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♯03 演劇のつづけかた。個人と、集団と、 (ゲスト:坂本もも)

このトークで話す人は?
坂本もも:今回のゲスト。演劇制作、プロデューサー。
児玉健吾:かまどキッチン主宰。本作では脚本、演出を担当。
佃直哉:かまどキッチン共同主宰。本作ではプロデュース、ドラマトゥルクを担当。

はじめに

かまどキッチン「燦燦SUN讃讃讃讃」では、前回公演『海2』にて好評いただいたプレビュートークを再び実施。今回はコロナ禍において演劇活動をしていくことについて、先達の方に話を聞きにいってみました。

第三回は、演劇制作者の坂本ももさんです!(収録は2022年12月に行なったものになります)

ロロ/範宙遊泳プロデューサー・合同会社範宙遊泳代表・多摩美術大学演劇舞踊デザイン学科非常勤講師・ON-PAM理事
1988年東京都生まれ。日本大学藝術学部演劇学科在学中より、学生演劇で演出助手をしながら、外部公演や商業演劇の制作部・演出部を経験。2009年よりロロ、2011年より範宙遊泳に加入し、劇団運営と公演制作を務める。2017年に出産し、育児と演劇の両立を模索中。

始まりは「とにかく作品が面白かったから」

佃:はじめさせていただきます。今回はゲストに演劇制作者・プロデューサーの坂本ももさんにお越しいただきました。長い間制作として活動されている中で、演劇界の変化やコロナ禍とされる状況が続く中で団体を運営していく知見などお伺いできればと思っています。よろしくお願いいたします。

坂本:坂本ももです。ロロと範宙遊泳、二つの劇団の制作をしてます。演出家になりたくて日芸に入ったのですが、演出助手や舞台監督助手もやりながら徐々に制作にシフトしていきました。 最近は多摩美術大学で非常勤講師や、ON-PAM(特定非営利活動法人舞台芸術制作者オープンネットワーク)の理事をする中で、「どうやって下の世代とコミットしてより良い環境を作っていけるか」ということに興味があります。 あと子供がいるので、育児と演劇活動の両立に悩みながら活動しています。

佃:ありがとうございます。

児玉:本当に多様なことにタッチされてますよね。現代演劇について話す時って結局作品とか作家の話題になりがちなんですけど、坂本さんの話はどんどん話題に上がるというか、個人的にはある世代の制作さんとしてトップランナーだと認識しています。

坂本:ありがとうございます(笑)。アーティストが優れた作品を作ることが前提としてあると思うんですけど、私が大学時代に演劇を始めた頃は、名がある劇団には名がある制作者がついている印象があって。制作という仕事の大事さに早々に気づいて、比較的に主張が強めのスタンスになっているかもしれません(笑)。

昔はコネクション作りを意識していろんな劇団の公演について、自立した制作者の仕事を間近で見て修行しましたね。

児玉:なるほど。でも、積極的に活動してる所属劇団のふたつともガッツリ動かしてるの本当すごいですよね。僕らのキャパシティじゃありえない。
僕たちの場合、佃を中心に団体の指針を考えて、現場運営を別の方にお願いして、それでやっとカンパニーがギリギリ動くか動かないかっていうところなので……。それでいて大学の講師をされたり、ON-PAMとか、能動的に発信もされていて、さらに子育てのこととか、もう「どう動いてるの!?」って感覚です。

坂本:そうですね〜。ふたつとも忙しくなってさすがに無理がきて、特に出産してからは関わり方も変わりましたね。5年くらい前からロロは、奥山三代都(おくやまみよと)がメインの制作で三浦直之のマネジメントも奥山が担当しています。重要なことは相談されるし現場には出ますけど、私の実働は減りました。もうロロの制作は奥山です!奥山がいなかったら今ロロ続けられてないなと本当に思います…。

過去のインタビューなどで話しているので経緯は割愛しますが、後に範宙遊泳にも加入したのは、quinada(キナダ)の三好佐智子さんという制作さんの存在が大きかったですね。当時サンプルとハイバイ、2劇団のプロデューサーをされていて、どちらもつかせてもらったことがあり、それぞれ異なる作品性のアーティストとの関係とか、現場の振る舞いとか、三好さんから勉強させてもらいました。

佃:なるほど。先達がいたとはいえ、2団体の制作を掛け持つモチベーションってどうやって保ってたんですか?

坂本:とにかく作品が面白かったから。

佃:それは素晴らしい話ですね。

坂本:衝撃的に面白かったんですよね。私は高校時代から蜷川幸雄さんの演劇が好きで商業演劇ばかり観てたんだけど、ロロの旗揚げ公演を観た時、これも演劇か!っていう衝撃がすごいあったんですよね。スターじゃない同世代の人たちが舞台上でふつうに喋って、時間も空間もあちこち飛んだり。ストーリーはもうあんまり覚えてないんだけど、自分の中で新しい演劇を観た!という衝撃だけ今もよく覚えています。

私は東京生まれ東京育ちで、親も応援してくれていて、バイトはしてたけど、衣食住は困らないしって環境もやっぱりプラスに働きました。制作会社に就職をするか劇団を続けるか、大学卒業のタイミングで迷った時期もありましたけど、もうちょっと頑張ったら食えるかもしれないなって思わせてくれましたね、当時のロロは。

卒業と同時くらいで範宙遊泳にも加入して、はじめはお客さんで、めちゃくちゃ面白い!制作したい!と思いました。

「この人たちの作るものは面白いから一緒にやる」っていう、常にそのモチベーションでやってますね。私が知り合って学んできた先輩たちも、やっぱりそういうスタンスだったように思います。

佃:ありがとうございます。タスクは最低2団体分、状況によっては他の仕事も…って大量に降りかかってくると思うんですけどそういうときの割り振りとか処理って坂本さんはどのようにされてますか。

坂本:当時は現場ごとにサブの人を雇ってました。今でもそうだけど本当に人に仕事を振るのが苦手で…。我流すぎてうまく手放せなくて、その結果抱えすぎてどれかができていないみたいなこともいっぱいあるし、反省の日々です。この仕事で致命的だと思うんですけど、究極言うとメール返すのがめちゃくちゃ苦手なんですよ。手紙とかも開けられないの。郵便物の封を開けられないの。

佃:ああ、僕も返せないし開けられないですね。それらすべて。

坂本:すごい駄目なの分かってるけど、開けられないんですよね…そういう部分があるんですよ…だからいつも自分を奮い立たせてやらねば!って感じになってる。

児玉:めっちゃ分かります。

坂本:当然劇団の活動に支障をきたすので、「もう無理!」ってなってロロの制作者を募集したときは、やっぱり食わせてあげられないっていうことがネックになっていました。これから入ってくれる人に同じは思いはさせたくないけど、私ですら食えてないのに、アシスタントに満足に払えないなという状況で。過去に何度か関わってくれた人を、ちゃんと育ててあげられなかったっていう心残りはいつもありますね。しっかりお金が払えてたら、今も制作を続けられてる人もいただろうなと、たまに思い出します。

奥山がロロやりたいですって言ってくれたときに、楽しいことばかりじゃなくて正直つらい仕事でもあるし、すぐに食わせてあげられないです。憧れていた集団に近づいて一緒に仕事をする中で見たくないとこ見えちゃうけど、大丈夫ですか? 守秘義務があるから外に漏らすこともできず、やってもらいますけど大丈夫ですか? みたいな話は最初にしましたね。

佃:そこまでちゃんと話せるのってすごいですね。かまどキッチンは今俳優がいない団体なんですけど、関係者を劇団にお誘いするとき、スタッフはまだ個人の仕事で食べていくってことが俳優に比べると比較的現実的に思えるのに対して、俳優は満足なギャランティもあげられず、でも出る公演には名前を載せてくださいとなってしまう。

どうしたら主宰側として搾取的なものにならないのかって考えたとき、人は足りないけど、人を増やすことに責任を持てないって結論になった。というか増やそうとしたけど破綻した。だから俳優がいないんです。ちゃんと食わせてあげられないよっていう話をした上で、奥山さんが認めて入ってくれたのがすごいなって思いました。

坂本:最初はギャラはそんなに払えない。その代わり全てを教えるよって言ったと思う。奥山はまったく制作の経験がなかったから、メールの送り方ひとつとっても添削して赤入れ、みたいなことをしてました。食わせてあげられるわけじゃないから、お互いイーブンで言いたいことは言ってね、辞めたいときは辞めてね、私はあなたのことを利用するけどあなたもちゃんとこっちを利用してねっていうようなスタートでしたね。

集団ってすべてがそうだと思うんです。お互いがお互いのためにっていう部分と、自分のためにっていう部分をもっと等価でおかないと、やっぱりどこかでしんどくなるじゃないですか。

佃:なるほど。その両軸を持ってないと厳しいとは確かに感じます。僕はかまどキッチンが団体になる際、制作でここにいると立場が弱すぎるし何にもつながらないと思うので主宰の権限をくださいって言って主宰になったんですよね。今は逆に主宰・プロデュースって強すぎるなとも思うんですが。

僕は助成の経験や企画書を書く能力を利用して、企画職みたいなので働いているので、互いが自分のために、互いが互いのためにをやりつつ、モチベーションを保つとか活動を継続していくための力にするという意味では、偶然にも僕と児玉はそれはできていたのかなと思いますね。

児玉:それはありますね。かなりお互いがお互いを使ってる感じはある。

坂本:佃さんの「主宰・プロデュースって強すぎる」の部分ですけど、集団の中でヒエラルキーができちゃうのを解体していこうとする流れは良いことだと思うんだけど、役割まで解体するのは違うんじゃないかと思っていて。主宰者とかプロデューサーがある程度権力を引き受けて引っ張っていかないと、物事を決断して前に進めていけない部分もあると思うんですね。それぞれに異なる能力や専門性があって、対等であろうとするために役割を解体してみんなで等しく担う必要はないというか。集団の崩壊って「あなたのためにこんなに頑張ってるのに分かってくれない!」ってなった瞬間に訪れると思うんです。

私もかつて、こんなに頑張ってるのにって思ってたし、なんで伝わらないのって思ってました。子供を産んだ頃、あきらかに自分の仕事に対するパフォーマンス力が落ちてすごいしんどくて、だけどもうそのマインドじゃ通用しなくて。「いやそもそも自分のために自分で決めてこの仕事やってんじゃん」っていうマインドを持ち直しました。

佃:2019年の東京芸術祭のトーク企画(東京芸術祭2019「出会う。変わる。世界。」トークvol.2 「どうすれば舞台芸術を続けていけるのか?」 https://tokyo-festival.jp/2019/news/1604/に参加した際に、坂本さんと同席をしたことがあったんですけど、お話しを伺った当時不平等感というか、制作として危機を感じていると聞いていたので、今そこを振り切って次の場所にいるんだって今素直に感動しました。進んでいる…

坂本:ありましたね〜。あの頃かなり悩んでいた時期でした。

児玉:そういうの不平等感で……って、実際僕らにもあり得ることですよね。

佃:うん。ないわけがないね。

坂本:自分の幸せの価値を他人で測っちゃいけない、自分で自分を幸せにしてあげないと駄目だよ」って山本卓卓に言われたことがあって。自分の幸せを自分で決めてるつもりでも、それって結局他者に依存してない?みたいなことに気づいたんですよね。「自分の機嫌は自分で取る」に日々チャレンジしてます(笑)。

集団とモチベーション

佃:先ほどの役割とヒエラルキーの話について、ヒエラルキーは解体すべきだが役割を解体したら集団が成り立たない。その通りだと思います。今は劇団ではなくアーティストが協働するコレクティブの形で集団化しているってケースが見られると思うのですが、これが坂本さんの仰ったヒエラルキーが解体された役割の集まりなのか、坂本さんが見ているのはもうちょっと違うものなのか話を伺ってみたいです。

坂本:役割を持ち寄ってそれぞれが主体的に協働するのがコレクティブですよね。物事をはじめる時の言い出しっぺ、引っ張る人は誰でもいいんだって、海外で活動するようになって気づきました。俳優でも作家でも制作でも、やりたい人が集団を動かしていい。そういう意味での対等さがコレクティブって言われる集団性なのかなと、私の中では思っています。ただこれはすべての集団に当てはまらなくて、自分たちの集団性をどこに置くかをちゃんと全員が認められていれば、別にどんな形でもよくて、究極トップダウンでも別にいいと思うんです

佃:ありがとうございます。最近、円盤に乗る派のカゲヤマ気象台さんが、自分達がコレクティブなのかと聞かれたとき、彼にとっての捉え方がちょっと難しいという話をしていて、坂本さんが言っていたような集まっている人たちのモチベーションが必ずしも統一されていないことと、そういった強いモチベーションを持っているのが基本的に演出家って役割に集中していることで、人が集まって演劇公演を作るとなったとき、コレクティブ的には中々なり得ないといった話をされていて、個人的に頷くところがありました。

でも、先ほどの誰がやりたいと言ってもいいって言葉を聞いて、これがやりたいと言った人とみんながある程度同じモチベーションを共有した上で面白がって乗ってくれる認識を共有できている集団がコレクティブなんだって納得できた気がします。範宙遊泳もそういう形だったりするんでしょうか。

坂本:範宙遊泳は、今佃さんが言ったことともちょっと違うかもですね。基本的には作家・山本卓卓が書きたい言葉がある状態からスタートするし、その都度オファー制で乗るかどうかそれぞれが決める権利があり、やりたいことは個人で自由にやっている人たちの集まりでもあります。同じモチベーションっていうことは多分ありえないから、あえてあんまり追求してきてないです。

例えばパーセンテージで、[100演劇やりたい人][10演劇やりたい人]がいるじゃないですか。みんなが100である必要はなくて、[100の人][10の人]が一緒にものづくりできる環境こそが尊いと私は思っているんです。でも絶対にもめますよね、10のやつが稽古に来ないとか、セリフ覚えてこないとか。100の人から見れば10なんてふざけるなよってなる。でもそもそも、自分の100と相手の100が等価だという前提が異なるかもしれないので、その差異を知ることが大事だと思います。プロである以上、10ってことはなかなかないんだけど、何か困難があったときに100出せないってことが絶対ある。

出産して自分が演劇に100パーセント注げなくなってから、みんなに同じモチベーションを求めるのは危ういなと思うようになりました。バラバラの人たちとバラバラのまま一緒に作る方法を探していますね。

佃:ありがとうございます。

やり直しできない? 続けていくためには……

佃:坂本さんのON-PAMでの活動や、多摩美の講師をされている中で若手のことを気にされている話を膨らませて、コロナ禍以後の若手演劇人についてや、学生の方々がどういった形で創作を志しているのか、今活動するならどういった形が可能性があるのかといったことをお伺いできればと思います。

坂本:若い人たちと接することが多くなってきて、繋げていかなきゃって意識がまずあります。それは私自身が年長者から学ぶ機会をもらって、続けてこられたという意識が強くあるからです。一方で、「昔はOKだったことでも今は通用しないよね」が業界としていっぱいあるので、それが是正されていくことは非常に重要だし、変わっていくべきです。若い世代の人たちは今、ネガティブな情報に触れることが多いので、先人たちを警戒して遠巻きに見ている。なかなかコミットしづらいんだろうなって思っています。

上の世代も、自分たちがかつてしてきたことが今はハラスメントと言われることを自覚できている人は自覚できていて、だからこそ若い人たちと対話することに、非常に慎重になっている気がします。このままでは触らずに衝突もせずに分断していくって印象が個人的にはあるので、そこを繋げていかなきゃってすごく思ってます。

佃:ありがとうございます。そうですね、僕らも例えば30代の方は自分たちのちょっと上でお話できる距離感の年長者と思えるのですが、それより年長の方だと、お話を伺うのも少し壁があると感じていて……。

坂本:私はもう老害の側の人間なので気をつけたいと思ってるんだけど。私は劇場で蜷川幸雄さんに話しかける高校生だったんですよ。

佃:うお、それは、強いっす。

坂本:普通に、会いたい人に会いに行けばいいじゃんって思っちゃうんだよね…。今ならSNSコンタクトもできるし、しかも若いうちなら無知と無邪気さでアタックできるぞって思うんだけど。多分今の若い人たちって失敗していいって思ってないじゃないですか。もう1回やらかしたらアウトだと思って生きてる人が多い印象なんですよね。

児玉:そうですね。

坂本:今の社会の空気や仕組みがよくないですよね。

佃:さっきの話を引っ張ってくると、学生もモチベーション10と100の人がいますよね。その中だとやっぱりモチベが100の人って目に入るし、気にもかけたくなるので、失敗してもいいのか悪いのかはともかく、前に出た方が得をする側面はあるのかもしれないですね。とはいえ前に出たからこそハラスメントにあう危険性が増大する気がするので難しいですが……。

坂本:確かにね。

児玉:元々僕も前のめりに人に会いに行くタイプで、それこそ大学1年か2年のとき愛知県芸術文化劇場小ホールで範宙遊泳を見て「演出家の方いらっしゃいますか」って山本さんを楽屋から引っ張り出して話をした経験もあるんですけど。

坂本:覚えてますよ〜。「桜美林に編入しようか迷ってる」みたいなこと言ってましたよね。

児玉:僕もその前のめりさのおかげで今があると思ってます。一方で、今もまだそのスタンスを続けられるかっていうと、ちょっと今は行けないというか、行けないならまだいいけど怖いみたいなのがある。これからキャリアスタートの人とか、多分下の世代になればなるほど、「その踏み出す一歩が沼か崖か!」みたいな恐れがあるんじゃないかな。

坂本:それってやっぱり、業界の権威を持ってる人たちからのハラスメント的なニュアンスで怖いってことですか?

児玉:何て言うんですかね。やっぱりハラスメントもそうですし、関係性の築き方次第ではワンミスでアウトになってしまう感覚があります。誰と繋がるか、誰を支持するか。そしてそれはやり直しがおそらく効かない。そういうことを考える機会は多くなってきました。

坂本:なるほど。授業で学生のクリエイションに関わってる中で少し感じるのが、学生が自分の考えを言語化して表明するのが難しくなってきている印象があります。何か困ってそうには見えるんだけど、自分からは言い出さない。こちらから尋ねて深堀りしてほどくコミュニケーションを取ってあげないと、解決まで持っていけないってことがあるんですよね。自分主体の気持ちを相手に伝えることが上手じゃないのか、そもそも口に出せない、言葉にできない何か事情が別にあるのかが、いつもわからないんです。

厳しい言い方になるけど、他者と話す力を鍛えていかないと、表現者としてけっこう危うくないか?とも思っちゃう。でもこれも年長者からの圧力の可能性があるから、こちらはまず安心して喋っていいですよ、っていう環境を整えます。でも若い人たちも、臆せず失敗を恐れず言葉にするガッツは必要かも、みたいな、うーん。

児玉:なかなか難しいですよね。僕より若い世代と喋って思うのは、言い切ってしまうことへの怖さを感じている人が多い。自分の主張とか、そうはいかないまでも、意見、会話の流れの中で何かを言い切る、これはこうですとか、こう思いますって主張することへの恐れが増してるのかなという印象は受けます。

坂本:そうですね。そこに至るまでの理由を省いてしまうコミュニケーションも結構あるから、思考のプロセスが見えないこともあります…。 

佃:理由を説明できないとか自分主体の気持ちを伝えられないのは、先ほど話にも上がったような失敗できない空気が強くあるのが原因の一つなんだろうなって思ってます。

坂本:コロナで対面で喋る経験が少なくなってるから、気軽に思ったことを喋るっていう感覚が、ちょっとハードル高く感じちゃってるのかな。
クリエイションのキャッチボールが一往復で終わっちゃうみたいな印象があって、もう何往復かしたら他の正解、どっちにとってもいい別の選択肢が出てくるかもしれないんだけど、説明しないし聞かないまま、一方通行で聞く側が受け入れちゃうみたいな、そういうコミュニケーションを見ることが増えたかなっていう気がしますね。やっぱり気軽にお喋りしていくの大事だよねってくらいのことなんだけど。

佃:雑談ベースから業務の話ができるようになったら、その合間の話っていうのができるようになるし、ここまではわかってもらえるけれどここからはちょっと何か別の回路が必要だなってことにも気付ける。でも今は何でも値踏みされたり数値化されてしまうから、現場の細かなコミュニケーションの瑕疵で自分たちの価値が決定づけられるのを避けたいといった気持ちはあるのかなって思います。

坂本:そのプロセスでは作られていく作品も、問題の提示で終わってしまったり、なんとなくフワッと終わらせてしまう傾向がもしかしたらあるかもしれない? そんなにいっぱい若い人の劇観れてるわけじゃないからあれだけど、作品の中でもそのコミュニケーションが起きてしまうともったいないですよね。

佃:共感レベルで終わっていてその先に行かない。結論に行かないというかっていう感じでしょうか。思うところはありつつ、耳が痛い話です。

支援を受けることは争いか。どう生き残ろうか

児玉:助成金とか支援のお世話になることがあって、その話を坂本さんから伺いたいです。この手の助成金って最近すごく若いところにも開かれてきているという印象は受けつつも、僕たちを支援していただいたり、落とされた支援の採択一覧を見ると、同じ枠を40代やもっと上の世代と争っていたんだと発見して驚いたりするんですよね。

そういったのに嫌気が差してか、現代演劇でも、ある支援のロールモデルから脱却して違う形での成立を目指してる方もいると思います。ロロや範宙遊泳を2000年代以降の成功モデルとして認識をさせていただいているところもあって……いろいろ相談したいです。

坂本:範宙遊泳が初めて採択されたのは、2014年芸劇の『うまれてないからまだしねない』ですね。上が詰まってるっていうのはある気がするし、ある程度の規模感や実績がないと採択されづらい気もします。あとはやっぱり文章のテクニックも必要で、やりたいことをきちんと言語化しつつ、それが助成元の目的とどのように合致しているか、助成を受けることでどんな新しい可能性が生まれるのかを、文章にする必要があると思いますね。申請書の書き方も回数を重ねると上手になるので、ダメ元でもエントリーする経験は大事かな。

ここ数年、助成団体側も若い世代を支援する方法を模索して仕組みを変えたりしている印象があります。コロナ禍で苦しいということもわかってくれて、作り手に寄り添ってくれている部分もあると感じますね。申請には実績が必要だけど、例えばコロナで公演ができないとそもそも実績が作れない負のサイクルがあるので、条件が緩和されたスタートアップ助成(アーツカウンシル東京)など、申請自体のハードルは下がったものも多いと思います。電子申請で書類作成が楽になったりとか。もちろん助成金に頼らずチケット収入でやっていけたらいいし、スポンサーを取るなり、助成金に頼らない仕組みは作っていかなきゃいけないけど、なかなか難しいですよね…。うちも課題として感じています。

佃:ありがとうございます。僕は助成系の文章を書くことが苦手ではないのですが、ただそれはお金を出す人にとっていい感じに聞こえる悲鳴を捏造するのがうまいだけではないかみたいな懸念があって、今本当に助成金が必要な活動をしてる人、それに値する活動をしてる人の席を単純に奪っていないかみたいなことを悩んでいます。

坂本:なるほどね〜。でもだったらちゃんと支援を受けて、関わった人たちにきちんと還元したり、環境整備に取り組むことで解消されるんじゃないですかね。例えばその分チケット代を安くするとか、アクセシビリティに配慮することで観客に還元するとか。「自分たちだけよければいい」じゃないマインドで活動していきたいですよね。

プレビュートークは以上になります。最後までお読みいただきありがとうございました。

範宙遊泳『バナナの花は食べられる』は7/28(金)よりKAAT 中スタジオにて上演予定です。ご予約はコチラから。かまどキッチン♯03b『燦燦SUN讃讃讃讃』は8月3(木)よりこまばアゴラ劇場上演で。ご予約はコチラから。

ハシゴでの観劇もオススメです! ぜひご来場ください!


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