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歴史を記憶し、悲劇を繰り返さないために 関東大震災100年にあたり集会

 関東大震災からちょうど100年を迎える9月1日、熊本市国際交流会館で「9・1関東大震災100年ー朝鮮人中国人虐殺を記憶する集会」と題する集会が行われた。集会は県内の市民団体や個人が共同で開催したもので、市民や学生など約150人が参加した。

関東大震災による虐殺犠牲者に対して黙祷する参加者=9月1日、熊本市国際交流会館大ホール

 開会にあたり熊本県平和委員会の松本泰尚さん(実行委員会共同代表)は「私たちはこの負の歴史場面を記憶して、虐殺の人災としての意味を正面から向き合い、捉えていかないといけない」とあいさつした。 
 在日朝鮮人青年を代表して鹿児島県の李玉妃さんは「帝国主義政府による民衆の煽動に対する検証、歴史的事実の糾明や謝罪を行わない(現在の国の)不誠実な態度に対し、強い怒りを抱いている」と述べた上で、「この時代を生きる一人の在日朝鮮人として、あるいは人間として記憶していく責務がある」と訴えた。 
 記念講演の弁士として、近代史に関する著作を多く上梓している市民運動家の高井弘之さんが登壇。関東大震災における虐殺について「『流言蜚語』という表現が使われるが、客観的には官制デマであると言える。たとえ当時警察がこれらのデマを本気で信じていたとしても、警察が主導しての自警団への組織や武器の供与、暴力行使の黙認・教唆があった以上、権力の指導と支援の下にこうしたデマが拡大し、暴力が組織・補強されていった。単なる罹災の不安からくる民衆のパニックによるものではない」と史料を引用しつつ指摘した。 
 高井さんは「点」の出来事として虐殺が起こったのではなく、それ以前の朝鮮・中国への帝国主義的進出の延長線にあるものである、との認識を示した。日本が帝国主義国として中国・朝鮮に進出していく過程の中にあり、関東大震災が起こった1923年当時は朝鮮で3・1独立運動や義兵運動が起こるなど、植民地支配に対する抵抗運動が起こっていた他、内地でも労働運動が盛り上がりを見せていた。このような情勢下で、帝国主義の「敵」としての「不逞鮮人」や「主義者」(社会主義者・労働運動家)が連携しているとの恐怖を抱き、暴力を推進していったという歴史的背景がある、と述べた。 

講演する高井弘之さん=同


 また、同時に日本の一般民衆にも「不逞鮮人」への恐怖感があったとして、震災直後の『婦人公論』に掲載された記事を紹介。「朝鮮人は、何等考慮のないジァナリズムの犠牲となって、日本人の日常の意識の中に、黒き恐怖の幻影となって刻みつけられている……今回の朝鮮人暴動の流言蜚語は、この日本人の潜在意識の自然の爆発ではなかったか。この黒き幻影に対する理由なき恐怖でなかったか」(原文ママ)という記述から、メディアの報道が朝鮮人に対する差別意識を植え付け、虐殺に至る下地を作ったことを指摘する。 
 高井氏は「加害者と被害者を逆転するようなことがあってはならない」とした上で、「大日本帝国継承国家」としての戦後日本の体制を直視しなければならない、と述べ、「在日外国人や少数者へのまなざしを変え、偏狭で自己中心的な態度を持たず、誰しもが偏見や差別なく平和かつ平等にこの社会に生きていけるようにしていくこと。それが関東大震災100年を迎えた今、求められている」と締めくくった。 

講演を聴く参加者=同


 参加した熊本大学の学生は「会場の外で右翼が『虐殺がなかった』と主張していて呆れてしまった。現在の韓国や北朝鮮に色々意見があるとしても、(虐殺は)歴史的事実として二度と繰り返さないようにしないといけない。これは民族は関係ないと思う」と述べた。別の参加者は「関東大震災や徴用工問題などにおいて加害者と被害者の関係が逆転している、という講演内容には賛同するが、北朝鮮の核問題や中国による帝国主義的進出に関しては、個別に加害・被害の関係を確定しないといけないのではないか。過去の被害者は常に被害者で、加害者は常に加害者ということはないはずだ。北朝鮮や中国の軍国主義的性質を軽視し、被害者として是認することには賛同できない」と意見しつつも、「歴史の苦難を正確に捉えた上で、アジアの隣人として共生できるような文化を地域で作り出していければ良い。それは私たち一人一人の態度に拠るのではないか」と感想を述べた。 
 集会では「関東大震災における朝鮮人・中国人そして日本人も含めた大虐殺を痛苦の念を込めて受け止め反省するとともに、さらなる事実解明と記憶する態度を持ち続け、こうした虐殺が今後二度と起きない社会を作ることを誓う。戦後も継続する植民地主義政策による歴史的・構造的民族差別に向き合い、歴史認識を深め、多民族・多文化共生社会の構築を目指す」とする集会宣言を採択した。

【関東大震災】
1923年9月1日、関東地方で起きたマグニチュード7.9の巨大地震が発生し、死者数10万5000人、東京をはじめとした関東地方は壊滅的な被害を受けた。戒厳令が発令される中、内務省の通達が流布していたデマを補強し、さらに内務省が指令して各地で組織された自警団に警察や憲兵隊が協力する形で「不逞鮮人」の取り締まりが行われ、朝鮮人や中国人、さらに朝鮮人と誤認された地方出身者の日本人、労働運動家や社会主義者などが虐殺された。朝鮮人の犠牲者数は死者数の1〜数%を占めるとされる。

(2023年9月1日)

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