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「他人のせいにする奴はだめだ」という言葉は認知の歪みを引き起こす話

よく「他人のせいにする奴はだめだ」と指摘する人を所々見かけます。
指摘する理由としては、

・言い訳ばかりしている
・他人のせいにしていると成長できない
・他人のせいにしている奴は嫌われる
・他人への愚痴を言っているような人は幸せにはなれない

が挙げられます。

もちろんこれらは正しいです。ごもっともです。
ですが、「他人のせいにする奴はだめだ」という言葉には罠があると思っています。
本記事では、この言葉の罠について自分の見解をまとめます。

なぜ他人のせいにするのか

他人のせいにする理由として、「自己防衛するため」が考えられます。
「自分は悪くない」と考えることで自分を守るのです。
自己防衛は人間の本能です。
例えば熱い鉄板に触れてしまった時、反射という現象が起きてこれ以上火傷をしないように身体が勝手に動きます。
反射のように他人のせいにすることで自分を守るのです。

「他人のせいにする奴はだめだ」という指摘は、自己防衛本能を否定する

「他人のせいにする奴はだめだ」という指摘は、自己防衛本能を否定することになるので、100%正しいとは言えないと考えられます。
それに、その指摘すら自分のことを棚に上げて他人のせいにしているとすら言えます。つまり矛盾しているのです。
自己防衛本能があるからこそ、人に限らず生物は自分の身を守っているのですから。
自己防衛本能を否定されることは「死ね」と言っているようなものです。

日本は「他人に迷惑をかけてはいけない」思想が強すぎる

「他人のせいにする奴はだめだ」という指摘がもてはやされる背景として、「他人に迷惑をかけてはいけない」思想が強すぎるためと考えられます。
日本の義務教育の中で、先生から必ず「他人に迷惑をかけてはいけない」と何度も言い聞かされます。
もちろん他人に迷惑をかけないことは素晴らしいことです。
できることなら人生で 1 度も他人に迷惑をかけることなく生きていきたいです。
ですが、それは 100%不可能です。
人は生きてるだけで誰かしらを困らせてしまったりします。それも無意識のうちにです。
ましてや赤ちゃんや子供となれば泣く、わがままを言う、いらずらをするなど親に散々苦労をかけてしまいます。
大人になればある程度「これはやってはいけない」と分別がつけられるようにはなりますが、それでも迷惑をかけないように生きるというのは不可能です。
完璧な人間など存在しないのですから。

過剰な自責は「認知の歪み」を加速させ、生きづらくさせる

「ここは自分のよくないところだ」「この件は自分も悪いところがあった」と反省するのは、自分のダメな部分を変えるチャンスです。
ダメな部分を改善し続けることで、人間は成長できます。
また、そういう人間は賞賛される傾向にあります。
人には承認欲求がありますから、賞賛されることで気持ちよくなります。
そしてさらに自責思考が加速します。
自責思考が加速することでつい「自分に悪いところはないか」を探す癖がついてしまったり、自分を責めることで正当化しようとしたり、どんどん感覚がおかしくなっていきます。
例えば、以下サイトの例を見てみます。

電車で赤ちゃん連れの人に席を譲るべきか迷ってしまい、迷っている間に別の人が席を譲ったのを見て自分を責めてしまうお話です。
自分がもし同じ立場だったら、きっと同じように自分を責めてしまうでしょう。
もちろん何の迷いもなく席を譲っていればこんなことにはならなかったでしょうが、この人自身別に何も悪いことはしていません。
もし「優先席に座っていて譲らなかった」とかならまだ責める余地はありますが。

このように、つい「自分に悪いところはないか」を探す癖がついてしまい、精神的に疲れやすくなります。
HSPの場合は特にハマりやすいです。
また、自分を責めることで「自分はこんなにも苦しいんだ」と正当化する癖がついたり、極限まで我慢した結果再起不能になってしまうなど様々な弊害があります。
常に自分で自分の粗探しをし、そこを徹底的に責める。
こんな生き方をしていたらあっという間に病んでしまいます。
ちょっとしたことで自分を責めてしまう状態を「認知の歪み」と呼びます。

認知の歪みに気づき、根気よく解消する

まずは「自分の認知は歪んでいる」ということに気づくことが大事です。
特に「何か生きづらいな」と感じた時が気づくチャンスだと思っています。
生活に不自由しているわけでもなく、別に誰かから明らかに迫害を受けているといったことがなければ認知が歪んでいる可能性が高いです。
認知の歪みを解消するためには、先ほども挙げた下記のサイトが助けになりそうです。

具体的な対策としては以下の通りです。

①自分以外を主語にして周りに起きている事実を考える
②自分を責める考えに対して無理にでも反論をしていく
これを何度も繰り返すことで『相手の事情もあるのでいつも自分が悪いということではない』という思考回路を作っていくのです。

承認欲求を満たすことがゴールになっていないか

また、「承認欲求を満たすために自責思考が加速していないか」と気づくことも大切です。
「自身が成長し、幸せになるため」の自責は全然ありですが、「承認欲求を満たすため」だといつまでも満たされないので自責の無限ループにハマります。

大事なのは許し合うこと

結局認知の歪みが出てきてしまうのは、「他人に迷惑をかけてはいけない」思想が強すぎるためだと考えられます。
それにより「自責思考ができる人は偉い」という風潮が生まれ、承認欲求によって自責の無限ループにハマるのではと考えられます。
もちろん最初から承認欲求を否定して適切な自責思考ができれば大丈夫でしょうが、実際めちゃくちゃ難しいです。
簡単にできるのなら私もとっくに解決しています。
それよりも、「人は迷惑をかけずに生きていくことができない」という前提を持ち、「どうせ迷惑をかけるのだから自分も迷惑かけられても許そう」という許し合いの心が大事なのではと考えます。
インドではそのように教えています。


ちょっとしたミスでイライラするという、ピリピリしすぎた現状が果たして良いかというとそんなことはありえません。
それよりもみんなが許し合える社会の方が温かくて、生きやすそうな感じがしませんか。
とはいえ、じゃあ何もかも許そうでは秩序がなくなってしまうので、「バランス」が大事ですね。

まとめ

「他人のせいにする奴はだめだ」という言葉の罠について考察しました。
他人のせいにする理由として、「自己防衛するため」が考えられます。
自己防衛は本能的に備わっているため、「他人のせいにする奴はだめだ」という指摘は、自己防衛本能を否定することになると考えられます。
「他人のせいにする奴はだめだ」という指摘がもてはやされる背景として、「他人に迷惑をかけてはいけない」思想が強すぎるためと考えられます。
ゆえに「自責思考ができる人は偉い」という風潮があると考えられます。
それにより承認欲求を満たそうと自責の無限ループにハマります。
結果、行き過ぎた自責思考によって認知の歪みが生じ、生きづらくなってしまうという話でした。
自分自身まさにこれだなと思っていて、書いていて気づくことができてよかったです。
ただ、「人は迷惑をかけずに生きていくことができない」という前提を持ち、「どうせ迷惑をかけるのだから自分も迷惑かけられても許そう」という思想を浸透させるにはかなりの時間がかかります。
なので、世の中の思想が変わることを期待してはいけません。
自分にできることとして、認知の歪みに気づき、根気よく解消していくことが考えられます。

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