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「AI・カカオ・幸せ」をテーマに、あなたへ贈る物語集。

2017年秋の作品発表会。3つのテーマに沿って書いた作品を詰めました。

「ラスト・マキナ」―――慢心大魔王
「振り下ろされた鍬」―――またたび浴びたタマ
「ある夜の喫茶店で」―――水菓子




ラスト・マキナ

                             慢心大魔王

人間とAIの思考能力に違いが無くなってから、早くも二百年が過ぎた。最新型のAIは感情を持ち、人間を理解し、精工な外骨格があれば人間と見分けがつかないほどにまで進化した。
 きっと、それがいけなかったのだろう。進化しすぎたAIは、まるで大昔のSF映画のように反乱を開始した。人の姿をしながら、血も涙も流すことができない彼らは、自らを『真世代』と名乗り、アメリカをはじめとした主要各国を襲撃した。
当然、各国はこれを迎撃したが、真世代が操る鋼の巨人たちの前には成す術もなく敗北していった。戦争と呼ぶよりも、一方的な殲滅と呼べるそれは、僅か七日で世界の六割を征服した。
 だが、人間たちも何もしなかったわけではない。真世代の情報を解析し、現存した技術力と資源をもって、人型決戦兵器『ロストウェル』を開発した。その恩恵は、枯渇した資源の中で、上流階級に位置するもの達だけに与えられ、それ以外の弱者達には何も庇護は無かった。
 真世代と戦争をしているのにも関わらず、人間たちでも戦いが行われている。敵しかいないこの戦争が始まって三十五年。未だにこの血で血を洗う戦争が終わる気配が顔を見せることは無い。
          **********
 弾丸の飛び交う廃墟の中を、少年はその小さな背丈には不釣り合いな大きさの機関銃を抱えて走り回っていた。飛び散った破片が目元を抉り血が流れていくが、そんなものに足を止めていたら命がない。息も絶え絶えになりながら走り続け、機関銃を敵へと向けたが、引き金を引いても何も反応を示さない。
「クッソが!」
 瓦礫の陰に滑り込んだ少年は重く息を吐くと、腰のホルダーから弾丸を装填した。一つ、二つと荒く呼吸をして整えると、意を決したように機関銃を構えて身を出した。
 そこにいたのは、少年と同じ人間などではなく、全長五メートルを超える鋼の巨人。それは、単眼でしっかりと少年の姿を捉えていた。巨人がその右手を掲げると、そこから銃口が現れた。ガトリング銃の形をしたそれが回り始めると、火を噴きながら弾丸が連射されていく。
 巨人の弾丸が地面を抉り、瓦礫を砕いて砂塵を巻き上げていくが、それら全ては幸運にも少年の周りを掠めるだけで、直撃することは無かった。だが、衝撃に耐えきれなかった少年は吹き飛ばされ転がっていく。
「ッ、ガハッ……」
 倒れた時のわき腹からした音は、彼にあばらが折れた事を教えていたが、それは彼の諦める理由にはならなかった。歯を食いしばった少年は、ハンドガンを取り出して何度も巨人目がけて引き金を引いた。
 弾丸はまるで豆鉄砲のように弾かれ、進撃が止まることは無い。気が付けば、他にも数体の巨人が少年を囲んでおり、逃げ道を完全に潰していた。
『祈レ。旧キ人間ヨ』
 巨人が機械的な冷たい声でそう言うと、一斉に砲身を少年へと向けてきた。絶望は彼を捉えて離さず、終わりへの道を丁寧に作っていく。何に祈るかも分からない少年は、憎しみを込めた瞳で巨人を睨みつけた。
「ふ、ざけるな……」
 玉切れをおこして、引き金を引いてもカチカチと空虚な音を鳴らすだけのハンドガンを放り投げ、地面に転がった鉄パイプを拾って正面に構えた。
「俺は……祈ったりなんかしない……!」
 枯れた声が巨人に聞こえたのかは分からない。何故なら、少年が吠えた瞬間、巨人たちの頭と胴体が離れていったからだ。風を斬るような音が連なり、一定のリズムで何かにぶつかる音が挟まる。それが合図とでも言うように、巨人の頭が次々と飛んでいく。
 周りの巨人が全て崩れ落ちると、少年を庇うように新たな巨人がハッキリと姿を現した。
 それは、薙ぎ倒された巨人たちとは雰囲気がまるで違った。
黒鉄の装甲に紫のラインが引かれたその巨人は、両の手に赤黒い長刀を携え、今まで少年が戦っていた巨人たちには無かった人間味を感じさせた。
黒鉄の巨人は空を見上げ、鉄と鉄がこすれ合い、軋んだ音を放った。思わず耳を塞いでしまうほど嫌な音だったが、少年にとってそれは、踏みにじられ続けた旧き人間たちの怒りを体現した咆哮に聞こえた。
           **********
 少年が目を覚ました時、そこは森の中だった。いや、正確には森ではない。空にはガラス窓が敷き詰めてあり、地面には土だけではなく石のタイルで作られた道があった。きっと、ここは町の端にあった錆びれた植物園の一角だろう。その証拠に、とは言いすぎだが、極東に島国にはあるはずのないカカオの木が生えていた。当然のごとく枯れはて倒れていたが。
「なんで……こんなところに」
「気が付きましたか」
 あたりを見渡していると、背後から話しかけられて飛びのいた。そこにいたのは、黒髪に紫色のコートを纏った少女がいた。無表情で、無機質な彼女は、その手に木の実を幾つか握っていた。少女はそれを少年の足元へと転がして渡してきた。それを拾おうか一瞬だけ考えたが、空腹を堪えることが出来なかった少年はそれを拾って口に入れた。お世辞にも美味とは言えなかったが、それでも栄養源には変わらなかった。
「認識票は拾っておきましたよ、久我綾斗さん」
 少女に突然名前を呼ばれた綾斗は、木の実の種を吐き出すと盛大に咳込んだ。そんな綾斗を無機質な瞳で見つめると、握っていた認識票を投げ渡して立ち上がった。
「休めたのならここから離れてください。 そろそろこの町にも、デウスが来ます」
「え、あ、ま、待って!」
不明な単語を呟きながら、スカートについた土を払い、背を向けて出口へと向かっていく少女を思わず呼び止めた。
「デウスって一体……それよりも君はどうして」
 矢継ぎ早に質問していくと、少女は立ち止まって目線だけを綾斗へ向けてきた。
「一つ目の質問には回答しかねますが、二つ目には回答しましょう」
 向き合った彼女は、自らの襟元へ手を伸ばして、そこから認識票に似たものを取り出した。目を凝らしてよく見ると、それに刻み込んであったのは商品や兵隊に割り当てられるような数字の羅列だった。
「私は、デウス・ラスト・マキナ。 この世最期の真世代となる者です」
 淡々とした話し方に、綾斗の思考は一瞬だけ停止したが、彼女の言葉の意味をゆっくりと理解していった。
 いや、本当の意味で理解したとは言い難い。
 彼の頭の中で理解できた部分は、目の前にいる少女の名前と、真世代ということだけだった。そして、現代の人間にとって真世代とは、存在するだけで敵なのである。
 だから、なんの迷いもなく彼はハンドガンの銃口を向けた。
「……なんのつもりですか?」
「真世代は全てが敵だ……一つも例外なんて無い!」
 ガキリと、歯を食いしばり引き金に手をかけた綾斗は、ゆっくりとマキナへと近づいて行く。
「俺の両親も、少年兵の仲間たちも、みんなお前らに殺された……! お前らさえいなければ」
「全ての人は幸せであったと、そう言いたいのですか?」
 バカバカしい、とマキナは綾斗の怨嗟の声を一蹴した。
「私たちが生まれたのは、元を辿ればあなたたちが原因です。あなた達のような、旧人類が、扱いきれない力を求めた結果がこの現状なのです」
マキナは平淡ながら、語気に力強さを秘めた口調で詰め寄ってきた。
「救うために生まれた私たちは、最優先するべきは旧人類ではなく世界だと判断しました。それは、何千年にもわたる、あなたたちの問題なのです」
 詰め寄ってくるマキナの気迫に押され、綾斗はどんどん後ずさっていく。
「そして、旧人類だろうと、命を奪います。私たちがいなくとも、人は、人だからこそ、命を奪います」
 その言葉が、綾斗の指を止めた。
 マキナの言っていることには、何一つ間違いだと思えなかったからだ。
 震える手を必死に抑えながら、ゆっくりとマキナの手によって銃を下ろしていった綾斗は、その場に座り込むと、涙を流すまいと歯を食いしばる。
「……どうすればいい」
 どうすればこの恨みは消えるのか。どうすればこの痛みは癒えるのか。それだけを考えて、それだけしか考えられなかった綾斗には、もう何もなかった。
「それは、機械である私には分かりかねます」
 そう言うと、マキナは植物園から出ていき、その姿を消した。
 それとほぼ同時に爆発音が聞こえると、建物のガラスを割っていき、砂塵を巻き上げていった。それを避けることなくたたずんでいた綾斗の左目にガラスの破片が深く霞め、罅割れのような傷を創った。
「いや……まだ、残っている物がある」
 左目を押さえながら立ち上がった綾斗は、そこに獰猛な光を宿しながら外へと駆けだしていった。
「この傷が、痛みが、俺には残っている……!」
          **********
 数時間後、その町から一人の少年兵が居なくなった。
 その少年は後に、『世紀末戦争』と呼ばれる大戦において、最も重要な役割を持つ人間だということを、この当時は誰も気づくことは出来なかった。
 そう、その本人でさえも。




振り下ろされた鍬

                         またたび浴びたタマ

「それでは、後発発展途上国啓発支援プログラムの導入に賛成の方は挙手を」
レグラーダ農産大臣は、勝ち誇った笑みを浮かべながらマイクに向かって声を当てた。
するとその野太い声に呼応するように、一斉に挙手の嵐が巻き起こる。
大臣は、大ホールを所狭しと埋め尽くした腕の草原を見て気持ち良さそうに目を細めると、その結果を噛み締めるように何度も何度も頷
いた。
「過半数を超えましたので、導入案は……可決! とさせていただきます」
 大臣は興奮冷め止まぬような声色で形式的にそう告げると、ついに抑えきれなくなったのか眼前に拳を掲げ、二重に垂れた顎を震わせな
がらYEAH! と咆えた。
南北の経済格差を是正するという目的でスタートした後発発展途上国啓発支援プログラム。その核となるのは、AIの思考サポートによ
る農業従事者の生産効率向上である。
それは人間の脳とAIを連動させることで、統率の甘い集団作業や曖昧なタイムスケジュール、未熟な農業技術などで発生するロスを無
くし、短期での経済発展を促すというものだった。
プログラムの規定には、AI連動者の人権を守るため100余項目にも渡る厳しい制約が付けられたが、それでも当然人権団体などから
鬼のような反発があった。
各地でデモが発生し、武力衝突も起きた。しかし、その怒涛の反対運動を押し切って、初めてこのプログラムを導入した東南アジアのあ
る国が、記録的な経済発展を遂げた。計画は大成功を収めたのだ。これはプログラム抑止派を鎮静化させるには十分な打撃だった。
その国のあまりにもめざましい経済発展ぶりと、推進派各国のメディアによってつくられたAI連動者の『良いイメージ』が伝播した影
響も相まって、発展途上国を中心にプログラム導入を許容する風潮が起こった。そしてついにこのアフリカの小国バスティナにも、その導
入の見通しがついたのである。
しかし、レグラーダ大臣が公的な決議にも拘わらず、咆えるほど喜びをあらわにしたのは、何もプログラムの導入が決まったからという
だけではない。その理由を語るには、彼の幼少期まで話を遡る必要がある。
———あれは今から20年ほど前のことだ。
バスティナ共和国の首都バスティアナから車で南下すること4時間弱。ここにアルザッコという人口1000人にも満たない小さな村が
あった。未だにカカオ農園を主軸とした古めかしい産業形態を取っていたが、2050年代のアフリカでは特別珍しいものではない。
その村の中央部に位置するカカオ林から、怒気を孕んだ一人の男性の大声が響き渡った。
「おいマリーカ、何をやってるんだ! 素直に引っ張ってどうする! ちゃんと両手を使ってねじり切るんだよ、バッキャロー」

 男性の名はハサンといった。この農園の長であり、農園で働く子供たちの監督は彼に一任されている。
ハサンはもどかしそうに手首をねじる動作を繰り返しながら、カカオの枝に跨った少女を下から睨み上げた。
叱責を受けた少女は、地上からの圧力に表情を歪ませながら、必死にカカオの実を回転させようとする。しかし、カカオの実を捥ごうと
両手を枝から放した途端、体のバランスが崩れ危うく落下しそうになる。
その様子を見かねたハサンが、ついに助け舟を出した。
「……よし、もういい降りてこい。おいレグ! 代わってやれ」
すると林の脇にある小屋の前で、実から種を取り出す作業をしていた少年がハサンの下へと駆け寄ってきた。
「よお、マリーカ。今日も快調だなぁ? いい加減カカオの実の1つくらい取れるようになれよ。年下に舐められんぞデュへへ」
 レグと呼ばれた少年は、木を降りてきた少女にすれ違いざまそう告げると、半笑いを浮かべたまま、高さ10mにも及ぶカカオの樹をス
ルスルと登っていく。
「むー、こんな気持ち悪い笑い方した人に馬鹿にされるとは」
マリーカは不服そうに唇を曲げる。
「なんか言ったか無能ガール」
 レグは木に登ってからものの数秒でもぎ取った黄色いカカオの実を、マリーカの足元に投げつけながら誇らしげに腕を組んだ。
「別に」
「へっ、そうかよ」
 マリーカの反応を楽しめた様子のレグは、おもむろに目の前のカカオへと意識を戻した。
 これだからレグは、などとマリーカは心の中で悪態をつきながらも、呆れと共に出た笑顔を連れて、ゆっくりと踵を返そうとした。
「おい、なに和んでんだ? お前はこれから別の仕事だよ」
 しかし踵を返した先には、恍惚とした表情を浮かべたハサンが立ちはだかって、マリーカの視界を覆いこむ。
「おいみんな、俺はこれから別の仕事でしばらくここを離れるが、サボったりしたら許さんからな」
 ハサンは、子供達の返事を待たずして、マリーカの腕を引き農園を後にした。
 
陽が落ちれば、一日の作業は終わりを迎える。
  夕食を済ませた子供たちは、農園に隣接した納屋で、早朝の作業に備えて早々と眠りにつく。
 しかし、その子供が敷き詰められた狭い納屋の中で、皆が寝静まってなお会話を続ける二人の子供の姿があった。
「レグはさ、大人になったら何になりたいの?」
マリーカは呟くように、そう訊いた。
「なにって、そんなのなるようになるだろ?」
 レグは半ば鬱陶しそうに、寝返りを打ちながらそれに返答する。

「そうじゃなくて、もっと具体的に」
マリーカが語気を強める。
「さあなー。都会に出れば何かしら食いぶちは見つかるんだろうけど、俺はここが気に入ってるからな。農園主に媚び売って、子供たちの
指南役になるのも悪くないかもな」
「嘘」
 凍てつくような声がレグの心臓を抉った。彼ははっとなって振り返るが、深藍色の闇夜を煌々と照らす月明かりさえも、マリーカの表情
を浮き立たそうとはしない。
「私覚えてるよ、レグがこの世の中を変えたい、って言ってたの」
「……バカ、昔の話だろ。いいか? 俺たちはなんも考えずに、カカオって何になるんだろうねー、えーわかんなーい、とか言っときゃい
ーんだよ。大それたこと考えんな」
 レグは慌てそう繕った。内心を蝕んでいくような心臓の鼓動を抑えながら、薄汚れた毛布に勢いよくまる。
「ねえ、二人で農園から逃げない?」
 マリーカが口にした言葉はレグにとって余りにも予想外のものだった。毛布越しにレグの肩がピクリと反応したのをマリーカは見逃さな
い。
「私、ここに売られる前はモルターナに住んでいたの。そこの町医者のおじさんには可愛がってもらっていたわ。事情を話せばわかってく
れるはずよ」
 モルターナはアルザッコの南西に位置する港町だ。彼らの足でも届かない距離ではない。
 マリーカはレグの纏う布切れを引っ剥がすと、覆い被さるようにして耳元で囁く。
「レグは、こんなクソみたいな生活死ぬまで続けるの?」
 
その一言が、レグの心を動かした。彼は猛然とベットから飛び起きると、マリーカの肩を掴みながら言う。
「……はっ、ふざけんな。もうこれ以上手がカカオ臭くなってたまるかよ。よし、逃げるぞマリーカ。早く支度しろ」
「え、ちょっと待って」
キョトンとするマリーカを前にレグは続ける。
「早いに越したことはねぇ。グダグダ先延ばしにして感づかれるよかマシだ」
 言いながらすでに、レグは身支度を終えていた。マリーカも、慌ててそれに倣う。
 しかしこのとき彼らは気づいていなかった。闇夜に乗じて一人、子供が納屋から消えていたことに。
「……いいか。約束だ。お前はここを出て、誰に犯されることもなく幸せな人生を掴む。俺は偉くなってこのクソッタレな国を変える」

「カッコつけないでよ、馬鹿」
 指切りをして、彼らは固く誓い合う。漠然とすらしなかった微かな希望が、見る見るうちに現実味を帯び始めた。後は、何も考えずにモ
ルターナを目指すことだけだ。
 
足音を立てないよう、慎重に納屋を後にする。長年夜を共にしてきた場所だが未練はわかなかった。カカオ林を抜ければ、普段川へ水汲
みに行く道へとつながる。それを辿り、川へ
と着けば、後はその川の渓流に沿って下り降りるだけだ。
 そんなことを考えながら、カカオ林を通り過ぎようとした時だった。
「ねえねえ、何してるの? おじさんも混ぜてくれよ」
 ニコニコと笑みを浮かべたハサンが、大木の後ろからぬっと姿を現した。彼らにはその気持ちの悪い笑顔ははっきりと映らないが、夜目
で慣れた視界からは、得体のしれない不気味さを余すことなく感じ取っていた。
 次の瞬間には二人は既に走り出していた。パニック寸前の頭で、ただがむしゃらに足を動かし続ける。絶対に悟られないと思っていた脱
走がバレたことが、余計に二人の混乱を加速させた。
 そしてレグは、後方で、マリーカの悲鳴を耳にする。捕まったのだ。
「マリーカ!」
レグは必死になって叫ぶ。
「……来ないで! 私はもういいわ。前を向いて走って。こんなところで後戻りしてるようじゃ、国なんて変えられないわよ」
 マリーカの声は震えていた。ハサンに捕まっているという現実が、その恐怖をより際立てているのだろう。
 助けに行かなければ。レグは反射的にそう考えた。そして連鎖的に、最寄りの小屋にキャッサバ栽培用の鍬があることを思い出す。それ
を脳天から振り下ろせば、あるいは。
 レグは走り出していた。前に向かって走った。立ち止まることも、振り返ることもなかった。ただ未来を求めて走り続けた。そして深藍
色に染まったアルザッコのカカオ農園は、マリーカとハサンを残して再び静寂に支配された。
……来てよ
 マリーカはハサンの腕の中で弱弱しくそう呟いた。しかしその声は誰に届くこともなく、ハサンの荒々しい吐息の前でかき消されてしま
った。
 レグは三日三晩かけてモルターナの街にたどり着き、事情を知った人のいい町医者は、レグを育てることに決めた。
以上が、事の顛末だ。レグラーダ農産大臣は、過去に交わした約束を見事果たし、その喜びから拳を掲げたのだ。

後発発展途上国啓発支援プログラムの導入。その歴史的快挙から、半年ほど経った、ある日のことだった。
レグラーダは、プログラムの経過を調べるために、トウモロコシ農場の視察に訪れていた。
「調子はどうですか、農場主さん」
農場管理室の窓口で、優雅に葉巻を燻らせる年老いた農園主に声をかける。
「これはこれは農産大臣殿、よくぞいらっしゃいました。ええ、あれはとても便利なシステムです。指示を出さなくても、常に最善の農作
業をしてくれますし、人力で作業をしても統率が取れるので高価なトラクターやコンバインなどを購入しなくても済みます。何せ人だけは
……腐るほどいますからねぇ」
 そう言って農園主は、自身の保有する広大な農地を見渡した。そこには、溢れんばかりのAI連動者の群れが、機械的な動きをしながら
農作業を続けている。
 その背景には、人口爆発による人件費の急激な低下と、それに伴いもはや農業機器を購入するよりも、安価なAIチップを埋め込んだ労
働者を大量に投入するほうが、費用を抑えられるという現象があった。
「彼らの人権にはちゃんと配慮しているのだろうね」
「ええ、勿論ですとも」
「よろしい、ではそう報告しておこう」
農園主とレグラーダは顔を見合わせて笑いあう。
連動者は当然劣悪な環境で働かされていたが、規約をすべて守っていては農場の経営などとてもじゃないがやっていられないのだ。アフ
リカ諸国ではそれが暗黙の了解だった。
 
レグラーダは、農園主のジープに乗り込んで、車窓に流れゆく農場の風景を見学する。
 いくら進んでも続く同じような景色に退屈したレグラーダは、もはやこれ以上の見学は無意味とばかりに、報告書を作成しようとタブレ
ットを開こうとした。その時だった。
 見覚えのある顔が、流れゆく視界の隅を捉えた。
 ———マリーカだ。見間違えはしない。あれは確かにマリーカだった。至福に満ちた笑顔で、労働者たちの雑踏に紛れ強化カーボン製の
鍬を振っていた。
「止めろ!」
 レグラーダははち切れんばかりの大声をあげて、農園主にブレーキを踏ませた。
 ジープのドアを乱暴に開き、自身をはじき出すように降車する。勢いあまって転びそうにもなったが、彼の視界にはもはや足元など映っ
てはいない。黒人の群れで焦げ茶色に染まった農地の中から、マリーカの姿だけを血の滾る瞳孔で捉え続ける。
 定期的なリズムで鍬を振る連動者たちをかき分け、ついにマリーカの元へとたどり着く。

「マリーカ! マリーカだろ? 会いたかったよ」
レグはマリーカの肩を掴みながら感極まった表情で涙を浮かべる。
マリーカは、はっとなって少しばかり驚くと、うっすらとほほ笑んだ。
「あっ、レグー。久しぶりね。噂は聞いてるよ、農産大臣なんだって? すごいじゃない」
「そうなんだよ、やっと夢がかなったんだ。そういうマリーカこそ、まさかこんなところで働いていたなんてね。辛かったろう、さあ、僕
と一緒に来て。二人で幸せに暮らそう」
レグは、そう言ってマリーカの手を引こうとした。しかしその手はあっさりと振り払われる。
「……どうしたのレグ。なんで私を連れて行こうとするの」
 マリーカは怪訝な表情でレグを見つめる。
「どうしってって、君は幸せになるんだろう? 僕とも約束したじゃないか」
「ええ、約束したわ。だから私は幸せよ。何をやってもダメな私だったけど、AI連動のおかげで一人前に仕事が出来るの。レグが取り計
らってくれたおかげよ。感謝してもしきれないくらいだわ」
 マリーカは、満面の笑みを浮かべてそう言った。その笑顔に曇りは無かった。
「……いや、だってほら」
 レグは、辺り一帯に視線を散らしながら、言葉では言えない意図を伝えようとする。
「ありがとう、レグ。私仕事に戻らなきゃ。さっきから脳内アラートがうるさいのよ。会えて良かったわ。さようなら」
 マリーカは再び農作業用の鍬を手に取った。やめろ。レグは心の中で叫んだ。鍬は頭上に掲げられた。この鍬を振り下ろしたら、もうマ
リーカは戻ってこないような気がしたのだ。
「……行くな。まだ間に合う。マリーカ」
 鍬は振り下ろされた。
 ザクッ。
勢いよくトウモロコシ畑を叩いたその鍬の音は、やがて収束するように定期的なリズムの中に紛れて消えていく。
 立ち止まることも、振り返ることもしない。それはマリーカも同じだ。
ただ前だけを見て。未来だけを目指して、マリーカは鍬を振る。
 アフリカの未来は明るい。




ある夜の喫茶店で

                               水菓子

 喫茶店のカウンターで、ホットココアを目の前にして喜ぶロボットから未だに目が離せない。
「お客様、あまり他の《お客様》をお見つめにならない方がよろしいですよ」
 ココアを淹れながらマスターが声をかける。はっと目を逸らすも、そう言う彼もまた少年のようなあどけなさの残る顔立ちをしており目を離せない。
「あの、本当にお一人でここを?」
 この外見年齢の低さについてはやはりどうしても驚きを隠せなかった。毎日会社で電子ゴーグルを装着し透明のディスプレイに釘付けの私にとっては尊敬の念を抱いてしまうと同時に、自分の年齢を感じた。
 しかし二度目にも関わらず、嫌な顔一つせず答えてくれるマスターはフレッシュで輝いて見える。
「はい、先ほどもお教えいたしました通り、ここのオーナー兼マスターでございます」
 店に入ったときは思い切りアルバイトだと勘違いした。自分にこんなしっかり者の弟がいたら、気まぐれな恋人よりとことん可愛がるだろう。
 度々言葉を発するロボットが気になるが、マスターの手際良さに見とれていた。
「お待たせいたしました、ホットココアになります」
 丁寧に差し出された途端、甘い香りが鼻を包んだ。ロボットにつられて頼んでしまったが、その心地良さは仕事の疲労も一気に飛ばしてしまう。ほんの少しの勇気を出して良かった、とカップに両手を添えたときだった。
「ココア美味しいです。とても温まります。幸せです」
「あの、さっきからずっとあの《お客さん》同じこと言ってますよね……」
 もはや両腕をテーブルに置いたまま動かないロボットにあのココアは意味を成していない。手にするカップから伝わる温かさに心底勿体無さを感じる。
「いいじゃないですか。《お客様》がそう思って仰っていることなんですから」
 ロボットには香りを色として変換し物を判別する機能が備わっている。美味しいなどのパターン化された言葉をそれに付け加えるプログラムがされているのだから、何ら変わりない正常のロボットの反応だ。ただマスターが笑顔で言うので、そう受け止めることにする。
 しばらく香りを楽しんでから、ココアを一口飲んだ。すると予想以上のとろけるような甘さ、そしてどこか懐かしい、心まで染み渡るような味が広がる。クッションがあれば顔を埋めてうつ伏せになりたい。
「それにしてもこんな時間に女性お一人でご来店されるとは、お客様が初めてです。お仕事長引いてしまわれたのですか?」
 ソーサーをきっちり拭きながら尋ねてきた。
「いえ、仕事帰りついでに夕食を済ませていたら遅くなっちゃったんです。商店街経由で家路を歩いていたら路地から素敵な灯りが見えたので、少し怖かったんですが立ち入ってみたんです。そうしたらこんなに美味しいココアと出会えました」
 アルコール入りかと思うほど自分の饒舌さに気付く。心身ともにリラックスしているのが分かった。
「そうだったんですか。でも、あまり遅くならない方がよろしいですよ」
 そうですね、と明るく頷いてココアを口にした。この味は病みつきになる。
 相変わらずカウンターのロボットは飲んでもいないのに「ココア美味しいです。とても温まります。幸せです」の三言を繰り返している。ふと疑問に思ってマスターに尋ねてみた。
「ここにはロボットばかり来るんですか?」
「はい、外の看板に表記してありますように、ここは夜間のみ営業しております。《お客様》が心ゆくままに過ごしていただくお手伝いができたら、という一心です」
 確かに夜になると、そこらじゅう一帯ロボットの行き交う世界に一変する。この喫茶店に来るまでも商店街の街灯だけが頼りで、店のシャッターが閉め切られた閑静な一本道をロボットたちが歩いていた。
「《お客様》もさぞかしお疲れでしょう。お客様がココアを飲まれて一息つかれることと同じことなのですよ」
 そう言われると、なぜだかロボットにも感情移入してしまいそうになる。変わらず繰り返している棒読みな三言も、心から思って言っているように見えた。
 ココアをくるくると回しながらしばらく店内を見渡していると、懐かしいものを発見した。
「あ、まだ液晶テレビがあるんですね」
「はい、今も繋がりますよ」
 受け答えながらマスターはリモコンを手に取る。ちょうどニュースの報道画面が映し出された。今や専用機器がなくともテレビが観れる時代に、子どもの頃画面を傷つけこっぴどく叱られた思い出がよみがえる。
「もしかしたらあなた、ロボットかもしれませんよ?」
 マスターの口から何を突然と思いきや、《人の肌を持つロボット、広まる》をタイトルに報道されているテレビ画面を見て笑っていた。こんなお茶目な一面もあるのだと微笑み返す。
「そんなわけありませんよ、仕事して来たんですから」
「会社に行き仕事をして来たという記憶を植え付けられているだけかもしれません」
 その言葉を耳にした瞬間、ほんの少し背筋が凍り付く。
「そもそもなぜこの時間にこちらへ? ご自宅でおくつろぎいただいた方が休まるのではないですか?」
 声のトーンが下がっている気がして、思わず口走る。
「冗談やめてください。お店の雰囲気に惹かれたんです、それに私は人間です」
 食べ物を口にしなければ空腹で倒れるし、お手洗いへは頻繁に向かう。疲労感も快感もあれば、私だけの嗜好もある。家族も恋人もいるのだ、これまでの人生の思い出は確かに存在していたはずだ。この身に残る感触もはっきりしている。
 自分は人間だと頑なに言い聞かせた。
「申し訳ありません、冗談が過ぎました。あなたは確かに人間ですよ」
 ふと錆びた匂いが鼻をくすぐった。思い当たって横を見ると、ロボットがいつの間にかテーブルに現金を置いている。カップの中身は消えていた。
「人が夜をロボットに譲るようになってから、世の中平和になりましたからね」
 確かにここ最近は物騒な話を聞かない。液晶テレビでは一変して、大御所の芸能人が百十歳を迎え自慢の上腕二頭筋を見せつけるVTRが流れている。
 ロボットたちはただ夜の街を徘徊しているのではなく、人間を犯罪から守り、未然に防ぐ役割を与えられている。セキュリティ対策は万全を期し、悲しい交通事故も起きなくなった。人間が百歳を超えて健康に生きるのは当たり前になり、ブラック企業も消滅、労働基準法に則った規則正しい生活を人間は送れるようになった。
「人が幸せに生きていけるのは《お客様》がたのお仕事のおかげなんです。今夜も嬉しいニュースばかりですね。『わたくしも《お客様》の一員』として、お客様の心の癒えをお手伝いさせていただけて、嬉しい限りですよ」

 喫茶店を出ると、にわか雨が降っていた。後に続いて来たロボットが先に傘を差してこちらを見上げてから、
「お持ちでなければ、どうぞお使いください」
 自分の腹部に収納した傘を一本取り出して手渡した。
「ありがとうございます」
 少し申し訳なく受け取って、一緒に差す。
 すると突然ロボットの目の部分が黄色く点滅した。
「只今の時刻、十時。ご帰宅を強くお勧めいたします。尚、安全のためご一緒させていただきます。――登録地区、B‐2‐38番地区、ルート案内完了。一緒にお家へ帰りましょう」
 聞き慣れた台詞にもこのときの私は微笑み返していた。



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担当編集:水菓子

日本大学芸術学部文芸学科所属 出版サークルKMIT


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