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黄昏時、緑茶ときどき横隔膜。

2018年、春の作品発表会。
新しい作家さんたちが加わり、物語もいっそう彩り豊かになりました。
黄昏時・緑茶・横隔膜の3つのテーマから、お話が繰り広げられます。

雑学王と呼ばないで   著:前花しずく
化けの河        著:ハシバマユ
欠片                  著:柊 らぎ
リズの声             著:りょうCAN
おそろい        著:くらげさん。



雑学王と呼ばないで     著:前花しずく

「ひっく」
「ん?どした急に」
「いや、普通にしゃっくりだ」
「ふーん。急に変な声出すからビビったわ」
 そんなんでいちいちビビられても困る。第一、しゃっくりをしたら誰だって変な声が漏れてしまうだろう。
 一度、声が出ないように口を閉じてしゃっくりをしたことがあったが、「肩の動きが面白い」と笑われたので、それ以来試していない。
「あ、しゃっくりと言えばさ」
 こいつは何か思いついたようにぱあっと顔をほころばせた。僕などは慣れているが、初対面の人が――特に女子が見たら「いやらしい顔」に見えるだろう。
「しゃっくりって『横隔膜の痙攣』なんだぜ?知ってたか? 」
「知ってた」
「えー? 知ってんのかよー! とっておきの雑学だと思ったんだけどなー」
 こいつは大げさに点を仰いで落ち込んで見せる。……友よ、横隔膜の痙攣は小学校の理科で習う内容だぞ。高校生にもなって何を言っているんだ。
「じゃあ次は……」
 そう言って、こいつはおもむろに辺りを見渡し始める。完全に絵柄が痴漢をしようとしている痴漢魔だ。
 何かいいネタでも思いついたのか、目をキラキラさせてこちらを見てくる。
「緑茶と紅茶って同じ葉っぱからできてんだぜ! 知ってたか? 」
 目の前に緑茶のペットボトルが転がっていたからだろう。この飲みかけの緑茶はついさっきまでこいつが飲んでいたものだ。
「知っ ひっく てた」
「なんで知ってんだよお前はー! 全然面白くねーじゃんかー。てかはやくしゃっくりとめろよ面白い」
 しゃっくりをとめろだなんて無茶言うな。今ろくに手も動かせねえんだから。
 そんで、なんで知ってるのかと言われても知ってるもんは仕方がない。それに、この話なんかは家庭科やなんかの授業でちらっと触れたりしないのだろうか。――いや、授業でやってたとしてもほとんどの授業で寝ているこいつには関係ないか。
「じゃあ逆に聞くが、緑茶と紅茶はどう違うか分かるか?」
「それは……あれだよ……紅茶は、炒めてんだよ」
「それは釜炒り茶とほうじ茶だしひっく、どっちも緑茶だ」
「えっ、ほうじ茶って緑茶なの? てかしゃっくりとめろって」
「緑茶と紅茶の違いは発酵してるかどうかだ。熱を通して発酵させなかったものを緑茶と呼ぶんだっく」
「ダックはすずめだよ。というかなんでお前そんなこと知ってんだよ。気持ちわりぃよ」
 だから、知っているものは知っているんだから仕方ない。……しかもダックはあひるだ。しゃっくりにツッコむにしてもちゃんとツッコんでくれ。
「じゃあ次は……そうだな。そろそろ黄昏時だな。黄昏時の意味は分かるか? 分かんねえだろ! 」
 さっきから「覚えたての言葉を使いたくてしょうがない小学生」みたいな状態になっているが、本人は至極真剣そうなので口には出さないでおこう。
 確かに外をちらっと見ると、赤らんだ空が闇に飲まれ、かろうじて残った夕焼けが家々をシルエットとして写し出している。黄昏時という言葉に相応しい時間だ。
「そういうお前は意味が分かってるんだろうな」
「当たり前だろ? 降参なら答えを言ってやるぜ」
「言ってみてくれ」
「黄昏時ってのはズバリ、夕陽が綺麗な時間帯だ! 」
「半分正解、半分不正解」
「は!? なんでだよ!? 」
 いちいち大げさな反応をするこいつの純粋さを少しは見習いたい気もするが、純粋云々の前にもうちょっと勉強はしてほしい。
「正確には日が沈んでから夕焼けが残っている時間帯のことを言う」
「ほぼ合ってるじゃんか! 」
「夕陽が沈んでからだからな。夕陽があるときはまだ黄昏時じゃない。だから半分正解だ」
「うわあ、なんか納得いかねえ」
「ちなみに忍たま乱太郎では、城の名前が基本的にきのこの名前になっているが、例外的にタソガレドキ城とオーマガトキ城がある。この逢魔が時というのは黄昏時のあと、つまり夕焼けが闇に完全に飲まれた時間帯をいうんだ」
「忍たま」
「ちなみに何故その名前を付けたのかはさすがに知らん」
「すげーなお前。雑学王になれるんじゃないか」
 雑学というといらない知識と言われている気がしてなんだか嫌なものがある。雑煮とか雑誌なんていうのも、「雑」という字を充てられるのは至極不愉快だろう。というか忍たまに関しては完全なる僕の趣味だ。
「あー、やっぱお前にゃ頭じゃかなわねーな。さっさと帰ってオンラインやりてーぜ。……そういえばしゃっくり収まってるじゃん」
 しゃっくりってとめようとするととまらないけど、いつの間にかとまってるよな。
 早く帰りたいのは僕も同感だ。もうそろそろ忍たまが始まってしまう。
「おい! お前らさっきからごちゃごちゃうるせえぞ! 」
 急に怒鳴り声を上げるおっさん。まあそりゃこれだけくっちゃべってりゃイライラもするか。悪いことしたな。
 ちなみに、授業中に私語をして怒られてるわけではない。そもそも午後六時まで授業のある公立高校も稀だとは思うが。
 バスの中で注意されたわけでもない。俺らは学校から家が近いから、エブリデー徒歩だ。
 ここはコンビニエンスストア。でもおっさんは店員でもない。店員は僕らの横で手足を縛られて半べそをかいている。
 言ってしまえば、おっさんは立てこもり犯だ。ついでに言えば僕もこいつも捕まっている。人質なう。
「お前ら、それ以上喋ったら……」
「なー、早く帰りたいんだけど、お前ハサミとか持ってない?」
「あいにく持ってないし、持ってたとしてもかばんから取り出せない」
「お前らぁ……」
 おっさんはかなりキレているのか、僕たちに拳銃を突き付けた。独特の形から考えて十中八九、日本の制服警官が持っているニューナンブM60だろう。交番の警官からでも強奪してきたんだろう。
 ……にしても、銃の構え方がなってない。片手撃ちか両手撃ちかで変わるが、どちらにせよ腰を入れずに撃ったところで弾道はブレるに決まっている。
「次に喋ったら本当にぶっ殺すぞ」
 多分、本当に喋ったら撃つつもりらしい。それはそうとこいつはニヤニヤするな。気持ち悪いぞ。
 おっさんもおっさんでそれ以上面白い顔しないでくれ。もともとハリセンボンみたいな顔してる上に無精髭生やしてるもんだから、本当まんまハリセンボン。
「あっ」
「あ゛?」
「ほらそこ」
 僕が顎で店の奥を指すと、おっさんは振り向きざまにそこを撃つ。弾は奥の飲料売り場に突っ込み、ガラスが割れてなんかの飲み物の中身がぶちまけられた。
「あ、勘違いだったかも。警察かと思った」
「てめえ……!! 」
 あーあー、血気盛んなこと。まだ「警察がいる」ともなんとも言ってないのに撃つなんて。計画性ってやつがまるでない。まあ覆面もなしに乗り込んできた時点で馬鹿なんだろうとは思ったけどね。転がってたこいつのペットボトルを踏んづけてるけど、誰がどう見てもまぬけだよ。
 外には当たり前のごとく機動隊が来てるけど、そもそも人質いる限り入ってこないでしょ。
「いい加減にしろよ……? 」
 今度は僕の頭にしっかりと銃口をつけてくる。――だからニヤニヤすんなって。隣でこいつがそんな顔してるとやる気がなくなる。いや、もともとないか。あと、おっさんは顔を近づけるのやめてくれ。……臭い! 加齢臭どうにかしろ!
「どうでもいいけど、あと二発しか残ってないよね」
「だからどうした」
「ってことは僕ら殺したら店員さんだけ生き残るじゃん」
 おっさんが入ってきたとき、客は僕らしかおらず、人質は僕らと店員の三人しかいない。おっさんは入ってきたときに五発入りの拳銃で威嚇で二発、さっき一発使っている。よく五発しかないのにそんな無駄に使えるな。ゲームのやりすぎなんじゃないのか?
「そんなに殺されてえか。別に拳銃なんか使わずともガキの一人くらい殺せるって覚えとけ」
 そう言っておっさんはポッケから自慢げに果物ナイフを取り出す。まあそうだろうね。おっさんの頭の悪さが人間レベルでよかったよ。
「そもそも人質殺したら身代金もらえないけどいいの?」
 こんなちっぽけなコンビニで引きこもって――立てこもってたって、ここにある金なんかたかが知れている。愉快犯じゃなければ身代金目的と考えるのが妥当だ。もっとも、立て籠もりなんてして逃げ切れた例は世界中探してもほぼないんだけで。
「んなもん、店員一人いれば充分だ。もううぜえ。殺s」
「あとさ、ここだと狙撃されるよ」
「は?」
 おっさんはさらに間抜けな顔をする。やめてくれよ、本気で噴き出しそう。
「だってここ、ガラス張りだし、道路から丸見えだし。これ以上狙撃されやすいところないんだけど」
「ば……馬鹿言え。日本は射殺なんて真似は滅多に……」
「でも僕ら殺したら話は別だよ。警察ってのはやられるまで何もしないけどやられたらやり返すからね」
「っ……」
 さっきまで威勢よく喋ってたおっさんが一気に冷や汗流し始めた。もうちょっと心を強く持たないと立てこもりなんてできないぞ。嘘だよ嘘。冗談だって。
「……分かった、殺さねえよ」
「いや、殺さなくても、ここの状況筒抜けな時点でかなり不利だと思うんだけど」
「一瞬のスキをついて刑事が転がり込んでくるかもしれねえな」
 こいつ、なんで急に話に割り込んできてんだ。別にいいけど。だからその顔やめろ。
 こいつが変にノってるのはいいとして、おっさん、まさか本気にするんじゃなかろうな……? こんなど田舎コンビニで三人が人質に取られた程度じゃ特殊部隊なんて出てこねえぞ。しかもまだ事件発生から一時間も経ってないし。
「……分かった。お前ら奥に移動しろ」
「無理」
「は?」
「いや、だって手足縛ったのあんたでしょ」
「……ちっ」
 おっさんはめっちゃ嫌そうな顔をして僕の足を掴む。もう冗談だったのに……ある意味こいつと同じくらい純粋だよな、おっさん。
「って、え、引きずるの?」
「当たり前だろうが――重っ!!」
「教科書満タンのかばん背負ったまんま縛られたからね」
「あーもう!お前らはなんでそう面倒ごとばかり」
 おっさんは投げやりって感じで、言葉通り両手に持ってたナイフと拳銃放り投げて僕の足を全力で引っ張った。いやいやそんな隙だらけじゃあ……。
「動くな!」
 ほら、言わんこっちゃない。結局おっさんは僕の足を引きずっている最中という、もっともかっこ悪いタイミングで突入されて、御用となった。しかも取り押さえられた場所が例の液体が漏れたところだったから服がびっちゃびちゃ。多分色的に緑茶だと思うんだけど、ズボンが濡れてみごとに漏らしたみたいになってるよ。警官も笑いこらえてんじゃん。
「よっしゃ、なんか終わったみたいだし帰ろうぜ」
 僕が言えたことじゃないが、よほどずぶといな、こいつ。
「そうだな。ひっく」
「なんだよ、びっくりするな。またしゃっくりか?」
 だからそんなことでいちいちびっくりされても困る。しゃっくりって短い間に何度かぶり返すこと、たまにあるよね。
 ……ってことで、ちょっと面倒くさいことにはなったけど、後日、いい話のタネにはなるかもしれない。これで僕も陰キャ卒業間違いなし。多分。
 おっ、外はいい感じに逢魔が時だ。まだ間に合いそうだし、今日はさっさと帰って忍たまを見
「それじゃあ事情聴取を始めますね」
たかったんだなあ、それが。



化けの河     著:ハシバマユ

「おじさーん、生きてるー?」
 ぼくがまだ昆虫少年だった頃、ときどき河原に住むおじさんの生存を確認しに来ていた。
 返事が無いのでブルーシートを持ち上げ家の中をのぞく。部屋の中にはたくさんの、いや、これは必要資源である。おじさんはいつも自分一人で家をリフォームしている。ある時は木材で、またある時は壊れた自転車、そして今日はビニール傘が家を内側から支えているのが見えた。
「おーいテツ、こっちだ」
 後ろからぼくの名前を呼ぶ声が聞こえる。振り返えると、川に足を掴まれ、身動きのとれなくなったおじさんがいた。手足は細長く、腹はスイカ丸々一つ分の膨らみがあり、ひざこぞうは外を向いて、ツルりとした頭のてっぺんから流れる汗がきらりと光っているので、目が悪いぼくでもすぐにわかる。川のそばまで行くと、おじさんと目が合った。
「おーいテツ、助けてくれ」 
 おじさんが泳げることは知っていたので、ぼくはあくびをした。
 その様子を土手で眺めていると、おじさんは僕のほうを見ながら、自ら川の深いところへ進み、おへその辺りまで水に浸かると、次は足を縮ませはじめた。そのうち頭を水面にすっぽり隠し、出てこなくなってしまった。ぼくは観念して、持っていた虫あみを川の中に投げてやると、おじさんはそれを勢いよく掴み、柄のところを杖のようにして、よろよろと立ちあがった。
「はぁ、助かった。もうちょっとで三途の川を渡っていたよ」 
「おじさん、本当は泳げるでしょ」
「なにいってんだ、俺らあ昔からカナヅチだよ。川に入れば、ちと涼しくなると思ったんだがねえ」
カナヅチが川なんかに入るもんか。そう思って睨みつけると、おじさんは目を逸らした。しかし、その焦点は次第に僕の胸のあたりに移る。なにか物欲しげそうな目である。
「ぼく、今日おいなりさん作ってきたんだ。一緒に食べようよ」
 割り箸を手渡すと、おじさんは眉間にしわをつくった。
「お茶もあるよ」
「お、気が利くねえ。今コップもってくるよ」
どうやらお茶が正解だったらしい。おじさんの不必要なプライドは正直面倒である。首に下げていた水筒を手にとってコップに注ぐと、中で氷がカラコロと踊った。それにつられて、おじさんはクツクツと笑う。それからおいなりさんを一口でぺろり。口の中いっぱいに、あまくてふっくらした油揚げと、ちょっとすっぱいお米、そしてポリポリ。ん、なんだこれは。ぽ、ぽりぽり?
 そう、僕のおいなりさんには少し細工がしてあった。
「おじさん、中に何が入ってたと思う?」
興味がなかったのだろう。おじさんは歯をグラグラさせて遊んでいる。
「実は、おじさんの大好きなキュウリを細かくして入れてみたんだ」
これでどうだ。一口で食べてしまったことを後悔するといい。
「あぁ、これね」
 あれ、おかしいな。思っていた反応と違うぞ。おじさんはいつも近所の業務スーパーで一本十円の激安キュウリを箱買いしているはずだ。今更興味なくなったなんて言わないでよね。
「別に嫌いじゃないよ、キュウリ。けど俺はどっちかっつーと牛のほうが好きだなあ」
てっきりおじさんはキュウリが好きなのかと思っていた。え、おじさんってお肉食べるの。ちょっと探りを入れてみる。
「じゃあ次は肉料理を持ってくるよ、どんなのがいい?」
おじさんは寝転びながら考え、「そういえば」と起き上がる。
「焼肉が食べたいね。ほら、上野にあるだろう、おいしい焼肉屋が。昔一度食べたきりだが、あの味が忘れられねぇんだなあ」
そのあとも焼肉の話は続いた。おじさんはぼくのことをすっかり忘れている。だんだんぼくばっかり話を聞くのはおかしいと思いはじめた。
 自分が注目されていないことに気づいたおじさんは、いきなり変化球を投げてきた。
「テツは何が好きなんだ?」
ぼくが話を聞いていないと知っていながら質問するんだからタチが悪い。ここは無難に「カルビ」と答えた。それを聞いて、おじさんは眉毛は左右非対称に動かせた。
「違うよテツ、ホルモンの話だよお」
「あぁ、ホルモンね」
 ホルモンてなんだ?牛とは違う動物の肉の話をしていたのだろうか。僕はホルモンの正体を知りたかったが、これ以上おじさんの話を聞くつもりもなかった。
「で、どこよ?」
おじさんは、買ってもらえるまで陳列棚から離れようとしない子供のような大人である。となると、こちらも少し工夫しなければならない。
「ぼく、実は僕あまり肉には詳しくないんだ。そこで頼みたいことがあるんだけど」
 ぼくはリュックからスケッチブックと鉛筆を取り出した。
「ここに描いてぼくに教えてよ」
おじさんの目が一瞬きらりと光ったのを見逃さなかった。ぼくからスケッチブックと鉛筆を受け取ると、それきり何も言わなくなった。狙い通りである。ほっとすると、僕のお腹は胃をぎゅうぎゅうと握りはじめた。
 さて、生存も確認できたことだから、そっとここを抜け出そう。僕は静かに立ち上がった。
「おいテツ」
 こんな時、おじさんの鋭さが心底嫌になる。
「これがハラミだ」
 まさかこんなに早く書き終えてしまうだなんて。ぼくは渋々スケッチブックを受け取った。
 ハラミは少し分厚く切られて、鉄網であぶらを程よく落とし、表面を軽く焦がしてカリッとさせている。そして、あつあつのうちに醤油ダレにつけていただくのだ。おにくには弾力があって噛めばじゅわりと溶けてしまいそうである。
絵が上手い人は、肉をも旨く描けるのか。
 すると、いきなりおじさんの両手が僕の脇腹あたりに伸びてきた。その手はぼくをしっかり掴んで離さない。
「うわあああ」
「お前のハラミも旨そうだな」
一瞬、おじさんが別の誰かになったように見えたのは気のせいだろうか。
気がつくと、またいつものようにクツクツと笑っていた。
「ハラミって横隔膜なんだぜ、つまりホルモンの一つなんだな。あ、ホルモンって何か分かるか、あれはな…」
おじさんの声がどんどん遠のいていく。目の前の霧が濃くなり、頭もぼんやりとしてきた。そこに部屋の隙間から朱い光が差し込みはじめ、あまりの眩しさに手を覆う。すると、おじさんは話すのををやめて「いま何時だ」と聞いてきた。ぼくは慌てて腕時計を見ると、短い針は十七時過ぎを指していた。
「テツ、急いで帰ったほうがいい。黄昏時にここにいちゃいけない」
おじさんの声はやはりよく聞こえなかったが、なにか良くないことがあるのだと察した。
「じゃあまた来るね」
「またな」
―やっぱりおじさんは。
僕が昆虫少年を卒業する頃、おじさんはもう居なかった。まるで初めから何もなかったかのように。最近は顔も思い出せなくなってしまったが時々キュウリを大量買いしてしまったり、焼肉の中でハラミが一番好きなのはおじさんが居たからだと思っている。



欠片     著:柊 らぎ

温かな日の差す縁側に千代子はごろりと寝そべっていた。その隣には湯呑みが三つ置かれた盆を挟んで鬼が座っていた。額に一本角がある黒髪の男鬼だ。湯呑みの中の緑茶は一度も手を付けられないまま冷めてしまっていた。穏やかな日だった。
「覚えてるかい?」
千代子が何の前置きもなく鬼に言った。鬼は庭を映していた瞳を千代子に向けた。
「何をだ」
 短くこたえる鬼を見て千代子は眉をひそめた。鬼は元々静かで口が達者ではないが、今日はいつにもまして語気が沈んでいるような気がした。
「なんかあったのかい?」
 聞かれた鬼は庭をしばし考えるように沈黙したのち、小さく首を傾げた。
 千代子はその沈黙の間に僅かに浮かんだ感情を見逃さなかった。しかしそれには気付かなかったふりをして訝しげなな表情を浮かべる鬼に「なんでもない」と返した。
「で、覚えているかとは何のことだ」
 逸れた話題を鬼が戻す。
「あんたが初めてここに来た時の事さ」
鬼は視線を庭に戻した。夕暮れの光で伸びた垣根の影が庭を侵食している。その中に自分は最初潜んでいたのだ。
「覚えているさ」
あれは、或る夏の夕暮れが綺麗な日の事だった。

「そこにいるのは誰だい?」
千代子が言うと垣根の影から額に角のある男が出てきた。それが鬼だった。
初めて鬼を見た千代子はあまり驚かなかった。それは鬼の見た目が人と似ていたからであり、昔、夫に聞いたことがあったからであった。丁度この鬼のように黒髪で一本角の見目麗しい鬼の話を。夫がする鬼の話は全て二人でした悪戯の話で、聞いていた千代子はその鬼のことを少しも怖いとは思わなかった。だから千代子は驚いたり怖がったりする代わりに口角を少しだけ上げると冗談めかして言った。
「お迎えはまだ早いと思ったんだけどね」
鬼は首を横に振った。
「違うのかい?」
そう言うと今度は首が縦に振られる。
「じゃあなんだい」
問えば鬼は短く聞いてきた。「雄三は死んだのか」と。それは千代子の夫だった男の名だった。彼が逝ってからもうそろそろ一年が経とうとしていた。それでも、長年連れ添った夫が隣にいないことに千代子はまだ慣れていなかった。思わず湯呑みを持つ手に力がこもる。
「ああ」
 そう言うことしか出来なかった。それに対する鬼の発言も短く、
「そうか」
とだけ言って僅かに目を伏せた。それだけだった。それ以上の変化はみられず、理由を聞いてくることもなかった。
「あの人の友達かい?」
気を取り直して聞くと鬼は何度か瞬きをすると視線を僅かに右に逸らした。まるで何かを思い出すようなしばしの間をおいてようやく鬼は慎重に言葉を発した。
「昔の悪友だ」
その一言で推測が確信に変わる。やっぱりこの鬼が夫と悪戯をしていた鬼なのだ。千代子は少し嬉しかった。浮世離れしたあの人にも友と呼べる存在がいたのだ。千代子にとってはそれが人であるか鬼であるかなど些末なことだった。そんな千代子の胸の内など知らずに鬼が無言で踵を返した。
「お待ちよ」
呼び止めると鬼が足を止めて肩越しに振り返った。千代子は持っていた湯呑みを盆に戻して言った。
「せっかく来たんだ。線香くらいあげていきな」
「線香……」
「こっちだよ。あ、草履は脱いでね」
そういうとさっさと家の奥に行ってしまう。鬼は躊躇ったが、暫くたって千代子が戻ってこないことを悟ると草履を脱いで後に続く。
 仏壇の前で半強制的に正座をさせられるとやり方を教わりぎこちなく手を合わせる。嗅ぎなれない線香の匂いに雄三が死んだことを知らされた気がした。笑ったまま変わらない写真にの中の雄三を見て鬼はボソリと呟いた。
「お前には似合わんな」
 こんな風になるなんて昔は思ってもみなかった。妖である自分すら口八丁手八丁で丸め込み、さらりと悪友などとのたまってしまう雄三が誰かに看取られて逝くなんて想像もつかなかった。所帯など持たないと思っていた。そもそも此奴は殺しても死なないだろうと思っていた。鬼は雄三のその破天荒な性格故忘れていた。人と関わるということがどういうことなのかを。
 悲しいとは思わなかった。ただ、ほんの少しだけ寂しいと思った。

「お前はあの時……いや、いつも強引だった」
その度に鬼は千代子が雄三の妻である所以を身をもって知ってきた。この女だからこそ、あの雄三と添い遂げることが出来たのだと思った。千代子が口角を少し上げた。
「早いね。あれからもう三年も経つんだよ」
「たったの三年だろ」
「妖からしたらたったなんだろうけどね」
 呆れたように呟く口から短い息が漏れた。その顔には疲れが滲んでいる。鬼は自分の横に置いてある湯呑みを見た。冷めた緑茶の水面が風で揺れる。
「茶、飲むか」
「要らないよ。私は緑茶は嫌いだからね」
 彼女はそういってさっきから一度も自らが淹れた茶に口をつけなかった。鬼はこの家に緑茶以外の茶葉があることを知っていた。しかしなら何故緑茶を淹れたんだとは言わなかった。彼女がわざわざ嫌いな緑茶を淹れた理由を知っていたからだ。だからただ頷きを返しただけだった。
「そういえば、あんたがしゃっくりですごい笑ってたこともあったけ」
 千代子が可笑しそうにクックと喉の奥で笑った。鬼はその時のことを思い出して僅かに顔を顰めた。
「そんなに人が笑うのが可笑しかったか」
「いいや」
 否定しながら千代子はまだ笑っていた。その顔を見ると、鬼は溜息をつくことしか出来なかった。

それは二人が出会ってそろそろ二年が過ぎようとしている頃だった。庭の紅葉が赤く色づき始めたある秋の日。時折ヒックとしゃっくりをする千代子をじっと鬼が見つめていた。
五分ほど黙っていた千代子はやがて耐えかねたように身じろぎした。
「さっきから何見てるんだい」
 鬼の瞳は静かな好奇心でいつもより心なしか輝いて見えた。
「それはなんだ?」
「それ?しゃっくりのことかい?」
「ああ、そうだ。しゃっくりというんだ」
 そういって鬼は嬉しそうに口元を緩めた。
「何がそんなに、ック。面白いんだい?あんただってしゃっくりくらいするだろう」
「いや、しない」
「嘘つけ」
「本当だ」
 そこで鬼は教えてくれた。
「昔雄三が教えてくれた。それは横隔膜が痙攣してなるものだと。だが我にはまず横隔膜なるモノがない。だからしゃっくりもしない」
 しゃっくりが止まらず少し機嫌の悪かった千代子に諭すように説明していく様はまるで出来の悪い教え子を諭す教師のようだった。
「へぇ。成りは人とそっくりなのに」
「どれだけ似ていても我は人と異なる存在だからな」
その声は少し寂しそうに聞こえた。まるで飼い主に置いていかれた仔犬のようで、千代子はふうん、と曖昧な返事を返した。そしてふと頭に浮かんだ疑問を止まらないしゃっくりの合間に聞いた。
「でも、これの何がそんなに面白かったんだい?」
「あの強かった雄三が」
 鬼が過去を懐かしむように僅かに目を細めた。
「唯一我に見せた隙だった」
 そう語る鬼を見ながら、千代子は鬼にそう言わしめた自分の知らない雄三の過去の武勇伝が気になって仕方がなかった。

「懐かしいねぇ」
呟きながら千代子はぼんやりと空を見つめた。
「ああ、いつの間にか真っ暗じゃないか。黄昏時が終わって、ここからはあんた達妖の時間だね」
太陽は先程空の一番高いところに到達したところだった。しかし千代子の瞼は閉ざされており、その明るい空を見ることはできなかった。そして千代子は、自分が瞼を閉じていることに気づいていなかった。
「疲れたならもう休むといい」
「じゃあそうしようかな」
 千代子が長く、ゆっくりと息を吐いた。力が抜けた体は、一回りくらい小さくなったように見えた。しばらくして聞こえた穏やかな寝息は次第に小さくなり、やがて止まった。
 鬼は徐々に冷たくなっていく体を抱き上げ家に入ると、部屋にひいてあった布団の上に横たえた。それから立ち上がると縁側に戻り盆にあった手つかずの湯呑みのうち二つを持って仏壇の前に立つ。そしてそのうちの一つを仏壇の前に供えた。
「いつだったか、妻が緑茶を淹れてくれないんだとぼやいていたな。雄三」
意味のないことだと知りながら目の前に飾られている写真に声をかけてみる。雄三の写真は初めてここに来た時と変わらず笑っていた。その顔にまだそんなに皺が刻まれていなかった頃、茶の話でぼやく雄三の尻を何度後ろから蹴り飛ばしたことか。それは、鬼の今までの生涯の中で間違いなく一番幸せな思い出の一つだった。
しかし、悪知恵の働く頭で口八丁手八丁好き勝手やっていたくせに惚気の一つすら素直に出来なかった友人の最後の頼みも今日で終わった。
「約束、確かに守ったぞ」
 そうして手に持っていたもう一つの湯呑みを傾け飲み干す。淹れ慣れていないせいか千代子が淹れた緑茶の味は薄く、細かい茶葉が口の中にざらりとした感触を残していった。
                      おわり



リズの声     著:りょうCAN

 声帯魔法。それは昔人々に恐れられ、追放された禁忌魔術。その魔法を唯一扱うことができた我々の一族は魔声一族と呼ばれ、審問会の連中に隔離され徐々に虐殺されていった。生き残ったのは僕を含め5人ほど…。しかもそれぞれが生き残るためにバラバラに散ってしまったためコンタクトをとることさえもできない。だけど僕は生きることだけは諦めない。親父がよくそう言ってたからだ。「生きていれば必ず良いことがある。」それが親父の口癖だった。審問会の魔術を無効化する鎖に締め付けられながらも最後まで生きよう声を絞りあげてと抵抗しようとした姿は忘れられなかった。身を呈して俺を逃がしてくれた親父の為にも何がなんでも逃げ切るしかない。僕はそんな想いでいっぱいだった。
 かれこれ三日間ほど森の中で暮らしている。この森は野ウサギや野鳥が沢山生息していたため農作物の枯れ果てた貧しい故郷よりも食料が豊富だったのは何とも皮肉だった。村人は今まで銃と弾薬を買うお金が無いことを理由にして動物の狩りをしたことがなかった。終いには動物は神聖な生き物だから殺してはいけないとまで言われるようになったのだ。まったく…こんなにも臆病だから奴らは我々一族を恐れ審問会に通報したのだろう。声帯魔法さえあれば狩りなど簡単だった。
「裂けろぉぉぉ!」
 僕の発した声はカッターのように形を変形させて獣の身体を切り裂いた。声帯魔法は様々な種類の型があり、産まれた時によって受け継がれる型が異なるらしい。僕は中でも最強と謳われる表現型の声帯魔法の使い手だ。言葉の意味が発せられた声のエネルギーによって自然現象へと変換される。声の大きさやリズムによってエネルギーを調整できるため銃と弾薬よりもよっぽど扱いやすかった。
「燃えろ。」
 獣の身体に声のエネルギーが浸透し静かに燃え始める。ふぅ今日の晩御飯は鹿焼きか…。鹿は森の中でも滅多にいない上に高タンパクで低脂肪なため貴重なご馳走だ。僕は鹿の血抜きをしようと近付こうとした。すると急に後ろの木々がバキバキと音を立てた。はっと驚いて背後を振り返ると、荒廃したような灰色の毛皮を纏う巨大な猪がこちらに向かって突進して来た。
「裂けろぉ!」
 僕は咄嗟に発声したが突然の出来事に焦り、早口で声を絞ってしまったのでさっきよりも威力が弱まってしまった。声から生成されたカッターが巨獣の分厚い毛皮を貫き一度バランスを崩させるものの、巨獣はすぐ身体を立て直しこちらへ突っ込んでくる。万事休すか…深手を負ったな。僕が諦めたその僅かな瞬間だった。
「何をぼさっとしてやがる!死にてえのか!」
 誰かが巨獣の背後に向けて1本の矢を放った。凄まじいスピードで飛行するそれは何らかの魔力を纏っており、やがて1つの閃光となって巨獣を刺し穿つ。苦しそうに呻き声を上げた巨獣はその場で息を引き取った。
「よお、さっきの様子を見る限りだとアンタ観光客だな?この森は危険だからさっさと抜けた方がいい。命が惜しければな。」
 緑色のフードを被った40代くらいのおじさんが倒れた巨獣の背後から現れ話しかけてきた。
「さっきは助けてくれてありがとうございました。僕の名前はリズ。貴方のご想像通り故郷を捨てて旅をしている者です。訳あってこの森から出ることはできません。」
「へえそうかい。じゃあリズはお尋ね者か何かか?まぁ色々事情もあるだろうし踏み入ったことは聞かねえよ。俺は自分の名前も忘れた老人だ。好きに呼んでくれ。」
 僕はしばらく考え込む。緑のフード…さっきの弓矢。ふと閃いた。
「じゃあ緑茶と呼ばせて頂けますか?」
「緑茶ぁ?」
 老人は素頓狂な声をあげる。
「緑色の弓兵だからです。つまり緑色のアーチャー…略して緑茶です。」
「流石に安直すぎやしないか?まぁなんと呼ばれても構わんが…。」
 緑茶は渋々了承した。すると森の茂みからさっきの猪と同じ程度の大きさの巨大ミミズが現れた。
「ひええ…虫は苦手だぁ。」
「凍れぇぇぇ!」
 声のエネルギーが巨大ミミズの体内を巡り内部から凍結させる。声のエネルギーによる自然現象を受ける対象はイメージによって操作することができる。俺は緑茶を凍らせずミミズだけ凍らせることをイメージして発声した。
「へぇ…こいつぁ驚いた。まさか禁忌魔術の使い手だったとは。」
 緑茶は感心してパチパチと手を叩く。
「探す手間も省けたってものよぉぉ!」
 緑茶は弓を放った。不意打ちだったためかわすこともできず、弓は足に突き刺さる。
「王宮から禁忌魔術を操るガキを仕留めろって依頼が来てんだ。テメェの首を突き出せば俺様は晴れて大金持ちってワケよぉ!」
 緑茶はケラケラと笑い動けなくなった僕を見下ろす。
「どうか見逃して頂けないだろうか。僕にはまだ生きなきゃいけない理由がある。アンタはこんな卑怯な手口で俺を殺せて嬉しいか?僕はこの広大な地を駆け、海を渡り、旅がしたい…そうだ。僕にはこの世界で生きる権利があるんだ。お前のような陳腐な利益しか眼中に無い賞金稼ぎごときに奪われていい権利じゃないんだ!」
 こんな男に敬語を使うことは無いと思った僕は力一杯叫んで主張した。緑茶は少し思い悩んだような顔をした。その顔からは後悔や寂しさなど何らかの感情が宿ってるように感じた。
「卑怯ねぇ…じゃあリズ。俺と1つ勝負しないか?ルールは簡単だ。黄昏時に現れる怪鳥の群れを1匹でも多く仕留めたやつの勝ちだ。俺が勝ったらお前の首を王宮に突き出す。お前が勝ったら何事もなかったかのように見逃してやる。な?簡単だろ?」
 助かる為にも僕はその条件を呑むしかなかった。しかし緑茶が何故このような勝負を持ちかけてきたのかが甚だ疑問だった。
 黄昏時…雲の中から夕暮れの赤みが滲み、何処からか怪鳥が空を舞う。
 喉が痛い。もう何度叫んだことか分かったものじゃない。
「ほらほらもっと叫びやがれぇ!」
 裂けろと叫んだ数も覚えていないこちらの喉が裂けそうだ。そんな追い詰められた矢先だった。
「キョエエエエエエ!」
 巨大な怪鳥が姿を現した。
「だいたい数は同じくらいだからルール変更だ!あの怪鳥を仕留めたやつの勝ちだ!」
緑茶の弓は弓1本1本に魔力が纏ってあり、炎や雷など相手によって属性を選んで纏わせている。しかし巨大な怪鳥には殆ど効いていなかった。小さい怪鳥とは異なる特徴な毛皮なのか魔力に対する耐性も強く、かと言って普通の弓では分厚い毛皮に阻まれるため緑茶は為す術もなかった。
「裂けろぉぉぉ!裂けろぉぉぉ!」
カッターは刺さるも毛皮が分厚いため貫通しない。怒った怪鳥は僕を串刺しにしようと思ったのか鋭いクチバシを閉じて突進してくる。
「リズ!横隔膜を使えぇぇぇぇ!」
横隔膜?横隔膜とは何だろう。分からなかったが身体が勝手に動く。肺の近くの胸元を押さえる。横隔膜…横隔膜…横隔膜ぅぅぅぅぅぅ!
「裂けろぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
高らかに声は響く!凄まじい声のエネルギーは凝縮し、バチバチと魔力が溢れる白い刃が音速で怪鳥を真っ二つにする!
「キョエエオオオオイイオオオオ!」
森の木々が血で染まり、僕達は助かったのだった。
「リズ。テメェの勝ちだ。お前の生きたいという意志は確かに伝わった。逃げるなり俺を殺すなり好きにしろや。」
「ちょっと待ってくれよ!なんでアンタは横隔膜を使えば声帯魔法が強まることを知ってたんだ!?」
「…それは俺が魔声一族だからさ。」
あまりの衝撃に僕は絶句した。
「俺は審問会が来るよりも昔に家族を捨てて故郷も捨てた。だから審問会の連中には認知すらされてねえ。この先お前は審問会に認知された魔声一族の生き残りとして一生逃げ回るだろう。そんな苦痛な人生を送るなら早く殺して楽にしてやろうかと思ったのさ。まぁそんなに生存願望が強いなら好きにすればいい。」
彼の一言一言が重々しく感じられるものだった。
「僕は父親に生きていれば必ず良いことがあると言われた。だからみすみす命を捨てようとは思わない!審問会も全員皆殺しにして復讐するんだ!その為には貴方の力も必要だ。一緒に旅をしてくれないだろうか。戦術や王宮について色々教えてもらいたい。」
「いきなり勧誘たぁ驚いた。生きていれば必ず良いことがある…審問会を皆殺し…よくもまあそんな面白い冗談が思い付くもんだ。まぁ興味は惹かれたぞ…いいだろう。同行してやる。よろしく頼むぞリズ!寝首をかかれないように気を付けな。」
こうして僕達の旅は始まった。審問会…王宮…これから険しい戦いが待っているのかもしれない。でも僕達は必ず生き抜いてみせる!黄昏時の終わりにそう誓った。



おそろい     著:くらげさん。

「あの、ほんとにいいんですか?」
左手の緑茶、右手の不自然なほど真っ白な雲を見つめながら私は言った。
慣れない相手だからか、無意識に声が掠れてしまう。
「うん。だってハルカちゃん緑茶好きでしょ?あ、綿あめは僕とおそろいね。」
柔らかい少年の声が降り注ぐ。
口をUの字にして笑う少年と対照的に、私は俯く。
少年とはついさっき出会ったばかりだ。綿あめ屋に並んでいたら、「おじちゃん。それ、2つ頂戴」と割り込んできて、その片方を私に差し出したのだ。私は4つ分の綿菓子を買わなければならなかったのに、少年に手を引かれ、飲み物まで貰って、現在の状況に至ったのである。
元気がないように見えたのだろう。
それもそうだ、私は好きでこんな祭りに来ているわけじゃない。
今日は7月7日。私の地域では七夕祭りと称して花火大会を行っている。雨の確率が高いのに何故か晴れた今日、私はあの4人に連れ出されたのだ。
くそ、こんな祭り、やらなくていいのに。
花火なんて全部湿気っちまえ。
きっと、そんな思いが表情に出ていたんだろう。
「ねぇねぇ、ハルカちゃん!金魚すくいだよ!綺麗だねぇ。食べちゃいたいくらい可愛いねぇ!」
私より頭一個分背の高い少年が、屈みながらトパーズのようにかがやく瞳に金魚を映している。
人間特有の邪気を感じない、子供のような笑顔。思わず撫でたくなるような薄茶色の髪。
右前頭部にはなにかの面がついている。さんかくの耳のようなものが生えているので、なにか動物だということはわかるがその顔まではよく見えない。
そして彼は、何故か私の名前を知っている。もしかしたら、小学校時代の旧友だろうか。
問おうと決心して、口を開こうとしたが、彼の方から言葉を投げかけられた。
「そういえば、ハルカちゃんはなんでこんな早い時間からお祭りに来ていたの?それも1人で。」
「…!!」
その言葉で、私は寝起きに氷水をかけられたような衝撃を受けた。今まで考えてた全てが吹っ飛んでしまう。
うまく言葉が発せず、狼狽えながら、わたわたとスマートフォンを取り出す。
画面の下のマルを押すと、逃れられない現実が、重くのしかかってきた。
『 16;26 まこティン: ねぇ、ハルカ遅くね?5分以内に買って来いって言ったよね?』
『16;26 みゆ♡: お使いもできないなんて小学生よりバカなんですけどーー 』
『16;27 Aya: 早く戻ってきてよね。逃げたら次は飼育小屋のうさぎちゃんにお仕置きしちゃおっかなー』
『16;27梨乃 : アヤまじやばーい 笑笑』

「…ハルカちゃん?」
画面が振動する。正しくは、私の腕が小刻みに痙攣している。
現在は16時55分。まだ間に合うだろか、早く行かなきゃ、今度はうさぎちゃんが…!!
脳裏に無残な虎猫の姿が、古いビデオテープのように途切れながら映し出される。
あんな思いはしたくない!
私は縋り付くように、鞄についた猫のストラップを握っていた。
瞬間、私は柔らかい温もりに包まれた。
「ハルカちゃん。ごめん。僕、嫌なこと聞いちゃったよね。」
少年が、私を抱きしめていた。
筆のような髪が肌にあたってくすぐったい。
無意識に、生暖かい水が頬を伝う。
いつもなら恥ずかしがっているはずだった。
しかし、あまりにも少年の匂いが心地よくて、そのまましがみついていた。
「大丈夫。僕がついてるから。もう、寂しい思いはさせないから…。」
だから、泣かないでよ。と優しく微笑む少年に、私は何度も謝ることしかできなかった。
そして、情けないという事は承知で、少年に頼み事をした。
「神社まで、一緒に行ってくれませんか。」

さらさらと、葉擦れの音が耳に優しい。
西の空は朱色に染まり、東の空から藍色が追いかけている。
少年も空を見上げていた。そろそろ黄昏時だねと呟いてるのがはっきりと聞こえたが、返事が遅れたのでそのまま黙っていた。
ぎゅっと、カバンにぶら下がった子猫を握りしめる。少年は何故かそれを愛おしげに見つめていた。
私は、クラスメイトの女子4人に、使いパシリをさせられている。現金をせがまれたり、ものをかってきたり。逆らえば暴力が待っている。
自分への暴力だけならまだ耐えられた。しかし彼女達は、私の大切な友達に手を出した。
着せ替えごっことか言って無茶苦茶にリボンを巻いて、それが絡まって、私の大切な大切な虎猫は、息が吸えなくなって死んだ。
あの日を境に、私は彼女たちに逆らえなくなってしまった。彼女達は、人間じゃない、小さな命をたやすく摘み取る悪魔だとわかったから。
「ねぇ、ハルカちゃん。僕、君が少しでも笑ってくれるように、サプライズを用意してるんだ。」
少年がくるりとこちらを向いていたずらっぽく笑う。
しかし、その黄色い瞳は昏く、恐ろしい夜の訪れを感じさせるかのようだった。
背中がびりっと、冷たい電流が走ったような感覚に襲われる。
なんだか、少年のことが少し怖くなった。
「ほら、見て!短冊みたいでしょう?七夕とかけてみたの。僕、頑張ったんだよ!」
彼は片腕を挙げて、その方向を指す。
コロン…。
私は、緑茶のボトルも、綿あめの割り箸も、その場に落としてしまった。
目の前の光景が、あまりにも信じられなくて。
「あれっ?ハルカちゃん?褒めてくれないの?ねぇ、ハルカちゃ…」
「いやぁぁあぁぁぁぁ!!!」
少年に触れられた瞬間、弾かれたように私は走り出していた。
少年が見せたあれは、トラを殺した四人の首吊り死体だった。色とりどりの服で身を包んでいた彼女たちは、本当の短冊のように木の枝にぶら下がっていた。
あれは少年がやったのだろう。あの少年は、危険だ。本能が逃げろと指示していた。
私は、どこに続いているかもわからないような道をひたすら走った。走り続けた。
思えば、おかしな点はいくつかあった。あいつらが16時27分以降連絡してこなかったこと、タイミングよく彼がやってきたこと。…あれ?そういえば彼はなぜ私を知っていたんだっけ…?
突然、右脇腹に鋭い痛みを感じた。痛みは、ミシンの針のように、ズブズブと1箇所を繰り返し刺す。うまく呼吸ができなくなって、気がつけば、すぐ目の前から土の匂いがする。
膝がじわじわと痛い。転んだということを、ようやく理解する。
「痛い、痛いぃ…」
右脇腹を抑えながら近くの木の幹にもたれ掛かる。しゃくり上げるような呼吸。うまく息ができない。
「あーあー、肝臓あたりが悲鳴上げてるよ。いきなりあんなに走るから、横隔膜が沢山ぶつかったんだね。」
恐怖の対象が、目の前に立った。
「ねぇ、ハルカちゃん。なんで逃げるの?僕のこと嫌いになった?あいつらがいなくなって、嬉しいよね?」
彼の、爬虫類のように縦長な瞳孔が私を縛り付ける。
いつの間にかお面は取れていて、代わりに猫のような耳と、2本の長い尻尾が夕闇に照らされている。
「僕は、君が大好きだから、君にそばにいて欲しいから、君を助けたんだよ?お願いもちゃんと聞いたよ?」
何かが頭の中で再生される。でも、それがなんなのかも考えられない。少年の声は右耳から左耳へと通り抜けるだけだ。
「だから、今度はハルカちゃんが僕のお願い聞いてくれる?…僕は、ハルカちゃんも妖怪になって、僕と永遠に暮らして 欲しいな」
私にはもう、言葉を発するほどの気力も体力も残っていなかった。
痛む腹をおさえ、呼吸をするのが精一杯だ。
黙っていると、顎を掴まれる。少年の眼と、自分の眼が嫌でも合ってしまう、そんな距離。
「…苦しそうだね。人工呼吸してあげるよ、 僕、人じゃないけど」
首が引っ張られて筋が痛む。視界が少年の整った顔でいっぱいになって、唇と舌にざらりと湿った違和感を感じる。なぜだか、この感覚には覚えがある。
変な味の何かが、喉の奥へと流れていく。
何されているかしっかりと理解したとき、ようやく私は言葉を発した。
「………トラ、なの?」
大好きだった子猫の名前を呼んだ。
少年の顔がふにゃりと歪む。
「やっと気づいてくれたね。ハルカちゃん。そして、これでずっと一緒にいれるよ。」
少年は私の背後の何もない空間へ手を伸ばした。そこには何もないはずだった。なのに、くすぐったい違和感を感じる。
恐る恐るそこを見ると、ありえないものが生えていた。
「尻尾……?な、なんで、私に」
「言ったじゃん。妖怪になってって。これで僕とお揃いだよ。」
ほら、と少年に手鏡を渡される。
自分の顔なのに、その瞳は黄色く染まり、頭にはリアルな動物の耳が生えている。
「あ、あぁぁ…」
私はその場にしゃがんで、震えだした。
ありえないことばかりで頭の中がぐちゃぐちゃだ。
ただ、目の前の少年の眼差しは優しく、そばにいるだけで安心できる暖かさを感じた。
「これで永遠に一緒だね、ハルカちゃん」
懐かしい匂いが鼻腔いっぱいに広がる。
愛しい子猫の匂い。
そういや、なんで逃げていたんだっけ?
嫌な奴らがいなくなって、それから、トラと追いかけっこをしてただけじゃないか。
なんだ、怖いことなんて、何もなかったじゃん。
ぬるい温度に、なんだか眠くなって、私は瞼を閉じた。
震えはいつの間にか消えていた。

遠くの空で、一輪の花の散る音が聞こえた。








編集担当:水菓子

日本大学芸術学部文芸学科所属 出版サークルKMIT


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