針のない時計_note用

針のない時計 第一話(前)

「悪いけど他をあたってくれ。こっちはもう足を洗っているんだ」

 そう言うと目の前の男は笑みを浮かべたまま、背広の内ポケットに手を入れた。差し出されたのは一級品のタバコ。さすが未来の室長候補だ。

 俺は後ろ髪を引かれつつも断る。普段ならこれで交渉は終わりだが、今日の男はやたらとしつこい。その証拠に眼鏡のレンズ越しに見える彼の瞳には鋭い光が帯びていた。

「せめて話だけでも聞いてくれないかな?」

「いやだね。お前なぁ、それを聞いたら依頼を受けない訳にはいかないだろう?」

「アルベルト、そこを頼む。もう君しかいないんだ」

 深々と頭を下げる友人を横目に、俺は眉を寄せた。いつもへらへらとしているこいつを追い詰める依頼とは、きっと碌でもない上司の碌でもないことなんだろう。

「いくら人手が足りないからって、普通俺のところに来るか?」

「だって君、今プー太郎でしょう? そろそろ経済的に厳しいんじゃないかなと思って」

「誰がプー太郎だこら!」

 あざとく微笑むレイに、思わず拳をつくってしまう。

 落ち着け、俺。冷静を欠いてはやつの思う壺だぞ。

 そう言い聞かすものの、実際に貯金は尽きかけていて、あと三週間が限度だった。アルバイト、という考えが浮かんだが、今さらまともな仕事なんて出来る気がしない。なにより、新たに人間関係を築くのがどうしようもなく面倒くさいのだ。

 今年で二十八歳、そして無職。働き盛りの時期なのに、俺はなけなしの金だけで生活をしている。惰眠を貪っては新聞や本を読み、安い喫茶店で暇を欠いては散歩の繰り返し。まるで老後のような生活だが、実際の老人の方が早起きもするし真面目で勤勉。そう考えると、俺はそれ以下の生活をしていることになる。

 昔は俺だって、ちゃんと働いていた。パリッとしたスーツを着ていた時代があったんだ。上司に叱咤されながらも、自分の仕事に誇りを持っていた。だけど、

「俺はもう、あの腐った連中のために働きたくはない」

 誰にも聞こえないように呟いた言葉が、必死に仕事をしてきてたどり着いた結論だった。

 友人であり元同僚のレイフォードの頼みなら融通を利かせたいが、それを許すことはまだ出来ない。子供のように意地を張っても仕方がないのに。思い出すだけで腹が立つ。

 俺は数年前まで国の調査室の一員として働いていた。俺らは監察官と呼ばれ、役人の不正を取締り、厳しく罰するのが仕事だった。しかしあるとき、上司の横領の証拠を見つけてしまう。それを言及しようとしたところ、逆に罪を擦り付けられてしまい、挙句の果てクビにされた。

「腐った連中か……的を得てるね」

「地獄耳かよ」

「何か言ったかな?」

「いえ、別に」

 レイは困ったような笑みを浮かべたあと、急に射るような視線を向けてきた。その顔はいつにもまして真剣で、普段おちゃらけているぶん威圧を感じた。

「それでもね、アルベルト。誰かが犠牲にならなければ国は機能しないよ」

「……言ってくれるじゃねーの」

「まあね。それにこの依頼はチャンスだと思うんだけどなあ。二、三年は余裕で暮らせるお金が手に入るし」

 目の前にひらひらと見せびらかされた明細表に、ゴクリと喉を鳴らす。誘惑されては駄目だ。絶対駄目だ。

「それに金髪碧眼美女の護衛なんて、そうそうあるものじゃないのになー」

 その瞬間、俺の中で何かが切れた。勢いよく身を乗り出す。

「今なんて言った?」

「彼女はちょっと追われててね、しばらくの間だけ護衛をしてほしいんだよ」

「え、まじで?」

「お前好みのいい女だよ」

 それはちょっと会ってみたいかもしれない。

 この数年間まったくいいことがなかった。いよいよ神様も俺のことを哀れに思ったのかもしれない。予想もしない出来事に、思わず鼻の下を伸ばしてしまう。

 しかし淡い期待はすぐに破壊された。

「うーん、写真を見せてあげたいんだけど、こういうのは実物を見た方がいいと思うんだ

よね。そういうわけで、おいで、ローズ」

 今になって自分に女性関係の運がなかったことを思い出す。そして俺の扱い方を熟知している友人の企みに気付けなかったことが憎い。

「……この野郎!」

「彼女が護衛対象のローズ・ジルフォードだよ。ね、将来が期待できる美女だろ?」

 扉から現れたのは、俺の腰丈しかない少女だった。

 お互い無言のまま十分がたった。

 机を隔てて向かい合うが、一向に目が合うことはない。

 ローズ・ジルフォードは人形のように動かず、窓を見上げては深い息を吐く。

「ため息をつきたいのはこっちのほうだよ」

 いい年をして騙されるなんて、とんだ恥だ。しかし怒りが湧き上がるよりも、これからの生活が問題だった。

 少し前の会話を思い出す。

『こんなちっこいのと暮らせるわけないだろう!』

『えー、一か月だけだよ。それに君、歳の離れた妹さんがいるんでしょう?』

『いるけども! もう十年以上も会ってないし、音信不通で生きているかさえわからないんだぞ⁉』

『大丈夫大丈夫。彼女、賢いから。それにいつも通りの生活をしていればいいからさ』

 そう言ってレイは依頼の資料を押し付け「おまけにこれもあげるよ!」と断ったはずのタバコを置いて出て行く。軽い物言いにイラついたが、思わぬ戦利品は正直嬉しかった。

 そしてこの状況だ。

 気まずさからか、手元にある資料に目を通す。

 ローズの両親は政府に大きく貢献しているらしく、それが気に入らない反政府に狙われている。可愛い一人娘を人質に取られる前に対策へ出たようだ。

 この国の監察官は不正を取り締まるだけではなく、武術も叩きこまれている。設立当初は正当防衛の一環だったが、近年ではその域を超えていると思う。

 もちろん俺も仕込まれてはきたが、なんせ数年前の話だ。今じゃ思うようには動けない。しみじみと歳をとったことを感じる。

 再び資料に目を戻せば、ローズとの生活の仕方が書かれていた。

「一日三食、デザート付き。昼寝あり。嫌いなものはセロリ。なんだこれ、飼育の説明用紙か!」

「やっと読み終えたの? ほら、さっさと用意しなさいよ」

 一瞬、誰が声を発したかわからなかった。幽霊を視るように目の前を向けば、呆れ顔の少女がいる。初めて聞いたローズの声は、少し低く大人びていた。

「……ん?」

「だから早く用意しなさいって言ってるのよ」

「なにを?」

「ご、は、ん」

 がっくりとうなだれる。全てが突拍子すぎて追いつかないが、身体はすぐに反応した。命令口調にはどうも逆らえない。時が経っても染みついた癖は、抜けないのかもしれない。

 手際よく料理をしながらふと思うことがあった。

「俺は護衛を頼まれたんだよな」

 状況を判断すると、居候をさせてくれのほうがしっくりくる。なんで生活の面倒まで見なくてはいけないのだろう。今の監察官はなんでも屋扱いなのか。それとも俺だからか。どちらにせよ、今度レイに会ったらとっちめてやる。

『いつも通りの生活をしていればいいからさ』

 この言葉も引っかかった。それなら俺のところへ預ける意味なんてない。人目に付かないように警護することを目的にしていても、これは異常だ。一般市民となった俺が軽々しく受けていいものではない。人手不足を理由に他人に頼むなんて、調査室の信頼を失うことにつながるかもしれないのに。

 なぜ、俺なんだ。

 隠された糸を探そうとしても、情報が足りないからか欠片が上手く合わない。

「ちょっと、まだなの?」

 ローズの声に思考を止める。いけない、焦げるところだった。

 不機嫌そうに頬杖をつく姿には、見覚えがある。お腹が空けば誰しもがイライラするものだ。それなのに彼女は、俺が資料を読み終わるまで待っていてくれた。実はいい子なのかもしれない。

 どうせなら、とびっきり美味しいものを作ろうか。

 ローズの喜んだ顔見たさに、無心で料理の腕を振るい続けた。

 思えば誰かと食卓を囲むなんていつ以来だろう。孤独を感じる歳でもないし、俺にとっては独りが普通だった。

「手料理作るのなんて久々だったな」

 監察官時代から自炊をしていたおかげか、人並みには出来るようになった。自分で言うのもなんだが、結構うまいと思う。

「……」

 その証拠にローズは黙々と口を動かしていた。

「……もっと焼き加減が良ければいいのに」

 前言撤回。自信作のオムレツを否定されたのには傷ついた。

 子供相手に怒っても仕方がないのに、ローズはその後もずけずけと文句を言ってくる。もっとチーズを入れろ、野菜を減らせ。こっちは栄養を考えて作っているのというのに、我儘ばかりだ。

「腹が空いて機嫌が悪かったわけじゃないのかよ。元の性格が問題だったのか」

「今、面倒なガキだと思ったでしょう?」

 子供だと油断していたからか、そのまま顔に出てしまったようだ。おそらく嘘をついても、この少女には通用しないだろう。

「手のかかる子ほど可愛いなと思って」

「鳥肌が立ちそうだからやめて」

「……おじさん泣くぞ」

 肩を落として訴えると、ローズは表情をひきつらせた。呆れたように口を開く。

「そうやって変に気を遣うのがいけないのよ」

 手に持っていたフォークを置き、ローズは俺に向き合った。

「今までの奴らには飽き飽きしていたのよ。気に障らないような単語ばかり並べて、毎回同じような口調の敬語で……正直気味が悪かった」

 遠い目をするローズは顔をしかめ、心底嫌そうだった。その気持ちはよく理解できる。調査室は国を守る正義の部屋かと思いきや、ふたを開ければ屈強の狐狸が巣食う古城だったりする。生き抜いていくには、ご機嫌伺いは当たり前の世界だ。

「ん、ちょっと待てよ。俺が初めての護衛じゃないのか?」

 比べるということは、その対象がいるからだろう。肯定するように、ローズは頷いた。

「ええ、そうよ。数えきれないほどにね」

 淡々と答えるローズの姿は、十歳の子供のものではない。

 俺は唇を固く結んだ。大変だったな、辛かったなで言い表せることなんてできないし、下手に機嫌を損ねたくはなかった。

 するとローズは鼻を鳴らしながら、声を張り上げる。

「別にあんたの慰めなんてお呼びじゃないわ。そんなのでお腹は膨れないもの。もし同情をするのであればプティングの一つくらい持って来なさい」

「……はあ」

 子供と言っても女は女なのだ。特にこの年頃の少女は扱いが難しい。いちいち彼女との会話に反応をしていては身が持たない。それにプディングってなんだ。

俺が怪訝な顔をすると、ローズは肩をすくめながらプディングの説明をしてくれた。

「卵と牛乳と砂糖を混ぜて固めたものって……プリンのことじゃんか。そんなもんこの家にはない!」

「だったら買ってきなさいよ」

「買うお金もない……やめろその顔!」

 ローズは口元を押さえながら憐れんだ視線を俺に送ってきた。

 本当にこいつは十歳か?

 子供離れした言葉に、豊富な知識。声色も若干大人びているからか、瞼を閉じれば妙齢の女性と話している気分になる。

 ふいにローズに視線を戻せば、頬を膨らませてそっぽを向いていた。そういうところは子供らしいと思うが、まだまだ彼女には謎が多い。わからないことだらけだ。それでも依頼を受けてしまった以上、任務は遂行する。例え、舌を出して馬鹿にしてきてもな。

「……違う、これも違うな」

 とある一室に設けてある書斎は、がさつな性格のおかげでいつも乱雑している。こうして資料を探すのも一苦労だ。机に積み上げられた書類をどかし、ようやくお目当ての物を取り出した。

「確かこの時期から怪しかったんだよな」

 赤いファイルを開けば、黄ばんだ新聞記事が現れる。

太字で書かれた『タイトップ号沈没事件』の見出しは、ちょうど五十年前に起きた出来事だ。死者が三百人の今世紀最大の事故として取り上げられ、生存者はいない。

 タイトップ号は世界一周を目的に製造され、試乗会には多くの人が集まり、その船出は豪華に飾られるはずだった。試乗ということもあり、隣国までの航海だったが、急に舵が効かなくなりそのまま海底の尖った岩場に衝突。呆気なく沈没したと言われている。

 これらは全て監察官をクビにされたときに、わずかな抵抗として持ち出した資料のコピーだ。

「まさかこれを開く日が来るなんてな」

 見落としがないように丁寧にめくる。

 調べても原因は分からず、ただの事故で処理されていた。しかし当時の政府関係者や有力権力者を含む百人以上が亡くなったことから、影で何かが暗躍したのではないかと噂されている。

 俺はローズがなにか政府と関係があると踏んだ。

 この国には王権があるが、現在一番権力を握っているのは政府だ。

 事故の時期と重なるように先代の国王が病死した。現国王が即位したのは九歳のとき。王政の舵は政府の手に握られ、国王は飾りに過ぎないのが現状であった。

これはただの護衛の依頼ではない。だからこそレイは監察官を辞めた身である俺を選んだはず。

「あっ」

 上手くはさまれていなかったのか一枚の写真が床に落ちる。白黒で印刷されたそれを拾えば、思わず目を見開いた。

「ちょっと、アルベルト。さっきからなにをしているの? ほこりっぽいんだけど。ただでさえこの家は狭いのに」

「住めば都って言うだろうが。まあいいや、お前に見せたいものがあるんだよ」

「どうせろくなもんじゃないでしょうけど、見てやってもいいわよ」

 ああやっぱりガキを預かるんじゃなかった。ここの生活に慣れてきたのか、前よりも我儘で口が悪くなってきた気がする。会話が多くなったことはいいことなんだが、余計に疲労が蓄積されていった。

 俺は顔をひきつらせながらも、写真に写る人影を指す。

「これ、お前に似ているよな」

 木々が茂る公園の中で微笑む、一人の少女。白黒で髪色などは分からないが、凛とした瞳や愛らしい顔立ち、今の彼女の容姿とそっくりだ。もしかしたら若かりし親戚かもしれないぞと言おうとしたが、目の前の少女は凍り付いていた。

「……どうして」

「ん、なんだ?」

「どうしてこれが私だと分かったの⁉」

「は?」

 ローズは声にならない叫びを上げ、俺の足元に掴みかかって来た。

 予想外の反応に困惑する。彼女は何を言っているんだ。

「人をからかうのもいい加減にしろよ。この写真は五十年前に撮影されたものなんだ。そんな昔から生きているわけないし、大体お前十歳だろうが」

 俺の答えに、ピクリと眉を上げる。

「やっぱり、なにも知らされていなかったのね」

 頭をガツンと殴られた気がした。なにも知らなかったとはなんだ。

 嫌な予感が胸をざわつかせ、俺は慌てて聞き返す。

「なにを言って……ちょっ、なにしているんだ今すぐやめろ!」

 目の前の光景にぎょっとする。ローズがいきなり洋服のボタンをはずし始めたのだ。手を伸ばして止めようとするも、触れることに躊躇をする。

 反射的に自分の目を覆ったが、間に合わなかった。

「……え」

 俺は一体なにを見ているのだろう。目の前の光景は信じがたいもので、白い夢の中をふわふわと彷徨っているような気分だった。

 胸元まではだけられた、絹のように滑らかで華奢な身体には、あるはずがないものがあった。

 心臓の部分に、見たこともない時計が埋め込まれている。

 それは、針のない時計。

「嘘だろう?」

 悪い冗談だと思った。

 しかし、まっすぐに射抜く真剣な目を見れば認めざるに負えなくて。

 何か言葉をかけようとしても、喉でつかえてしまう。

 混乱する頭の中で、ローズの声が響く。

「驚くのは無理ないわ」

 彼女にとって当たり前の反応だったようだ。その瞳には、口を開けたまま呆然とする情けない俺の姿が映っていることだろう。

 そして、いつものように意地悪く微笑んだ。

「だって私は――人形なんだもの」

続く


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『針のない時計』 著・大月ゆかな / 絵・さあきゅう

編集・日本大学芸術学部文芸学科所属 出版サークルKMIT

※第一話(後)は、6/27発刊7月号に掲載予定です

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