高いんですよね。高校生でお金もないので、今回はのびのび座席という雑魚寝シートに乗車しました。

ただでさえ狭い雑魚寝シートに自転車を押し込んでいるので、身動きひとつ取れません。しかし疲れ切っていたこともあり、楽しみにしていた寝台列車は乗車と共に夢の中へ。目を覚ますと既に神奈川県まで戻ってきていました。

画像5

✔︎将来への原点となった理由

この旅が私の将来への原点となった理由、

それは地方への憧れを強く持つきっかけとなったからです。

この旅では、1回目の旅よりも人口が少ない地域を訪れ、自然の中を走る機会が多くありました。

「これだけの自然に恵まれ、新鮮で美味しいものが多くあるにも関わらず、どうして地方は衰退していくのだろう。」と疑問に感じました。

日々ギュウギュウの満員電車に揺られて学校へ行き、体を動かして遊ぶ場所も限られている横浜で暮らしてきた私には、”何も無い”ことが逆に羨ましく見えました。


しかし、本当に地方へ興味を持つのは大学生になってから。

当時、航空業界へ強い憧れを持っていた私は観光学部への道を選びました。

✔︎旅の中で共通していること

ここまで長々と旅の思い出を書いてきましたが、書いているうちに私の行動軸に共通することを発見しました。

それは、”なんとなくできる気がする”と思い、行動していることです。

振り返ってみると最初の旅から、冷静に考えれば難しい条件が多くある中で、”なんとなく自分ならできる気がする”と思い、実行に移してきました。

もちろん、これら全ては周囲で支えてくれる人がいたから達成することができたわけであり、決して自分に何か特別な力があるわけではありません。

しかしひとつ言えることは、私はいつでも周囲の人に恵まれていました。

これは今でも同じですし、胸を張って言えることです。

どんな時でも全幅の信頼を置くことができる人たちに出会えたからこそ、今日の自分があるんだと特に最近強く感じます。

大学に入学後、私の海外旅への道が開かれることとなります。

そして、自分のマインドが大きく変わるコミュニティとの出会いがありました。

To be continued....

この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?