めくらの絵 ―ショートショート―

本作は、現代とは異なる時代設定を行っております。現在、差別用語として認識されている「めくら」という言葉が作中でしばしば用いているのはそのためです。ご了承ください。


 むかしあるところに盲目(めくら)がいた。

 そのめくらは絵描きであった。盲人の絵であるから、見た目そのままを書き写すなどと言うことは出来なかった。ましてや、色使いと言うべきものも不可思議で、七色を用いて描いたそれを林檎だと言い張った。常人には想像のつかない配色でもって世界を描くため、見る者はことごとく気味悪がった。

 その日も彼は紙に向かい、一心不乱に筆を滑らせていた。

 もう齢六十を超えた皺だらけの手には、一匹の蛙が握られている。めくらは筆を走らせるごとに蛙を撫でさすり、そしてまた筆を走らせるということを繰り返していた。どうやら蛙の触り心地によって蛙の形を確かめているようである。やがて完成した絵は蛙とは似ても似つかない何かであった。黄と桃と青によって描かれ、その輪郭はひどく歪み、さながら車にひかれた蛙のような有様である。しかしめくらはたいそう満足そうにして、名にも見えぬはずの目でもって絵を見ていた。

 人々は気味悪がると同時に、心の中に、黒々としたものを抱かずにはいられなくなった。つまりこのめくらに対して、何か、ひどいことをしてやろうと、さらに正しく言うのであれば、貴様の見ている世界は間違っているのだ、ということを自覚して欲しく思ったのだ。心の底からそう思う者もいれば、めくらの悲しむ姿を見たいだけという者もいた。しかし総じて考えることは同じであった。

 翌日のことだ。人々は、どうにか、あのめくらに世界の異を悟らせる術はないものか、と話し合っていた。するとある女が、「何かを描いてもらい、それは実物とは大きく異なる、ということを言えばよいのではないかしら」と提案した。手っ取り早くも正確な案であったので、反対する者は誰もいなかった。

 ならば何を描いてもらえばよいのか、という話題に移ると、ある男が先ほどの女を指さして言った。「それならお前が描いてもらえばいいだろう」、と。自分を描いてもらえば、ここが違う、これがおかしい、色が変だ、などということを事細かに指摘出来るのではないかというのが男の意見である。人々は大きく頷いた。ただ一人、女だけが不安そうな顔をしていたが、誰も彼女の顔色になど気づかなかった。

 その後、かの女はめくらに向かって、「あたしを描いてはくださらない」と尋ねた。めくらはすぐに了承した。めくらのひげは伸び、髪は乱れ、飯粒が頬についたままになっていた。女はこのとき初めてめくらの顔を正面から見た。すると内からふたたび不安の火種がぽうぽうと燃えだした。めくらは「どうかしましたかい」と聞いた。女は「なんでもないわ」と嘘を吐き、「それであたしはどうすればよいのかしら」と続けた。めくらは飯粒のついた口元を歪ませると、「それでは奥さん、着物を脱いでください」と言った。

 そこは木陰で、めくらの他に誰もいない。めくらには目が見えぬのだから、ということで着物を脱ぐことには何ら抵抗がなかった。

 「それで、あたしはどうすればよいのかしら」と女は尋ねた。するとめくらは「まあ、そのままでよいですよ」とだけ言い、女に手を伸ばした。めくらの手は剥き出しの女の乳房に触れると、丹念に撫で回した。女は悲鳴を上げた。「なにをするんですの」。だが、めくらは何でもないように、「こうして触らねば、あなたの身体が分からぬではありませんか」と答えた。

 女はめくらが何かを描いていた時のことを思い出した。描くものを常に撫でながら描くのだ。

 ここに至って女の不安は膨れ上がった。失念していたとは言え、しかし自ら頼んでしまったことであるから、女は断ることも出来ず、ただされるがまま、己の身体を差し出した。めくらも黙って女の身体を触り続け、ついに触らぬところがなくなった頃、絵は完成した。「もう終わったんですの」と女が尋ねると、めくらは「ああ」と頷いた。

 ついに呪縛から解き放たれた女は、「では、その絵を見せてくださらない」と聞いた。そう、女はこのために絵を依頼したのだ。めくらの絵をこき下ろし、彼の間違いを指摘するために。めくらは「ええ、構いませんよ」と絵を女に向けた。その刹那、女の顔から血の気が引いた。次いで、急激に赤くなった。「どうかなさいましたか」とめくらが言うと、女は「今すぐその絵を消してください」と叫んだ。叫ぶだけでなく、絵に飛びかかると、余った絵の具でもってグチャグチャにした。女はこの絵を誰にも見られてはならなかった。それは、人の形はしておらず、だというのに女の目には自分自身のありのままの姿だと感じた。めくらに触られ、羞恥し、と同時に快楽を感じている女の「心」が描かれていた。

 人の目には見えないはずのものを、このめくらは、描いていたというのだ。

 女は恐怖した。

 めくらのこの目に恐怖した。

 その後女はことの一切を誰にも漏らさず、ただ一言、「あのめくらに描いてもらってはいけない」とだけ言い続けた。

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#小説 #ショートショート

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